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『静子の日常』読みました

Xやnoteを始めてみると、僕のような駄文にもフォローしてくれる方が現れ始める。
せっかくのご縁なのでフォローバックし、その方の記事も拝読するようになっていく。
記事やつぶやきの全てが関心を抱く内容とはならず、それは相手の方も同じお気持ちなのか、しばらくすると反応が途切れたりする。
若干さみしくもなるが、仮想空間のおつきあいとなればそんなものなんだろう。僕の方でも相手へのレスポンスは、そこで止めている。

フォローが続けばお相手の主義主張、志向性も理解できるようになり、特に政治的・思想的ネタなどは、自分と真逆の場合が少なくない。
個人的に支持する人物をけちょんけちょんにけなされたりすれば、やはり心穏やかにはいられない。つい反論の一つ上げたくなるが、じっとこらえて無反応を貫いている。
自身の主張が正しいと確信している相手に対し、短文で否定したぐらいで通じるはずもない。とくに感情的な表現をしている人に「それ違いますよ」と返そうものなら、全人格を否定されたと激高させるばかりだろう。ヘタに反応しても、不毛の限りである。

SNSは0か100、敵か味方かの極端な二者択一におちいりやすい。多くの人と繋がっているようで、価値観を同じくする人だけが集まる極めて狭い枠の中に、閉じこもっている場合だって少なくないはずだ。

政治信条が不一致であろうと、好きな音楽や本、文化面などで共有できるものがあれば、それで充分である。
それだって、既知の分野や人物のみが対象と限らない。
むしろ誰かの紹介がきっかけで、初めて聴いたり読んだりしてみたら、世界が広がったという場合が少なからずある。
特定の思想や異なる価値観から断絶してしまうより、自分の人生にとっては関係を続ける方が、よほど実り豊かな時間になると考える。

例によって長い前置きの後に、noteのフォロアーさんからご紹介いただいた小説の事を書きたいと思う。
簡潔にして食欲をそそる井上荒野の記事に対して、「今度読んでみます」と筆者のkei様にコメントしたら、以下のご返事を頂いた。

個人的には下記3作がお薦めです。
静子の日常
ママがやった
しかたのない水

Kei 憧憬 2024年8月7日

「井上荒野」という作者名じたい初めてだ。「いのうえ あれの」と読むのか。ペンネームだと思ったら、本名であるという。自分の娘に、なんちゅうハイセンスな名前をつけたことか。一体、どんな親だろう。

ググれば親父は、井上光晴いのうえ みつはるとある。どっひゃ~、お左翼さんか。そんでもってワシ、若い頃にけっこうファンだったりもした。
『虚構のクレーン』とか『地の群れ』とか、名作あるんだよなぁ。『小説の書き方』も、かつて愛読してたっけ。

井上光晴といえば、瀬戸内寂聴せとうち じゃくちょうと不倫関係にあった作家でもある。後者は筋金入りのド左翼さんだ。
寂聴は井上との関係を絶つため、最初は修道女になろうとして断られ、複数の仏教施設からも断られ、ようやく中尊寺で出家している。
個人的には思想以前に、人として何の魅力をおもちであるのか、見当もつかないお方であった。でも、生前は人気あったよねぇ。

ん-、読んだ後でよかった。先に知ってたら、先入観満載で物語に入っていくところだった。

kei様から3冊をお薦め頂いたので、上から順に読んでみることにする。
従って今回は、『静子の日常』についての読後感想としたい。

タイトルは『静子の日常』でも、主人公で75歳の老女・静子だけでなく、4人家族それぞれの思いや日々の移ろいが描かれている。
物書きが、「日常」という単語をあえて使っているわけだ。「日常」に潜む「非凡」と「普遍性」があらわになっていったとして、何の不思議もない。

時系列に描かれながらも、視点がつぎつぎ転換されていく連作短編小説になっており、とても新鮮な読後感だ。
手法的には不安定でありながら、絶妙な平衡感覚へいこうかんかくが、それを微塵みじんも感じさせない。
上手いもんだなぁ。

親父の作風とは、まるで違うじゃない。そりゃ、当たり前か。
でも、この小説には通奏低音として、「不倫」の二文字が常に響いてくる。それを井上荒野いのうえ あれのの両親に重ね合わせても、そう外れてはいない気がするのだ。
(次回に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす


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