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共同現実論

『瀬戸の花嫁』の伴奏に続き、Yさんが「瀬戸は日暮れて」と歌い出すと、デイサービスに参加するおばあちゃんたちは手拍子しながら合唱を始める。
その自然発生的な光景を目の当たりにして、村にかつて存在した神社の神事を思い浮かべた。
といってもそれは、荘厳そうごんな儀式と限らない。わが村にあるのは伊勢神明社で、まつられているのは天照大御神アマテラスオオミカミという世を照らす太陽神である。

彼女の弟で海の神・須佐之男命スサノオノミコトは荒くれもので、いつも周りに迷惑をかけてばかりいた。その様子に天照大御神アマテラスオオミカミは心を痛め、岩戸の中に隠れてしまう。
太陽神のいなくなった世は、暗く、災いの多い世界となってしまう。困り果てた八百万やおよろずの神々が話し合い、太陽神を招き出すために岩戸の前でどんちゃん騒ぎを始めた。その楽しそうな様子に誘われて太陽神が出てきたため、再び明るい世を取り戻すことができたという神話がある。

実はこの時のどんちゃん騒ぎとは、ストリップショーのことなのだ。
洞窟の前に鏡や宝物を置き、天宇受売命アメノウズメが裸踊りをして盛り上げ、「アマテラス様より尊い太陽神が現れました」と彼女をだますのである。
「そんなわけないじゃん」とアマテラスが少し岩戸を開け覗き込むと、用意された鏡に映った自分の姿にそうとは知らず驚き、立ちすくむ。
さらに岩戸を開くとその隙間に天手力男命アメノタヂカラオが足を突っ込み、自慢の剛力で岩戸をガーッと引き開けて、二度と閉じられないよう投げ飛ばしてしまうのである(僕の脚色込😅)。

ひどい(=素晴らしい)話だ。
最上位の太陽神をだまし討ちし、自らの目的を達成させるのが、我ら日本の神様たちなのだ。でも、結果的に誰も傷つかず、アマテラスも元のさやに納まってしまうのが更にすごい。
この、世界にたぐいなき神話を教科書に載せようとしない文部科学省など、存在する価値ゼロではなかろうか。

しかし女神のアマテラスは、なぜストリップに反応したのか。
アマテラスは本来は男神であり、女帝の推古天皇や持統天皇の影響から、途中で女神に替えられたという説がある。(古代支那の文献に出てくる)東海の島に住む太陽神の母羲和ぎかと、アマテラスを結びつけたものである。
ならばいっそのこと、レズビアン説だってありだろう。現代のアホなLGBT理解増進法など全く不要の証左が、古事記こじきにはあるのかもしれない。何をどのように解釈しようと許されるこの曖昧さ・おおらかさ、今の日本にこそぜひ、取り戻したいもんである。

なんの話しとんねん。
戦後日本は「公共」よりも「個人」を優先するあまり、生き方も嗜好しこうも、最近だと性別や民族までもが分断され、この傾向は今後もやみそうもない。
それで社会が豊かになればいいのだが、現実は逆のベクトルに向いている。
人々は互いに共有できる価値を失い、他人と関わるよりもおのが好みにこもるようになる。闇に光を照らす「どんちゃん騒ぎ」に、参加するものがいなくなるのだ。

吉本隆明たかあきは『共同幻想論』において、国家とは共同の幻想であると説いた。人間は詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したというのである。
その解体、自己幻想・共同幻想からの自立こそが彼の命題であるわけだが、「空想から国家が形成される」という前提こそが実は幻想であり、現実を危うくしていく。
(カーボンニュートラル、SDGs、多文化共生等の)理念ばかりが先行する今の世にあって、吉本が提唱した「幻想」が歴史に育まれたシステムに侵食していくのを見るにつけ、変えてはいけないものがあるとの思いを、強くするのだ。

終わんない。明日に続く。

イラスト hanami🛸|ω・)و



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