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今日、大学を中退した。

初めて書いてみるnoteがこんな内容になるとは、自分自身も変だなぁとは思うが、本当のことだから仕方ない。周りの友達には数人に伝えた。びっくりするかな、と思っていたが、正直そこまで。そんなとこかなって感じてたよ、と言われた。私の1年間と2ヶ月は、「そんなとこかな、」と周りの人間が予測できるほどの有様だったのだなと、ようやく気が付いた。


思い返すと、1年の前期皆勤という功績を残したのは、自分に頼っていたからだ。
友達はいたし、授業も大体一緒に受けていた。課題で分からないところがあれば助け合った、これは本当に助け合った。みんなありがとう。そんな中で、根底では、自分への期待が燃えていた。メラメラとまではいかないが、ユラユラと確かに炎があった。大教室のなかで眠気に負けそうになりながらも、小レポートでいい事を書いて来週の授業のフィードバックに選ばれたい、という気持ちが私の目線を上げさせてくれた。

夏頃から人脈が広がってきた。サークルの先輩が慣れた口調で繰り出してくる褒め言葉のひとつひとつに、私は感動し、心の中で踊りまくった。単純だから、先輩が好きだ、と割と早い段階で思った。○日に家行くね、と言われた。授業が1限から4限まであったが、全休だと嘘をついた。口から自然と出た嘘だった。前日から家の中を片付けて、当日は本来授業を受けている時間であることを忘れるくらい隅々までピカピカに掃除をした。

結局先輩は来なかった。

あれから10ヶ月ほどが過ぎた先週の土曜、その先輩から連絡がきた。今度近くに行く予定があるから、その時家行くね。この人は私が断らないことを知っているんだろうな、と感じたので、意地悪してみたくなったが、気付いたら、待ってます!!!と送っていた。

連絡がきたのはあの日以降初めてだった。正直、捨てられたと思っていた。いや、捨てられた、というか、元々あの人のものでもなんでもなかったのだが、あの人のなかに私は存在しないんだと思っていた。だから生きていて良かった、なんて思った。
また部屋はピカピカになった。


他人への依存を覚えたら、もう自分の頭で考えて行動することのハードルがこれまでよりずっとずっと高くなってしまうことを知った。もう私への期待は、種火がちりちりと小さく音を立てているだけだ。でも、この種火を絶やしたくない。絶やしたら、もうダメになってしまう気がするから。来年の受験まで、この小さな種火を守りながら、もう一度自分に頼ってみたい。

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