アリスとテレスのまぼろし工場の感想

岡田麿里の最新作を見たので感想を記す。「君の名は。」、「すずめの戸締まり」、「夏へのトンネル、さよならの出口」、「GRIDMAN UNIVERSE」、「怪物」など最近の映画を思い起こさせる内容だったが、別に大きく影響を受けているというよりは、相互なもので、時代の潮流のようなものなのだろう。

最初、製鉄所が爆発し、町の時間が止まる点やそれによって永遠に子供が生まれない場面はチェルノブイリ原発事故(あるいは福島原発事故)を想起させた。しかし、そういう点もあるのかもしれないが、より中心にあるのは基幹産業の工場の停止とそれによる町の衰退なのであろう。大きな書店も映画館もない「閉じられた」町というモチーフは岡田の作品に何度も登場するモチーフだ。削られる神の山というのはそのまま、秩父の武甲山のことであろう。呉市の製鉄所の閉鎖のニュースがあったが、それよりも前に衰退した三行が存在した。作中で保母という語が出て来ることから1999年以前であることは間違いないだろう。作中に登場する機関車のモデルとなった釧路臨港鉄道が運んでいた石炭である。作中では製鉄所で事故が起きて、それをきっかけとして産業が衰退していく(この事故で主人公・菊入正宗は死ぬ)。現実の日本でもかつて、夕張で93人が死亡する事故があった。エネルギー革命の頃でもあり、会社は倒産し、夕張はその後衰退し経営破綻した。事故こそ起きていないが企業が撤退し、人口が流出している町は全国に数多く存在する。見伏町はそうした過去の日本を想起させるのである。

岡田麿里の描く作品の舞台は秩父に代表される地方都市であることが多い。そうした地方都市は「空の青さを知る人よ」で「牢獄」と形容されたように閉鎖的である。かつて前田愛は『都市空間のなかの文学』で牢獄を夢想空間〈ユートピア〉であるとしたが、岡田の作品は閉鎖的な地方都市の中でファンタジーが展開するという点でまさに牢獄である。見伏町は三方を山に囲まれ正面は海であり、移動手段は船か鉄道しかない、まさに物理的にも閉塞性を持った町である。時の止まった見伏町で成長もせずただいたずらに時を過ごす住民たちは現実の衰退する町と重なっていく。不思議なことに何年も同じ町に住み、学校に通っているにもかかわらず人間関係は進展しない。クラスメイトの女子の下の名前は覚えていないし、青春につきものの恋愛も町の終焉近くになるまであらわれないのである。学校だけではなく、町全体の治安も悪化することもなく淡々と日常が送られている。時の止まった見伏町とパラレルに現実の見伏町では人々は成長し、結婚し、新陳代謝が進んでいく。そこには衰退する町とその直前の良い時代への郷愁が入り混じっているように思えるのである。

同じ地方を舞台にした恋愛青春物にアニメ「からかい上手の高木さん」がある。アニメ版では「高木さん」の舞台は小豆島に設定され、劇場版では主人公の西方と高木さんは結婚し娘もいる。地方都市で生まれ、そのままクラスメイトと結婚し、生活を送るという点で、西方・高木さんと正宗・睦実は相似形である。他のクラスメイトである真野・中井と原・新田のカップルも、彼らが主人公ばりの活躍をする点も似ている。ただし、小豆島は「高木さん」の作中にも登場する虫送りや「高木さん」自体や「二十四の瞳」の舞台として観光資源に溢れている。「高木さん」自体もメインは西方と高木さんのやり取りなので、劇場版で進学の話題が出るまでは地方性はそこまで強調されない。むしろ、劇場版こそ実際の小豆島の文化や歴史が出され、非常に場所が意味づけられている。一方、見伏町は舞台がこれまでの秩父と違い架空の町である。釧路でもあるようで、夕張でもあるようで、釜石でもあるようで、呉でもあるようで、秩父のようでもある。地方都市の表層を体現したかのような町である。正宗や仙波のように閉じ込められることがなければ、「夢」を持たず地縁と血縁を継承して生きていったであろう。新海誠の「すずめの戸締まり」では、地方の就職先としてありがちな看護師をすずめが目指そうとしていること以外、あまり宮崎での生活は描かれない。むしろすずめは活発に町を飛び出し、どこまでも旅をしていく。「すずめの戸締まり」では描かれなかった地方の生活が、閉じられた見伏町には描かれているのである。

「すずめの戸締まり」には劇中歌で松任谷由実の「ルージュの伝言」が使用された。一方で「アリスとテレス」の主題歌は中島みゆきの「心音」である。中島と松任谷はともに1970年代とデビュー時期の近いニューミュージックを代表する歌手である。しかし、ユーミンが明るい歌を歌ったのに対し、中島みゆきは表立って聞いていることを言いづらいほど暗い曲を多く歌っていた。まさにネガとポジの関係性にあると言えよう。

現在日本は14年連続で人口が減少しているが、「アリスとテレス」はまさにそれの激しい地方を描いた作品であろう。どこであっても進むことができるというメッセージは明るいが、一方で「置かれた場所で咲きなさい」というネガティブな側面も感じられるのであり、そうした鬱屈が登場人物たちにも内面化され閉じ込められているようにも思えるのである。

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