「霊を信じるが無宗教」宗教的意識のズレ

日本人の間では、個人的な信念や実践は宗教とは呼ばれません。個人と社会の間の拘束力が強い中間団体が、とくに「宗教」と呼ばれる傾向があります。

各種の宗教意識調査を総合すると、「宗教」を信仰する人は20%台であり、大学生に至っては1割に満たない。ところが、霊魂やあの世の存在への肯定回答率は過半数を超えることがあります。

つまり、現代日本においては「霊を信じるが無宗教」という層が広まっている可能性があります。

江原氏のように「宗教」と批判的距離を置きながら、「霊」への関心を満たしてくれるようなカリスマ的存在が受け入れられる背景には、このような宗教意識の土壌があるのです。

宗教に対する世間の逆風の中、宗教について考えると、実は牧師でもある私自身「宗教」という言葉は嫌いです。

宗教は、何か人間臭さを感じるのです。

これは、誰でも感じているのではないですか?

ただ、宗教がなぜ存在するのか?と問うならば、それは「生命」に関わる事柄を探求する分野だからです。

そして、「生命」=「霊」について真理を解き明かすのが宗教の働きです。

哲学や思想。道徳的な教えが目的ではなく、なぜ私達が存在するのかという根本的な意味を見つけ出すこと。

それが、もっとも重要な事柄です。

地上生涯を生きてゆくうえで、なぜ生きているのか?

なんのために生きるべきか?

それを知ることは大切な事です。


ガラテヤ人への手紙 5:13 口語訳‬
[13] 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?