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ザン・ ベレニウク

11月11日 アルジャジーラ:(2,773 文字)
ウクライナのオリンピック レスラーで初の黒人議員ザン・ ベレニウクは、彼自身がウクライナ人が異人種をどのように認識しているかを示す、「最良の例」であると言います
「ロシアは隣国のネオナチを排除しなければならない」とプーチンがウクライナ侵攻を正当化する一方で、ウクライナはあらゆる人種を歓迎する国だとザン・ベレニウクは言います

ザン・ベレニウク

ウクライナ初の唯一の黒人議員であるベレニウクは、アルジャジーラに対し「私の目的は、ウクライナが寛容な国であることを示すことです」と語る
「私自身が、ウクライナの人々が異なる肌の色を持つ人々をどのように受け止めているかを示す、最良の例だと思うからです」
ゼレンスキー大統領率いるリベラル政党「国民の僕」に所属するベレニウク氏は、ウクライナを単純に寛容な国だと考えているわけではありません

1991年、ウクライナ人の母スヴィトラナ・ベレニウクとルワンダ人の父ヴィンセント・ンダギジマナの間にキーウで生まれたベレニウクは、アフロ・ウクライナ人であると自認しています

キーウに留学し、ベレニウクの母親と知り合ったルワンダ人のパイロット、ンダギジマナは、1994年にルワンダのツチ族に対する大量虐殺の際に亡くなっています

ベレニウクは9歳のとき、レスリングに出会いました
15歳で、キーウのコンチャ・ザスパにあるオリンピックセンターでトレーニングを開始し、グレコローマン・レスリングのウクライナ・チャンピオンになることを目指しました

そして2006年からは、ほぼ毎日グラウンドでトレーニングを行っています
しかし、今年2月24日以降、新たな理由でセンターを訪れるようになったそうです
スポーツマンとしてではなく、政治家として現地を訪れることになったのです

ベレニウクは、ロシアの侵攻によって避難してきた何千人もの人々の食事や支援、転居を手伝っています
彼は、ロシアの激しい砲撃から逃れるため、ウクライナ西部を目指す多くの人々の輸送を指揮しています

「2月24日のエスカレーション以前は、ロシアがウクライナに侵攻するとは思っていなかった
この戦争が始まってから8カ月が経ちます
ロシア人は、論理的に行動することは苦手ですが、しかし、論理的に行動して欲しいと我々は願っています」

「キーウだけでなく、ザポリージャ、ドニプロ、ハルキウもミサイル攻撃を受けているんです
これらの都市の人々は、ほとんどがロシア語で会話するひとたちです
ロシアは『ロシア人を救わなければならない』と言いながら、ロシア語話者たちの住む地域を攻撃しています
辻褄が合いません」

「合理的な思考と論理が勝るように願っています」

ゼレンスキーとの出会い

2010年、ベレニウクは欧州レスリングや世界選手権でメダルを獲得するようになりました
知名度が上がり、テレビにも出演するようになり、当時俳優でテレビプロデューサー、後にウクライナ大統領となるゼレンスキー氏との出会いもありました

ゼレンスキーはベレニウクの意見に耳を傾けたようです
二人は意気投合し、2019年、ゼレンスキーは新たに結成したリベラル政党「国民の僕」の一員として選挙に出馬しないかとベレニウクに打診しました

「私は彼に、レスリングの目標があることを話しました」と、ベレニウクは言います
「リオ(デジャネイロ)のオリンピックで2位だったので、次の東京でそれを越えるつもりでした
この会話は2019年のことで、翌年にオリンピックがあると思っていました
しかし、コロナのせいで大会が2021年に延期されました」

ベレニウクはゼレンスキーのチームに入り、2019年7月にウクライナ議会の副議長に選出された
今でも、なんとかレスリングを続けている

「私は政治家であり、スポーツマンでもありました
とても困難で、多くの課題がありました
暇な時間はなく、政治と、オリンピックの準備をしてくれていたコーチとジムに行く時間だけでした」

その努力が実を結び、ベレニウクは2021年の東京大会でウクライナ唯一の金メダルを獲得することになった

しかし、ロシアが母国に戦争を仕掛けている今、リスクに晒されているものが大きすぎ、2度目のチャンスはない
スポーツマンと政治家というのは、これ以上ないほど異なるものだが、ベレニウクがアスリートとして学んだ原則のいくつかは、政治の世界でも役に立っている

「スポーツは私に冷静さを教えてくれました
大きな戦いには、すべての活動を正しい方法で集中する必要があるのです
だから、私はパニックを起こさず、必要な人を助けようとしています
また、レスリングは、困難な状況でも決してあきらめず、強くあることを教えてくれました
特に、ロシア軍がキーウに進駐してきた時は、大変でした」

ベレニウク氏は、机の下に護身用に3丁の銃を置いていたという
現在は金庫に保管しているが、万が一、露軍が戻ってきたときのために、定期的に射撃訓練教室に通っている

アフリカの中立性

ロシア軍の爆撃が降り注ぐ中、ベレニウクはアフリカ諸国を訪問し、ウクライナに対する大陸の支持をより強固なものにしようと試みた

「アフリカのさまざまな国々とより緊密なコミュニケーションをとる必要があります」

10月中旬には父の祖国であるルワンダや南アフリカで国会議員たちと面会した
その対談中、ウクライナの対ロシア闘争と、人種差別主義者のアパルトヘイト政権から脱却した1994年の南アフリカの闘いを比較し、10月の国連非難決議を採択しなかった国にも考えを改めるよう呼びかけている

多くのアフリカ諸国は平和を呼びかける一方で、ロシアを直接非難することは控えている
ソ連時代から「長い間」ロシアはアフリカ大陸に存在していたため、モスクワと強い関係を持っている国もある、とベレ二ウクは言う

ウクライナはアフリカの小麦輸入の12パーセントを供給し、肥料やひまわり油などの重要な商品も供給しているが、ウクライナは1991年にソ連から独立したばかりなので、アフリカとの付き合いが短いように見えるのかもしれない、とベレニウクは述べる

「ウクライナはソ連邦の一部だったにもかかわらず、ソ連時代に現代ロシアだけがアフリカ諸国を助けたかのようにロシア当局は歴史を塗りつぶしてきました
父親は、ソ連のルワンダ人に対する移民政策がなければ、母親と出会うこともなかっただろう」とベレニウクは言う
「ロシアの第二次世界大戦についての語り口と同じです
ロシア当局は、あの戦争に勝ったのはロシアのおかげと言うが、勝利のために共に戦った連合軍のことは忘れています」
(終わり)

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