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戦争の匂いについて

5月25日 ラジオ・リバティ:(2,539 文字)

ロシア人達の精神 エレナ・ファナイロヴァ - 戦争の匂いについて

キーウで開業している心理療法士の友人が、ブチャとイルピン解放後の、クライアントたちの主な悩みについてFacebookに書いていました
故郷に戻り、平和な生活を築こうとしている人たちについてです
親族や隣人が殺害された精神障害を受けた人でもなければ、レイプの被害者でもない
(後者はあまりにも難しいケースであり、彼女はほとんど引き受けないことを認めています)
露軍たちに家の中で糞をされた(奪っただけでなく、壊しただけでもなく、文字通りの意味で)市民の人たちです

寝室、食卓、子供部屋の壁に、Zの文字や脅し文句が糞で書かれているのです…
今、ウクライナ人は悲しみだけでなく、この悪臭にも対処しなければいけません
この悪臭のために、誰もが耐え難いほど気分が悪くなっています

ブチャによって知られるようになった、民間人に対する大量虐殺、破壊と死、無法な処刑に比べれば、これは説明の難しい不条理で非合理的な露兵たちの「落書き」のように思われるかもしれません

彼女のFacebookの投稿のコメントに、2002年にクラクフで出版された『手紙、あるいは物質の抵抗』(ウクライナ語版とポーランド語版がある)に収録されている、スタニスワフ・レムがアメリカ人翻訳者に宛てた手紙へのリンクを、友人が紹介してくれています

1977年、スタニスワフ・レムはソビエトがドイツに進駐した後に書かれた1945年のドイツ人医師の手記を読み、本文を要約しています
彼はナチス・ドイツの悪の冷徹な合理性を強調するのですが、ここに驚くほど今日に通じる、韻を踏む言葉があるのです

「...どんな動物も、ロシア人が見せたような、排泄の狂乱を見せることはありません
ゴミ屋敷の居間、病室、便器、クローゼットを排泄物で満たし、本やカーペット、祭壇に糞をしているのです
彼らは大喜びしながら、この全世界を傷つけ、踏みつけ、破壊し、糞をして、同時にレイプしながら、殺すことができるのです…」

そしてレムは、こう締めくくります

「私のような過激な無神論者には『神は存在しないかもしれないが、サタンは、おそらくまだ存在しているのだろう』という考えが何度も甦るのである
巨大な超大国、(誰も信じていない)偽りのイデオロギー、偽りの文化、音楽、文学、教育、
社会生活が、AからZまで全てが偽られている
だから、とても良心的に、抑圧された中で、警察の監視の中で、こう考えるのは当然です
『蝿の王(ベルゼバブ)以上に(彼らの王に)ふさわしい人物がいるだろうか?』

もちろん、サタンがいないことは分かっています
しかし、ある意味では、克服到達基準が無い(the absence of the Negative Pole of Transcendence)ので、診断としてはさらに悪い」
( アレクサンダー・ボンダレフ 訳)

結局のところ、レムが指摘した、国民の深層心理と現在の政治的意図がほとんど変化していない国であることが分かるだろう

ウクライナの家に残された糞のかたまりは、いわゆるスカトロ行為であり、野蛮な状況が生み出す症状です(ソビエト時代の破壊された露の教会にある乾燥した糞の山を見てください)
ウクライナの町で、恐怖とストレスのせいで糞をしたのではないのです
ロシア兵たちは昔ながらの方法で行動したのです

殺すことが許されるなら、すべてが許されると彼らは考えたのです
処罰されない逸脱行動こそ古風な「領土侵略者」の症候群であり、それに従って、ロシア兵たちは攻撃的な動物のようにマーキングしたのです

ブチャやイルピンの事件において、個人的資質は消失しているので、個人的心理や文化の枠組みの中で個人の動機を説明することは、科学的見地からも常識的理由からも無意味で不可能です

レムが提案するように、悪の形而上学に目を向けてみましょう
それが「特殊作戦」でも顕著に表れています
(注:「形而上学」とは「人間の内面と内面によって引き起こされる行動の関係性」ぐらいの意味)

社会的努力、文化的努力によって抑えむことができる、個人の悪の側面が、形而上学的に社会性よりも強く現れている
(注:日常では各個人が持っている「社会規範意識や道徳、宗教的倫理観」で制御されている「破壊衝動などの本能的な欲求」が、全ての理性を凌駕し、「戦争だから何やってもいいんだぜ!ウクライナ人は敵だから、なにしてもいいんだ!ここでは何でも許される!ひゃっはー!」と行動している、という意味だと思います)

その悪の側面が多くの露兵の心を捉え、彼らに、ありきたりのシナリオに従った行動をさせているのです
「ウクライナ人を殺し、拷問し、性別、年齢を問わずレイプする」というシナリオです
そのシナリオは、ロシアの刑務所によくある、限界のない暴力のシナリオであり
ロシアの田舎にある、妻が口答えしたら殺す、という有名なシナリオです

ロシアのプロパガンダが後押ししてきた、そして今も後押ししている、暴力のハードルを越えさせること
「殺してはいけない」という境界を越えさせることを、社会を操作する方法として使っているのです「何をしても許される」という感覚を与え、人間らしさの概念を破壊しているのです
これが、ロシア当局が大衆の中に悪へのチャンネルを開き、ロシア人を新たな(ウクライナの)ターゲットに対して攻撃させている、実に恥知らずな方法なのです

ブチャや他のウクライナの都市における、今のロシアの悪は、個人的な主観の動機によるものでは無く、互いの忖度によるものです
その実行者たちは人格的特徴を失い、典型的な強姦魔のように振る舞っています
(当局の命令のせいか、恐怖のせいか、あるいは一部のアナリストが書くように「地元住民が花を持って出迎えなかった」せいか -露兵は「挨拶に出てこない」ウクライナ人の家に押し入っている)

主体性が無いからこそ、この悪(の動機)は「説明」することも、合理化することもできません
その悪は、模範的な国際法廷によって、どんなに時間と官僚的な費用のかかるものであるとしても、必ず大きな文明的スケールで罰せられなければいけません
(終わり)

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