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この戦争は、どう始まったか

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ロシアのウクライナ戦争の当事者となった人々のオムニバス
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2023年1月の記事一覧

この戦争は、どう始まったか -Index

順番に読み進めてもらえれば、この戦争について十分な理解を得られるように配置しました 戦争が始まったとき、どのような状況になり、どんな理由で、どう行動したのか 何が生死を分けるのか 様々な立場の人たちの、それぞれの背景と行動、そしてその結果を知ることは、いつか戦争の当事者となることがあれば、必ず役に立つと思います 戦争が始まる直前、直後の判断は最も重要です 開戦直後を切り抜けることができれば、貴方と貴方の大事な人たちが無事に生き残る可能性は大幅に高まるでしょう そして、何をしな

この戦争は、どう始まったか -バフムート大隊(1)

2023年1月18日 ウクライナ・プラウダ:(3,634 文字) ドンバスとは私たちのことです。私たちは自分の国のために戦っています。ウクライナ軍「Great Battles」プロジェクトは、数ヶ月前から激しい戦闘が続いているバフムート周辺を訪れました 私たちが目指したのは、本格的な戦争が始まって以来、街を守り続けているにもかかわらず、ジャーナリストによってほとんど語られることのない部隊についてお伝えすることでした 夕方、ソルダール郊外の5階建てビルに陣取ったホロドニー・

この戦争は、どう始まったか -バフムート大隊(2)

(3,127 文字) 炭鉱夫とトラックドライバーについての事実 ハイブリッド侵攻における、「ドンバスの鉱山労働者とトラクター運転手」の「民兵組織」に関するロシアのナラティブ(物語)を覚えているでしょうか? (注:2015年のデバルツェフの戦いについて、プーチンはウクライナ軍が「昨日まで鉱山労働者とトラクター運転手だった民兵」の組織に負けたと発言し、ロシア正規軍の関与を否定した。) 注:「デバルツェフの戦い」の詳細については「ローマン・ウースティ」を参照ください その物

この戦争は、どう始まったか -バフムート大隊(3)

(4,565 文字) 私たちは、ウクライナ人の生き方を変えるために戦っています バクムート大隊の「退役軍人」はセルゲイ・アナトリエビッチだけではない もう一人の「退役軍人」はオレグ・イグナトフ、64歳だ 彼も最近、戦車の砲弾の破片が右腕に当たり負傷した 手はまだギブスをしているが、人差し指は動かすことができる 「機銃手にとって、これは最も重要なことです」とイグナトフは言う 医師はもっと長く治療するようにと言ったが、オレグは病院から部隊に逃げ帰ってきた 「お医者さんた

この戦争は、どう始まったか -ファントム(1)

ファントムの経歴、バンコバの守護者から領土防衛軍突撃部隊へ12月22日 ウクライナ・プラウダ: 33歳のオレクシィ・ファンデツキーは、アンチ・マイダンから、突撃中隊の伝説的な戦闘指揮官となるまで、長い道のりを歩んできた 彼は、所属するキーウ領土防衛軍241旅団130大隊の外でも広く知られている コールサイン「ファントム」を持つ兵士の物語は、多くの事実、驚くべき歴史の転換点、彼が直接参加した出来事で人々に感動を与えている 物語の伝え方、事象の分析、至った結論は、分析的思考の

この戦争は、どう始まったか -ファントム(2)

(3,976 文字) 市民生活復帰の試み 年齢と経験を重ねたオレクシィは、紛争地の実情や情報を細かく分析するようになり、前線での戦いのレベルに失望するようになっていた こうした背景から、2016年、軍事的な仕事を完全に辞めることを決意した そして彼はビジネスを始めた そこで彼は印刷の分野の起業家という新たな才能を見出した その複雑な工程を理解するために、彼は工房に通い、エンボス加工、製本、印刷など、生産の細部まで学んだ 今では、触るだけで何十種類、何百種類もの紙を見分け

この戦争は、どう始まったか -ファントム(3)

(4,947 文字) デメンティエフカ ハルキウ地方北部のデメンティエフカ村の陣地は、放棄するわけにはいかなかった 近くに戦略的要衝があるからだ これを落とすと、ハルキウの安全を保っている地区へ、ロシア軍は砲撃を再開する ファントムはそのことをよく理解していた 周囲では絶え間なく爆発音が鳴り響き、30分ごとに街の風景が変わっていった 地図にある家屋が無くなり、木が倒れ、あちこちから無線を通じ、かすれた声で報告が入ってくる 「200番(戦死者)」「300番(負傷者)」「負

この戦争は、どう始まったか -ミハイロ・ユルチュク

(4,173 文字) 7月、ミハイロ・ユルチュク ウクライナの人々は毎日戦火に苦しんでいます 地雷による重傷、銃創、火傷敵の兵器は、誰を殺したか気にもしていないミサイルや爆弾は、軍人も民間人も、大人も子供も同じように負傷させている ウクライナの医師たちは、同胞のために勇ましく戦い、最も困難な患者さえも「あの世から」連れ戻してくれています それでも、誰もが手足を救われているわけではありません そして、傷ついた人の数を敵に教えることになるので、その数は秘密ですが、何百人という

この戦争は、どう始まったか -ミコラ・ドンチェンコ(1)

ウクライナメディア: 息子を守るために戦争に行ったが、結果的に、息子に命を救われた負傷前のミコラ・ドンチェンコ二等軍曹は、TRO(領土防衛軍)第130大隊で戦った ロシアがウクライナに本格的に侵攻する以前から、アフガニスタンに従軍していたため、戦闘経験がある そのため、ロシア・ウクライナ戦争では「アフガン」というコールサインをもらっていた 2010年に甲状腺を摘出する手術を受けたので、ドンバスの戦争に行くことはできませんでした しかし、TROへの入隊を勧められ、ロシアの攻

この戦争は、どう始まったか -ミコラ・ドンチェンコ(2)

(3,500 文字) 現在も治療中ですか? 今は違います 11月4日に、何と言えばいいのか... 健康上の理由で退院することになりました!(笑) ほら、ハルキウから運ばれてきたとき、腕にプレートを入れて、18本のネジを打ち込んでるんです しかも、まだ取り出せていない欠片もあります それで、感染症になって炎症も起こしました 3ヶ月間、抗生物質を注射することで適応しました その後、休職を与えられて、毎日病院に包帯を巻き直しに来ていました 8月に言われたんです「海外に送るから

強制連行された子供 -セルヒー(1)

12月30日 ウクライナメディア:(4,110 文字) 「助けて」強制連行され、ウクライナに帰国した十代の子供の話12月下旬のオンブズマン事務所の報告によると、16歳のセルヒーはウクライナに戻ってきた 3月、当時15歳の少年は占領地に強制連行され、ロシア連邦に送還された後、ロシアの里親に預けられた ロシアのオンブズマンが進んでロシア・パスポートの強制配布を進めたのだ 逆にそのお陰で、セルヒーはウクライナに戻ることができた この記事の著者は、ロシア連邦に滞在していた頃のセ

強制連行された子供 -セルヒー(2)

ウクライナへの連絡 携帯電話に位置情報アプリを強制的にインストールされ、一定時間しか会話できず、養親に行動をコントロールされていてコミュニケーションをとる時間はあまりなかった それでも、セルヒーの言葉に迷いは無かった 「ウクライナに帰りたいんです 助けてくれる? お願いします」 祖国を爆撃し、祖国の言葉を敵視し、彼らが全てを決定し、セルヒーはそれを喜ぶべきだと、なぜか信じている外国人たちに囲まれた異国の地で毎朝目覚めながら、少年の言葉はいつも希望を失っていなかった 「