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足乳根の母は死にたまふなり
母という“秩序”がこの世から失せたのは30年以上前のことだ。子はのち、大人となり、人並みの苦労も味わった。しかし今、失われ取り戻せないものがあると強く思っている。それは母の存在を中心に構成された“いつかの世界”のことだ。
いさぎよい人生でありたいと願う。グズグス言うのも性に合わない。しかし『ボクは迷子になりました』と大きな声で叫ぶ。喪失感が豪雨のようである時、やまない雨だと思う時に。
むかし森鴎外の『山椒大夫』という作品にふれたことがある。安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)の物語だ。
離別、経済(労働)、病、死、孤独の物語は近代人の避けがたい苦しみを描いている。
ただ母との数奇な再開という運命が、生きることの苦役を昇華し、あがいても解けない頸木(くびき)につながれ咽(むせ)ぶ魂を解放するのだ。
今日、親子の愛はとうに色褪せてしまっている。そして《わたし》は淋しき捨子で、時と場所を選ばず泣くようだ。
捨子はそのまま老境に入ろうとしている。そして“いつかの世界”から取り残されて死ぬのだろう。生きてきた穢(けが)れはそのままに、誰の手にも届かない《他者》として、この社会に投げ込まれ、ゆっくりと静かな海に沈むように。
そう…その時、生き別れた子等を慈しむ盲(めし)いた母のうた声は、かすかに響いてくれるのだろうか。
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
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斎藤茂吉(1882年-1953年)→
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