神庫阪千東

日本国籍の還暦を過ぎた老人です。noteでは「肖像文」というタイトルで古今東西の歴史上…

神庫阪千東

日本国籍の還暦を過ぎた老人です。noteでは「肖像文」というタイトルで古今東西の歴史上の人物について、エッセイを書いていく予定です。

最近の記事

源信(二)

 源信は9歳から比叡山で仏道の修行を始め、大変優秀であったことから5年後に得度している。またその翌年、村上天皇により法華八講を説く講師にも選出されて下賜を受けた。そして賜与の褒美の品を、大和国の故郷で暮らす母親へ送ったところ、意外にも送り返されてしまう。ところがこの源信のエピソードは極めて重要で、ひょっとすると源信の母親は、源信よりも優れた宗教者であった可能性がある。また紫式部は、源信その人よりも、この母親と源信がセットになった仏教観から影響を受けたと解釈した方が正解かもしれ

    • 源信(一)

       前回、紫式部について書いた。今回noteに書かせていただくのは、彼女と同じ平安時代を生きた僧侶、源信である。ただ源信は紫式部よりもずっと年上者であり、あの「源氏物語」が完成した頃には、もう古希に近い老人であったと思われる。そして興味深いのは「源氏物語」において、この源信をモデルにした登場人物が第三部に現れることだ。それは「横川の僧都」という僧侶で、彼の人物造形には紫式部の仏教観が如実に反映されている。そして恐らく彼女の仏教観は、源信から多くの影響を受けていた。阿弥陀仏に救済

      • 紫式部

         最近、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を視聴していて、少し気になる発見があった。それは主人公まひろが、少女時代に遭遇した母の死を思い出し、泣きながら悲嘆するシーンだ。この吉高由里子さん演じるまひろこそ紫式部であり、彼女の熱演も相まって、この偉大な女流作家に抱いていた人物像が、今更ながらに深まった気がする。  ここでまひろは、殺害された母の悲劇に、痛切な自責の念を感じており、もし仮にあの日あの時、自分が騎乗の殺害者に対し障害物のようにぶつからなければ、母の死は起きなかったのに

        • 「肖像文」というタイトルを掲げてみたものの、元々肖像とは人の外観を表す意味で使われることが多い。特にリアルタイムの今の視点で語ろうとするなら、肖像は外観の印象そのものになりそうだ。つまり虚実を綯い交ぜにしても、焦点を当てた人の情報量がかなり多く、それ故その人の人物評を書くにしても、あまり想像を働かせる余地が無い気がする。その意味では、古くから歴史に名を残している人々の姿形は曖昧なことこの上ない。またその逆も真なりで、空想の翼を広げ過ぎてどう転んでも誇張が度を超してしまったケー