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「肖像文」というタイトルを掲げてみたものの、元々肖像とは人の外観を表す意味で使われることが多い。特にリアルタイムの今の視点で語ろうとするなら、肖像は外観の印象そのものになりそうだ。つまり虚実を綯い交ぜにしても、焦点を当てた人の情報量がかなり多く、それ故その人の人物評を書くにしても、あまり想像を働かせる余地が無い気がする。その意味では、古くから歴史に名を残している人々の姿形は曖昧なことこの上ない。またその逆も真なりで、空想の翼を広げ過ぎてどう転んでも誇張が度を超してしまったケースも多々見受けられる。そうなってしまうと今度は曖昧さが消失しても、今風に言えばフェイクニュースで形成されたような肖像が誕生することになってしまう。

 興味深いのは、長い年月に渡り歴史的に名を轟かせた人物のイメージとして定着してきた肖像画が、現代のテクノロジーも踏まえた調査や研究の結果、実は別人であったことがあっさり判明したりすると、既存のイメージが見事に覆されてしまうことだ。特に鎌倉幕府を創建した源頼朝などはその典型であろう。ただし彼の場合、ずっと本人だと解釈されていた絵の中の人物が人違いであったことで、むしろその実人生は美化されたり英雄視される傾向が薄れて、無難に妄想から現実へ着地したようだ。

 源頼朝は天下の大天狗と呼ばれた後白河法皇と互角に渡り合えるほど、巧緻で冷徹な頭脳の持ち主だが、この静かで涼しげな肖像画の表情には陰謀を企むような狡猾さは感じられない。そして何より九死に一生を得た経験から滲み出る気骨や生臭さとも無縁である。つまり平清盛に処刑される運命を池禅尼の助命嘆願で救われていながら、伊豆の流人の身から反旗を翻して最終的に平家を滅ぼすに至る、そんな男にはやっぱり見えてこないのだ。こうした不敵で抜け目ない権力者の本性が象徴的に表現されているのは、間違いなく山梨県の甲府市の善光寺に存在する木像の方であろう。多分この木像を拝見して、源頼朝の生涯を美辞麗句で飾りたくなる人は少ないのではないか。

 これから私のnoteに登場する人々は古今東西を問わず、古代から中世、それに近世あたりの時代から飛び出してきそうだが、肖像画が現存している人物にはくれぐれも要注意しておきたい。そして今回、noteを始めたのは、2016年から始めたブログが長文になりがちな為、自分の頭の中を整理する意味でも、人物に関する叙述はこちらで纏めてみたくなったのがその理由である。たとえば室町時代を生きた画聖の雪舟は、彼の絵を主題にして3回ブログに書いたが、今後また雪舟の絵について書き留めたくなれば、そちらはブログの場に譲り、雪舟その人についてはこのnoteにじっくり書き残しておきたい。以下に紹介するアドレスは私のブログです。


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