見出し画像

愛を探す場所

何気なく目にした記事で「ココロの借金」という表現を見つけた。

なるほどな~と自分の体験と重なって納得する部分もあったのね。

最初になるほど~と思う部分を書いてから、

エイブラハムはどういっているのか書いていくよ。


「こころの借金」 なるほど~

まずは記事の中からの引用

恋愛や結婚で見逃されがちなのが、女性の持つ心の傷である。
親との関係がうまくいっていない人ほど、恋人や配偶者に多くのものを求めてしまうことは心理学で証明されている。
直美さんだけでなく、私がこれまで取材したカサンドラ症候群の女性たちは、家庭や家族に対する思い入れがかなり強いように感じている。
家庭は誰にとっても大切な場所で、「家庭を大事にしたい」と思いは「いいこと」なはずだ。
それなのに、なぜ「家庭を大事にしたい」という思いは報われないのだろうか。

いろいろな事情で、直美さんのご両親が、暖かい家庭を直美さんに与えられなかったことは事実だ。
そのため、直美さんは心に傷を負い、恋人もしくは未来の配偶者に「家庭を大事にすること」を求めることになる。
これは当然のことに思えるが、この心の傷をお金に置き換えて考えてみよう。
直美さんの親が直美さんに背負わせた負の遺産、つまり借金を、まったく無関係な恋人に返済させようとしていると見ることができる。
生育環境によってもたらされた心の傷を、私は「ココロの借金」と呼んでいる。奨学金などの借金の場合、多くの人は「自分の問題、自分の責任」と考えて、恋人に返済を迫ることはしないだろう。
しかし、「ココロの借金」の厄介なところは、無意識に恋人に返済をせまってしまうことで二人の関係を破綻に導くことだ。
母親が“アスペルガー症候群”の家庭で育った30代女性が、男性から何度も何度もフラれてしまった理由

この部分の後にオードリー・ヘップバーンは過酷な子ども時代を過ごし、大人になってから温かい家庭を築こうともがき、やりすぎになっていたエピソードもあるから、興味のある人は読んでみてね。

さてさて、
自分の問題である
「ココロの借金」を無意識に恋人に返済を迫ってしまう・・・

この例えはなるほど~と思うよ。

それ、風見婆の過去の姿そのままよ~(^-^;

育った家が温かい家庭ではなかったから、思いやりのある温かい家庭がほしかった。

無理やり絵に描いたようなイメージの家族になろうとして、やりすぎ風見婆になっていたな~と今は思う。

傍からみるとよさそうな家族だったかもしれないけれど、風見婆の心はみたされていなかった。

子どもは可愛かったし、ママ友もたくさんいて、生活にも何一つ不自由はなかったけれど、何かが違う・・・そんな気持ちをいつもしていた。

ところで、生育環境によってもたらされた傷が、なんで自分の「ココロの借金」になるの?と思う人もいるだろう。

これは記事後半のエイブラハムの教えにそって、風見婆が考えるところを書くね。


いろいろな思い込み

再び引用

アメリカの臨床心理士・ハワード・M・ハルパーンは 『ラブアディクションと回復のレッスン 愛への依存を癒す』(学陽書房)において、このような癒着が起こる原因のひとつに、女性側の人間関係全般や自分自身に対する“思いこみ”をあげている。
ハワードは「私はもてない」「私は無能だ」「私はつまらない人間だ」など低い自己評価を抱えていると、辛い目に合うとわかっていても「あの人のもとにとどまるしかない」と思いこんでしまうと解説している。

注意すべき“思い込み”として、ハワードは「愛こそすべて」「愛は永遠」「安定が一番」「離婚は落伍者」「独身は恥」「結婚してこそ、一人前」を挙げているが、これらはほんの数年前まで、バラエテイ番組やフィクションの世界で「真実」とされて、繰り返し女性に刷り込まれていたことばかりと言えるだろう。特に注意すべきは「女性とは」「恋愛とは」「結婚とは」というカテゴリである。これらは時代によって考えが変わる。
なので、100%証明できること以外は、みんな“思い込み”と考えてほしい。
母親が“アスペルガー症候群”の家庭で育った30代女性が、男性から何度も何度もフラれてしまった理由

思い込み うんうん本当にいろいろある。

風見婆の思うところを書いていくよ。

プラスになる思い込みもあると思うけれど、自分の存在や価値、感じ方までも否定してしまうような思い込みって本当にたくさんあるよね。

その思い込みが自分の思考・行動の自由や選択の範囲をいつの間にか狭めている。

思い込みの殆どが、日常的に親や教師や他人や社会から繰り返し言われたり、どこかTVやネットで知ったりしたことだったりする。

いつの間にか、それを受け入れて同じような言動をしていたりする。

そのような思い込み つまり 思考は磁力を持つからその思い込みのとおりの現実が引き寄せられていくと予測できる。

けれど、その思考は自分で意識して選択したものではないし、

その思考と本当の自分(インナービーイング)には何かしらのギャップがあることが多い。

自分で気づいていない場合があるかもしれないけれど、それらの思い込みに対して何かネガティブな感情があると思う。

なので、「良い男性に巡り合い、結婚してこそ幸せ」
(この思い込みの中には、夫・義両親を立てて我慢、男(女・結婚)とはそんなものような暗黙の了解みたいなものも含まれているような気もするが)

そうつまり、世間や周囲の理想≒思い込みに、ポジティブな期待ばかりではなく、ネガティブな感情があることもある。

なので、世間や周囲が語るような理想の状況は現実としてなかなか創造されない。

それと自己肯定感の低さ(思い込み)があるともう相乗効果(*^_^*)

引用した記事の当事者の方は母親がアスペルガー症候群(最近は自閉症スぺクトラム、そして神経発達症と変わっていくようだが)

風見婆の母親もそうだから、おそらく育った状況は似ている点もあると思う。

風見婆は子どもの頃、言葉でちゃんと肯定してもらったことはなく、否定と叱責が多かった。

母親以外の人に褒められていい気分でいる、良いことがあっていい気分でいる時も、重箱の隅をつつくようにほじくり回されてやっつけられた。

もうさ、自己肯定感どころか、世の中の大人は意地悪だ、外でいい顔や親切なふりをしていても心の中では何考えているかわからないんだ・・とか。
もう世を恨み、憎しみ、全ての人を疑っていた。

そんなネガティブな思考をたくさん持っていたので、
そういう現実がどんどん引き寄せていたわけね(^-^;

今だからはっきりわかるのだけれどね。

(*ネガティブな感情が悪いわけではないよ
 そこからどうするかが重要なんだ。)

では次にエイブラハムはどういっているかで書いてみるよ。


愛を間違った場所で探していますよ by Abraham


良い関係性とは?


「Flawed Premise #19: A good relationship is one in which the dominant intention of each person involved is to find agreement and harmony with the other.」

—『The Vortex: Where the Law of Attraction Assembles All Cooperative Relationships』Esther Hicks, Jerry Hicks著
https://a.co/hOjnLJZ

『  欠陥のある思い込み 19

良い関係とは、同意や調和を見出すことが互いの間で当然のようになっていることである。

これは間違った思い込みなのですよ。』

え~!!

同意や調和を見出すことができる関係 は良い関係じゃないの????

なんで~なんで~なんで~⁉

How could two people looking to find harmony with each other possibly be the wrong basis for a good relationship and a happy life? 
Both people have created their own Vibrational Escrow (Vibrational Reality) to which they must seek harmony if they are to be happy. 
When finding harmony with your mate takes precedence over finding harmony with your Inner Self, there is a strong probability that discord between you and Source will occur. 
That feeling of discord is then translated as a feeling of loss of freedom; and then your partner, with whom you truly want to find harmony, begins to feel less good.
 Your loss of connection to your own Source feels off to you, and is off, and so then (without wanting to) you begin to resent the partner whom you are trying to please. 
In short, there is no substitution for alignment with Source.
The Vortex

お互いに調和を見つけようとしている二人が、どうしてよい関係と幸せな生活の間違った基盤になるのでしょうか?

二人とも幸福になるための調和をそれぞれの波動の現実に創造した。

相手との調和があなたのインナービーイングとの調和よりも優先される時、

あなたとソース(インナービーイング)との間に不和が起きる可能性が高い。

この不和の感覚は自由の喪失として感じられる。

それから本当に調和を見つけたいと思っているあなたのパートナーは気分が悪くなり始める。

あなたのソースとのつながりの喪失、つまりあなたはソースにつながっていないので、あなたはあなたが喜ばせようとしているパートナーに怒りを感じる。

つまり、ソースとのアライメントに変わるものはありません。

*ソース(インナービーイング)はいつも無条件の愛でいる
相手との調和をソースとのつながりよりも優先させるという事は、無条件の愛の場所から外れてしまうということなんだ。
ネガティブな感情を感じる時はソースとのつながりから外れていますよという指標だよ。


愛を探す場所

Again, you are looking for love in all the wrong places. 
We are not suggesting that you should not want to get along well with your mate. 
But we are strongly suggesting the powerful benefit of seeking, first, alignment with Source. 
When you find alignment with the Source within you, you also find alignment with your furthermost expansion. 
And when you are in alignment with who-you-really are and all that you have become, you are then automatically in harmony with the best of your relationship with your partner. 

Couples, or anyone involved in co-creating of any kind, who attempt harmony by trying first to please each other always discover the flaw in that premise. 
If you are not selfish enough to seek and find harmony with your Source, you have nothing to give your partner anyway.

—『The Vortex: Where the Law of Attraction Assembles All Cooperative Relationships』

繰り返しますが、あなたは愛を全く間違った場所で探しています。

私たちはあなたの相手(仲間)とうまくやっていくことを望むべきではないと言っているわけではありません。

けれども私たちは、まず最初にソースとの調和を求めることのパワフルな利点を強く提唱します。

あなたがあなたの内なるソースと調和する時、あなたはあなたの拡大したバージョンとの調和も見つけるでしょう。

あなたが本当の自分と調和している時、あなたがなるだろう全てと一致している時、あなたは自動的にあなたとパートナーと最高の関係性で調和しています。

カップルでもどんな種類の関係性(共同創造)において

最初に互いを喜ばせようとして調和を試みる人は、そこで欠陥を発見します。

もし、あなたがあなたのソースとの調和を見出し、求めるほど自己中心的でなければ、あなたはあなたのパートナーに与えるものはなにもありません。



*風見婆は、一般的な親が子に対してもつような無条件の愛というのを知らずに育った。
毒親とか親ガチャという言葉が流行っているからそういう人は多いと思うけれど。

風見婆は、親の叱責や怒りをかわないように、機嫌を損ねないように、顔色をうかがいながら育った。
手指の皮はボロボロだったし、髪の毛もベトベトのときもあって、今で言うと虐待やネグレクトの範囲に入るかもしれないね。

その親との関係性は互い(親)を喜ばせよう(ご機嫌を取ろう)とする関係性だったんだね。

その欠陥のある思い込みで生きていたから、同じように親や周囲のご機嫌を伺い、喜ばせようとするパートナーに出会って結婚した。

そしてエイブラハムが言うように、夫や子供を喜ばせようとして、自分のソースとの一致、アライメント、調和から外れていた。

実家では親を喜ばせようとし、結婚してからは夫・義両親や子を喜ばせ、絵にかいたような家族でいようと頑張った。

自分のこと、自分の自由、内なる自分との一致は常に後回しだったり、気づかないようにして生きてきた。

そうして自由ではないと思っていた。
何か不足を感じていた。

自分のソースと一致しない限り、パートナーにも子どもにも親にも、他の関係性においても、周囲に与えるものは何もないんだね。

風見婆の今年のテーマはselfish 自己中心、何よりもソースとの一致

これだな~と今年の春ごろから思ってきたんだ。

今年限りじゃなくてずっとになると思うけれど。

自己中心 selfish って悪い事にとらえられること多いよね。

でもこうもいうよね。

自分を愛していない人は他人も愛することはできない。

これはちょっと、「自分のソースとの調和していなければ、あなたのパートナーに与えるものは何もない」 というエイブラハムの教えに似ているね。


この世界で愛を探している人は多いと思う。

この世界でたくさんの人が無条件の愛を実践できているわけではないし、
実はこの世界は無条件の愛・完全を体験するための場所でもないんだ。

コントラスト・対比を経験して、望みを発して拡大していく最前線の場所なんだ。

だからね、自分の外側に愛を探すのはもうその前提から違っているってことなんだね。

この世界の生きるすべての人は間違いなく宇宙から無条件の愛で愛されている。

そして肉体の存在している自分は非物質の世界に大部分を残してきたほんの一部分でしかないんだ。

非物質の世界に同時に存在しているソース・インナービーイングは、共にいてこの世界にいる自分に溢れんばかりの愛を注いでいる。

いつもね、ずっとね、絶え間なくね

ここにいる私たちが感じようと感じまいと

リラックスして ゆったりとして 

たまには思考をストップさせて(瞑想して)

どういうふうに感じるのか、思うのか、

一人一人違いががあると思うけれど、

きっとね、愛を見つけられると思うよ。


読んでくれてありがとね。



自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!