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7月4日は娘の誕生日🎂

21年前の出来事です。
私は転職して人間関係ぐだぐだ、仕事はまったくわからないことだらけ、マンションを買ってしまい、資金は無いは、引越しや手続きで忙しい。いま振り返れば、よくそういうことを勝手に自分が決めていたと、つくづく、バカ男だったことがよく見えます。こんなのだったら、そりゃー、メンタルボロボロになるよなーと。

さて、こんなとき

何があっても、娘を守るというのなら、別居を避けるべきであった。

けれども、一度離れるエネルギーを放出してしまうと、元に戻すことが難しい。

もし、家族を持つならば、そうならないようなエネルギーの持ち方(あり方)を身につけるべきですね・・・。今更ですが。


あのとき、娘は自分が守るしかない!そのように思いました。

娘が3歳のとき、家庭内でゴタゴタがありました。元妻のメンタルがよろしくなくなりました。きっかけは私にあったのです。私が会社へ行っている間にも、娘と一緒に過ごすことが困難になったようです。元妻は、「もう私とは一緒に住めない」とうことで、別居して療養することになりました。

でも、唯一の後悔は、娘をそんな妻に任せてしまったことです。だって、子供と母親は一緒にいた方がよいでしょうから、と思っていました。

ところが、別居が始まって2週間も立たないうちに、私の両親が察して、元妻の実家へ娘を迎えに行ってくれました。
当時の母曰く、娘がとっても寂しい思いをしていたといっていました。
その後、私の両親は、相手方の両親と元妻の同意を得て、実家へ娘を連れて帰ってくれました。あの即行は、素晴らしかったと思っています。もし行動しなければ、娘がどんな思いでいたのだろうか・・・

その後、私と元妻は、調停やら裁判やらをやりましたが、娘は、私の実家で、両親(娘の祖父母)と穏やかに、健やかに、友達もたくさんできて、高校卒業するまで、祖父母と暮らしていました。

さて、今日は娘の24歳の誕生日でした。
今は、遠く離れて暮らしているので、誕生日カードを電子でSNSに送りました。でも、21年前は、お誕生日のお祝いをしたものの、その後、娘に対して、「何があっても、パパが守りからね!」と一緒にお風呂に入ってくれた娘に向かって言わなければならない状況を招いてしまいました。

そんな娘は、東京の私立大学をコロナ禍でも、たくましく卒業し、いまはフリーランスでお仕事しています。

そして、今日の夕方に、娘に電話しました。
「お誕生日、おめでとう」

習いたての、伝筆(お手本無し)

欲を言えば、キリがない。
大家族がよかった、家を持ちたかった、ワンボックスカーで家族を連れてキャンプへ行きたかった・・・

でも、今日、そのように「誕生日、おめでとう」と娘に言えただけで、幸せを感じています。

両親には、感謝しても、しきれない。

もし、仕事が忙しくて、心に余裕がないと感じられている方は、現場で、ブツクサ文句を言っていないで、ぜひ、もっとも身近な方にお話を聞いてもらったり、相談してみると、一歩違ったっ自分になれるかもしれませんよ。


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