わたしのオッパイ
今日は朝から図書館のお掃除のお仕事をして、それから乳腺外科の受診。
正式には形成外科の先生の受診である。
2019年に乳がんとなり、右の乳房を全摘した後、乳房再建をした。
全摘術は乳腺外科の先生。
その横で再建術をしてくれたのが形成外科の先生。
形成外科の先生は女医さんで、乳房再建を専門にされている。
再建するには何通りも方法があるのだが、私は広背筋を移植する方法を選択。
一期と二期に分けられ、一期は全摘と同時に施行。
半年後に二期、翌年には乳頭の再建術もその先生にしてもらった。
がんを取っていただいたのは乳腺外科の先生で、ぺったんこになった私の右胸に見事なまでの膨らみと乳頭を作ってくれたのが形成外科の先生である。
今は、再発・転移のチェックを乳腺外科にて3ヶ月ごとにフォロー。
再建した乳房のチェックを形成外科の先生に1年ごとに診てもらっている。
私の場合、形は完璧(左と同じという意味)ではあるものの、赤みが今もまだ取れてなく、傷もまだミミズ腫れみたいな感じで残っているところもある。
今日の診察でも、やはりそこが少し気になるところと言われたが、当の本人は痒みも痛みもなく(皮膚の神経が断たれているので)ほとんどなにも気にならないので、また1年後に診ましょうということになった。
ドレーン(廃液するための管)が刺さっていたところもかなり赤いままで、もちろん脇や背中にある傷なども、たまに娘が目にした時には「痛々しい」と決まって言われるのだが、これらは私の“闘いの証”。
いくら医療が発展したとはいえ、綺麗さっぱり元の状態に戻るわけもなく、それでもあの術後すぐの凄まじい傷だらけのぺったんこの胸からは想像もできなかったくらい、私の右のオッパイは普通にちゃんとオッパイの形をしているのだ。
それは本当に凄いと思う。
全部根こそぎとった部位に、半年かけて伸ばした皮膚の中に背中から切り取った筋肉を詰め、ちゃんとお椀型のオッパイに仕上げるのだから…。
有名な先生だとは聞いていたが、間違いなかった。
こうやって私のほかにも沢山の方のカラダとココロを救っておられるんだと思うと、本当に凄い方である。
全摘後初めてのシャワーの日に、1ミリも見たくもなかった鏡に映ったそのカラダを、私はなぜかスマホでパシャリと撮った。
よくわからない感情だったけど、これを忘れてはならないとふと思ったのだった。
それは本当の意味で痛々しかった。
沢山の傷に沢山の鬱血。
皮膚は変色し、ボコボコと歪んでいた。
その状態を知っているからこそ、今の私の右オッパイは、赤みが残ってようが、傷跡がミミズ腫れであろうが、それはそれは美しく、凛としてそこにある。
それもこれもお世話になった先生方のおかげ。
いつまでも、その感謝は忘れてはならない。
診察は女医さんにオッパイを披露したのみ。
いつもは写真を撮られるのだが今回はなく、保湿剤のみ処方してもらい終了。
そのあと午後のお仕事に直行。
奇遇なことに、今日のお仕事場の病院は、その女医さんが所属しておられる大学病院。
大学病院から月に2回、私のかかりつけの病院に出向で来てくれている。
非常勤の先生が、有難いことに出向先でオペをしてくださる。
考えてみれば、このことも私はついていたと思う。
大学病院に早く到着しすぎてしまい、フリールームで缶コーヒーを飲みながらこの note を書いている。
手術してから丸3年。
不安に押し潰されそうになりながら上がった手術台。
8時間近くかかった手術。
その後の地獄のような日々。
それも2度。
ドレーンがなかなか外れず、何回も延びた入院生活。
今そんな日々を思い出している。
当時の私が今の私を想像などできたはずがない。
今こうやってお仕事できていること。
日々幸せだと思えていること。
あの時あの辛さを乗り越えたのには意味があった。
今、あらためてそう思う。
毎日が当たり前に過ぎていく。
しかし過去の感謝を忘れてはいけない。
あの辛かった日々をたまには思い出そう。
そして今の幸せを噛み締めようではないか。
人には忘れてはならない痛みがある。
なぜなら私は今生かされているのだから。
最後までお読みいただき有難うございました♪
ではまた。 Tomoka (❛ ∇ ❛✿)
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