戦争という名の
7月3日㈯
長野県松本市 松本芸術館で、「はだしのゲン」の
ミュージカル公演が開催されました。
下描きしたまま💦そのままになっていました。。。
以下、書いた時の感想をそのまま載せます。
昨年、友人が声かけてくれたイベントに行き、
『まつもとにミュージカル『はだしのゲン』を呼ぶ会』主催の木島知草さんに20数年振りかで再会し、公演を知った私は実行委員会へ
参加させていただくことになりました。
ちょうど、私も昨年「劇団エル」を立ち上げ、これから稽古をはじめるというタイミングでしたので、何もかもが初めての私は、すべてが勉強と思い、参加することにしました。
とはいえ、私も家庭や仕事もあって、なかなか実行委員会へは顔も出せず💦
ポスターやチラシ配布くらいしかお手伝い出来ず、申し訳ないなと思いつつ、もう年を越え、本番の今日になってしましました。。
「本番は休みなので、お手伝いには必ず行きます!」と伝えていました。
懐かしい松本芸術館で、今回は出演者では無く、
裏方をさせていただきました。
2019年の舞台以来の芸術館です。
あの大ホールで踊ったと思ったら、今でも震えがきます。
もう、何十年も前の事のようにも感じます。
ここのところ、それだからっていうわけでは無いのですが。
何故かあまり好きでは無い戦争ものに目がいき。
(残酷シーンとかが苦手です💦)
アマゾンプライムで観たのが、
「風と共に去りぬ」「戦争と平和」
何故か立て続けに観ました。
昔の古い映画が観たいなあ~と、フト思ったのです。
名作には名作の良さがあります。
とくに白黒は品があるように、私には感じます。
白黒だと、光の当たり具合で、女優さんがすごく美しく映ります。
今ではきっとああいう映し方はできないでしょうね。。きっと。
自然の美しさじゃないかと思うのですが、専門家ではないので
わかりません。独特な感じです。昔のモノクロ映画は好きなのです。
「風と・・・」の時代を調べました。
このころ、日本はどんな時代だったのかな?
調べると、南北戦争の頃は、日本では江戸時代でした。
江戸時代は皆さん周知の通り、徳川家が代々長く続いてましたので、
将軍が変わるたびに年号も変わりました。
江戸時代には慶長から慶応まで36の年号が使われたそうです。
その中の文化の年号を調べていたら、長野県の事が書いてありました。
わあ、全国の色々な出来事の中に、安曇野の名前と拾ヶ堰(ジュッカセキ)の名前が!!\(◎o◎)/!
私は、実はその拾ヶ堰の流れてるすぐ近くに住んでいるので、驚いたわけなんですが。そうだった、江戸だった!!
その頃から川の整備がされていたんだと思ったら、感動でした。
江戸時代は、水路の整備が各地で行われていたと思いますが(他は調べてませんが💦) それを忘れずに、水は大切にしなければ、と思いました。
話はいったん、それましたが。
その後の時代は世界的な戦争へと変わって行くのです。
江戸は比較的豊かで平和な時代でした。
様々な文化が発展し、日本独特の芸術がたくさん生まれました。
南北戦争の余波は日本にも影響があったようです。
江戸時代が終わり、明治となりました。
今までのような年号は無くなりました。
それからの日本は外国に魂を売ってしまったかのように崩れていきます。
あくまでも、私自身が感じてる世界観です。
そんな事を思いながら、色々な作品について考えてみました。
言葉を読む小説や映像の映画、生での舞台演劇、
バレエのような芸術作品も・・・生きるものの物語があります。
それは、何かを伝えるためにあるような気がしませんか。
何かを伝える。
それは言葉であったり、パフォーマンスであったり、音楽であったり。
表現は様々あります。手段はなんでもいい。
思いや言葉を表現する方法は限りなくありそうです。
話を元に戻します。
「風と共にさりぬ」の名言がありますね。
きっと、この言葉は誰でも知っているのでは?
「明日は明日の風が吹く」
字幕翻訳では、「明日には明日の新しい風が吹く」となっていました。
意味は同じだと思います。明日になれば、今日とは違う新しい明日が来るって言うわけです。それぞれにこの言葉から感じることがあるかもしれません。
「戦争と平和」でも、表現は違えど、やはり諦めない、希望を持つ、という意味があったように感じました。
社会の流れに翻弄されながらも、自分たちをしっかり持つこと。
目の前のものに流されず、本当に大切なことはなにか?と問うこと。
そして、7月3日。
生舞台で「はだしのゲン」を観客として観させていただき、後世に残すべきものだと感じました。
正直。いままで、戦争という忌まわしい過去は早く忘れて、明るい未来を創造しよう、などと思っていて。
戦争を知らない子供たちっていう歌が昔ありましたが、まさに、私の世代は
戦争を知らないのです。話や教科書や、映画や本でしか知るすべは無いのです。唯一、母や父が戦争を体験している世代です。
父はもう他界してしまったので、母にしか聞くことは出来ません。
母は、東京空襲も経験しています。両国にいました。
その後の疎開先、甲府でも空襲を経験したようです。
何回か聞きました。その当時の事を。
生き残った方々は、両親も含め、大変な苦労と耐え忍ぶことを強いられて
きました。それが、「はだしのゲン」の中でも表現されてました。
ここまでが下描きの部分です。
あれから一か月。
8月6日の原爆に日に、ゲンの実行委員会で開催された
「ひろしま」の上映会に行ってきましたので、
合わせて、感想などを次に書きたいと思います。
お読みいただき感謝です。ありがとうございます。
Lisa Love💛
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