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菅井友香がレアルマドリード過ぎた卒業公演

サッカーにそれほど詳しくないよ、という人でも、レアルマドリードという名前くらいは聞いたことがあるはずだ。そしてたぶん、だいたいこう続くはずだ。ああ、あのお金持ちのクラブね、と。

それはもちろん正しい。正しいけれど、それをお金持ち=金にモノ言わせるクラブ、と捉えるのはちょっと正しくない。確かに、高額選手をたくさん揃えてきたチームだ。サッカーにそれほど詳しくないよ、という人でもベッカムを知っている人は多いだろうし、だいぶ前ならジダン、最近ならクリスティアーノ・ロナウド…(ベンゼマを知っている人は…少ない。残念ながら)と、誰もが知っているビッグネームを次々と獲得してきた。

だけれど、それをお金持ちのオーナーの好みで、金に任せて獲ってきた、という金満クラブによくあるイメージで解釈するのはちょっと違う(もちろんそういうクラブも過去あった。最近はあまり聞かなくなったけれど)。選手のネームありきで獲ってきた、ということでは決してない。

まず、ここのオーナーはチームを買収したお金持ちのオーナー、ではない。レアルマドリードはわかりやすく言えば政府みたいなもので、国会の合議制でオーナーが決まる。株式会社みたいに、一人がたくさんの株を保有して発言権を強める…ということもなく、国会のように一人一票だ。

もちろん今の会長は巨万の富を築いた実業家ではあるのだけれど、その金でクラブを買ったわけではないし、私財を大量に投入したわけでもない(そもそもレアルマドリードは非営利団体)。実業家だからこそ、経営手腕がありそれをレアルマドリードに注入したに過ぎない。

では彼が何を大事にしたかというと、「レアルマドリードであること」。だから獲る選手はレアルマドリードであるために必要な選手だし、レアルマドリードであることを乱すような選手はいらない。レアルマドリードであること、を大事にしていないと、ソシオと呼ばれる会員たちの支持を失うからだ。

ではそのレアルマドリードであること、とは何かというと、これは当然人によってさまざまな解釈があるけれど、間違いなく言えるのは「強いこと」だけではない、ということ。ファンを魅了するような美しいサッカーを見せ、そして、レアルマドリードという、スペインの首都・マドリードにある王家のクラブというそのチーム名にふさわしい気品と品格を兼ね備えること。

これが、レアルマドリードというクラブなのだ。


菅井友香という人を知ったのは、かなり最近だ。
元々アイドルにはそんなに興味がなかった私は、ご当地アイドルからアイドルグループにハマったのだが、その経緯からすれば、いわゆる坂道グループに興味を持つということはありえなかった。だが、自分の推しているグループがどうすればヒットするか、を考えるのであればヒットしているグループから学ぶのが一番だ、と思い乃木坂46のライブBDを買い、2018年のバスラに足を運び…と少しずつ乃木坂という坂道を上る中で、「こっちも勉強するか」という軽~い気持ちで買ったのが欅坂46のライブBD「欅共和国2017」だった。

そしてライブBDを見ていて、あ、自分はこっちだなと思った。心に火をつけるような楽曲やパフォーマンスもさることながら、真俯瞰のアングルを使うなどライブBDの作品としての完成度に惹かれた。ライブBDで見ているだけでも十分なんだけれど、一度生で見ようと思って足を運んだのがあの日の東京ドームのライブだった。

だが、そのときは特に推しは決めていなかった。ハマったばかりのときは今ソロで活躍している、あるメンバーのタオルを買ったことはあるが、そのメンバーは気づけばあっという間にいなくなっていた。そして、このグループは推しとかそういうものを決めずに見るものだ、と思っていた(それまで押してきたグループにも推しはいたが、基本的にライトファンだった)。

ただ、「世界には愛しかない」で「嫌いじゃない!」とどこか無邪気に楽しそうに歌うメンバーと、欅共和国の中止が発表されたときの配信ライブで、最後にメンバーが輪になっているシーンがそのままスマホの画面に代わって、それを見せて笑顔で去っていくメンバー(あの演出こそが欅坂なのだ!)は印象に残っていた。

やがて、あの7月の無観客ライブを迎える。「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」と題されたこのライブは、欅坂としての活動終了と、改名発表の場となったのだが、そのとき

「今まで欅坂46に出会ってくださって、欅坂46を好きになってくだって、欅坂46を支えてくださって本当にありがとうございました」
と、最後絶叫するように叫ぶメンバーの姿に思いっきり心を撃たれた。

その経緯を説明する人が菅井友香というメンバーであり、キャプテンなんだとそのとき初めて知ったし、何より「あんなスピーチをしているメンバーを推さないなんて、男じゃないだろ」と思った。間違いなく彼女は「絶対泣かない」と誓っていたのだろう。改名というのはネガティヴなことではなく、再出発というポジティブな発表の場。そんな場で涙を流すわけにはいかない。きっと、そういう思いだったのだろう。

そうして彼女を推すようになった。推すようになったといっても特典会に参加することとかそういうことはなかったけれど、グッズを買ったり、あと出演するラジオを極力聴いたり、ということはするようになった。一度仕事で欅坂ファン(当時はまだ欅坂として活動していた)の人に会って、推しを聞かれて答えたら「ああ、ガンバリキですね」とサラッと言われて笑ったのだが、きっとそれがファンの方々の評価だったのではと思った。

明るい。どこか天然。いや、かなり天然で抜けている。噛む。だけれど、凛としている。
おそらくそれが一般的な彼女の評価ではないだろうか。

11月の東京ドーム公演が発表されたとき、もしかしたらこの場で彼女の卒業発表があるんじゃないかと思って、ファンクラブ先行で最終日を申し込んだ。思えばそれまでに1stTOURとかあったんだけどなぜか申し込んでなくて(その程度のファンなのだ)、でも、この東京ドームはそんな思いから申し込んだ。チケットは運よく当選した。運よく、でもなかったかもしれないけれど、その直後の発表にびっくりした。

菅井友香の卒業、そして卒業公演はツアー最終日の東京ドーム…

えっ、単独での卒業公演をやらないの?とまずびっくりした。普通こういうのは卒業を発表した後に、卒業公演の概要が発表され、チケットの受付が始まるのだが、彼女はファンクラブ先行とはいえ既にチケットの抽選も終了していたツアー最終日を、卒業公演に選んだ。まるで、私のためだけの単独の卒業公演などいらない…と言わんばかりに。

直感でチケット先行を申し込んでいた自分の運に感謝しつつ、卒業公演当日を迎えた。ここからは、その公演で感じたことだ。ちなみに櫻坂を生で見たのは欅坂時代の3年前の東京ドーム公演の初日以来だった、ということを付け加えておく。


欅坂の時と櫻坂の時。もちろん曲だったりライブの雰囲気は変わっているんだけど、このグループにはその世界観を形成する上である共通項があると思った。

それは、闇を抱えているということ。といってもそれはメンバー間とかそういう下衆な話ではなく、人なら誰しも抱えるであろう、心の闇だ。その闇をいわば個性として認めた上で、そこからの解放を曲を通して現わしていると思った。

要は音楽というのは基本的に人を楽しませ、前向きなものにさせるしアイドルグループともなればその要素はより強いんだけれど、櫻坂についていえば同じ100でも0を100にするのではなく、-10を90にする、といったところか。

櫻坂は花道の使い方がとてもいいと思っていて。前回の東京ドームで見た「二人セゾン」はそれほど思い入れのない曲だったが花道の使い方を見て涙が出そうになったし、今回で言えば「Dead end」がよかった。曲の終盤で、花道の端まで行ったメンバーが一斉に駆け出してステージに戻るシーンは、まさにその「解放」を現わしていた

そもそも行き止まりというテーマなのに曲調はめちゃくちゃ明るいし、別に歌詞で「行き止まりだけれど、ここを一気に乗り越えて進め」みたいな、人を元気にさせることも言ってない。さあどうするか、という曲だ。だけれど、あの花道のダッシュを見たら曲の印象はガラリと変わる。これが櫻坂だ。

そして菅井友香がキャプテンである櫻坂46、というのが思いっきり現われていると思ったのが、卒業セレモニーのシーンだ。

卒業の挨拶をした後、本人には内緒でメンバー19人一人一人が手紙を書いて、一人ずつ読み上げて花と共に手渡して最後に抱き合ったのだが…

大人数のグループともなればいろんな人がいるし、いろんな人が出入りする。いろんな個性の集合体だ。明るい人もいれば、心に闇を抱えた人もいる。でも、そんな多種多様なメンバーを笑顔で、その性格まで全てを迎え入れ、受け入れてくれて、ときには抱きしめたのが菅井友香というキャプテンだったと、そのシーンを見て思った。

でも、その「迎え入れ、受け入れ、抱きしめる」は何もメンバーだけでなく、ファンに対してもそうだった。「レコメン」ではMCのオテンキのりさんやファンからの無茶振りにも「えーっ」と言いながらも応えてくれた(彼女の「えーっ」は本当に好きだった)。

でもそれだけじゃない。櫻坂のファンではない世間一般に対してもそうだったと思う。世間一般ともなれば当然、耳を塞ぎたくなる話だって聞こえてくる。だけれども、それらも全て受け入れて、ときには耐えながらも、このグループを存続させたのが彼女だったのだ。

映画「僕たちの嘘と真実」でTAKAHIRO先生が「欅坂は背負い人なんです」と言っていたのがとても印象的だった。人々のいろんな感情も背負うグループなんだと。それは今回東京ドームで見て、櫻坂になっても変わっていないと思ったし、

何よりこのキャプテンだったから成立しているんだなと思った。
人の苦しみや闇まで笑顔で包んでくれるキャプテンだったから。

今回の公演で欅坂の曲もやるとは思っていたが、最後は「サイレントマジョリティー」だと思っていた。だが、アンコールの始まりを告げる欅坂の「Overture」の後に流れてきたのは「不協和音」のイントロだった。個人的には「僕たちの嘘と真実」で収録されていた、平手友梨奈が負傷で出演できなかったツアーでその代役を務めた曲、というのは知っていたけれどそれを彷彿とさせたし、でもおそらく本人はファンの人たちが楽しみにしている曲、ということで選んだのではと。

そしてこれは誰かがツイートしていたんだけど、「サイレントマジョリティー」はまだ残っている一期生のメンバーのために残しておいたのでは、と。

勝手な妄想だけれど、彼女ならそういう思いに違いないと、つい思ってしまうのも彼女の魅力なのではないだろうか。

最後に「その日まで」が流れる中、彼女は後方のステージで大きく伸びあがった壇上の上から改めて卒業の挨拶をしたけれど、国内のライブ会場でも最多観客と言っていい東京ドームで、こうして卒業公演ができたのは何よりよかったと思った。

櫻坂として再びこの舞台に戻ってきた。それは何より彼女の力だったのだから。

ステージに戻って深々とお辞儀をして、背を向けて歩き出してこれでお別れかと思ったら、彼女は笑いながら最後の最後にあることをして去っていったのだけれど、そうして最後を笑いで包むところも彼女らしかった。

彼女はキャプテンとして櫻坂46が「櫻坂46であるため」に、何より心を砕いてきた。そして何より笑顔を、そして気品と品格を保ち続けた。ステージを去る最後の最後まで、菅井友香は菅井友香であり続けた。

そう、菅井友香はあまりにレアルマドリード過ぎた。

この日の東京ドームはサンティアゴ・ベルナベウだった。


菅井友香とレアルマドリード…一見何のつながりもないが、あるフォロワーさんに捧げます。強引ではあるけれど、間違ってはいないと思う。

過去に書いた欅坂関連の記事も宜しければ。