『エンパス』として生まれたこと
私はたぶん
いや、けっこうガッツリ
エンパスという性格だと思います。
先日瀬戸内寂聴さんが亡くなったという
ニュースがやっていました。
寂聴さんの紹介がされていて
お寺でのお説法を聞いている中に
『先日主人が亡くなって…』
と泣き崩れている女性がいました
もちろんモザイクがかかってはいましたが
見た感じまだまだ若そう
『どこに行ってしまったんだろうって…』
『まだそこに居る気がして』
と、涙をすすりながら
言葉を絞りだす女性を
寂聴さんは近くに呼び寄せ
抱きしめて背中をさすっていました
それを朝ご飯を食べながら見ていて
涙が止まらなくなってしまい
号泣。
目の前で目を丸くしている主人(◎_◎;)
👇
寂聴さんが亡くなったのが
そんなに悲しいの…?
そうではなくて
その泣いていた女性の気持ちを考えたら
辛くて、悲しくて…
まだ病気で亡くなったのなら少しは
ココロの準備もできていたかもしれませんが
それでも
そこにさっきまでいた人が居なくなるって
どういうことなんだろう
完全にその女性になったような気持ちで
感情が沸き上がってきてしまい
なかなか収まらず
しばらく号泣。
あれもない、これもないと
考えがちですが
日常が、日常にあるありがたみ
『ある』ことに目を向けると
些細なことでも
私は恵まれている
満たされていると
ひしひしと感じ…
られないのがまだ現実ですが💦
でもエンパスであったからこそ
その号泣から
日常を再確認することはできたし
感謝することができました。
家があって
眠れて
ご飯を食べれて
家に帰ってくる人が居ること
ありがたいなと思います。
なかなか
『エンパス』という性格は
辛いことの方がまだ多いですが
きっと治るとかそういうものじゃないし
これからもうまく
付き合っていけたらいいなと思います。
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