アルジズと夢女子
アルジズです。文芸エージェントの仕事をしていて思うのは、物語を書くことのパワーがどれくらい人を元気づけるか、計り知れないということ。
今はアラサーの女性たち。15年前に中学生で、だから2008年とかで、その頃インターネットで夢小説サイトを立ち上げ、自分で夢小説をばんばん書いていた、という彼女たちの武勇伝がすきだ。
書くことが面白くて、ずっと続けている人もいるのだろうが、いったんやめていた人が何かのきっかけでまた書き始めるというストーリーが特にすきだ。
書くのを止めていた頃は、自分が抑圧されていたかもしれない、つらかった、とまで言う方もいるようだ。
夢小説を書くと、自分が解放されるのだろうか、だとしたら、すごい。わたしもやってみたい。核になる「推し」が必要なわけだけど。
それで、このごろ思う。普通の小説であっても、作家は自分でキャラを作って、自分でそのキャラのファン第一号になって、その推しをめぐる夢小説を書いているようなものじゃないか?と。
自給自足というか、自家発電的というか、自作自演的・・・!
ところで、そう考えると、推しにやってもらいたいシーンを作ったり、とか、こういう人物をぶつけたら、推しはどんな反応をするだろう?と考えたり、とか、そういうふうに思考が向く。推しがやることすべてに意味があるようになる。
で、本来、小説のキャラクターというのは、そういうふうな意図、出てくる人物の行動すべてに意味があるという視点から造形されるべきなんだろう。
自分の小説に出てくるキャラクターが、もし、それぞれ自分の推しだったら・・・?と想像してみる。そういう作家になってみる。
おもしろそうじゃありませんか?筆が進みそうじゃありませんか?クライアントにもすすめてみたいアプローチです。
わたし個人の推しは、だからたぶん、かようにしたたかに強い夢女子たちなんだと思う。だけどわたしは、夢女子をめぐる夢小説を書くことはせずに、彼女たちの物語を専ら楽しませてもらうにとどめておこう。
尾崎世界観さんが「「推す人」を推している表現者がいるということを、ちゃんと伝えたくなった」という風におっしゃっているが、まさにそうです!
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