大学対面授業では「わちゃわちゃ」できない

4月の間、首都圏の人数の多くない大学科目授業は対面形式で実施された。私の担当する科目の中では、15名程度の少人数科目のみ対面だった。

40名定員の教室に15人程度は無理がない。学生との距離もちゃんと取れるし遠くもなく、発言もちゃんと聞きとれる。50%の20人がギリギリな感じである。けれど100人教室に40名、50名ともなると、それはどんな感じなのだろう?と思う。

最初の自己紹介で、2年生の子達は(2年生以上の科目である)、大学に来られて嬉しいと言っていた。友達ができる、会える、そんな思いがあったと思う。

しかし、全員にオンラインと対面の形式希望を聞くと、半々であった。通学に1時間半から2時間かけている子達もいるため、始発に乗ったり、わざわざ首都圏に出てくる不安や、毎日往復する負担からすればオンラインがよいという子達もいた。

そして、授業が2回目、3回目になると、「本当に授業(講義科目)が対面である、ということがこの子達の望みなのかな?」と思うようになってきた。感染拡大への不安はぬぐいきれず、つるんだり騒いだりは、もともと友人のいる3、4年生にしかみられない。また、講義科目だけで、1、2年生は友人を作りづらい。

大学生は、サークル活動や実習的な演習・ゼミ活動で友人を増やす。食べたり飲んだりの場で友人の輪は広がる。決して講義科目でではない。

また、授業形態の問題もある。普段私の授業は、意見交換やグループワークを取り入れるものの、講義のみの回もたまにはある。しかし、わざわざこの状況の中、大学まで足を運んで、グループワークなしでは申し訳ないと思い、内容問わずがんばって、距離をとってマスクをしたままでも、より多くのグループワークを取り入れていた(正直、すぐにオンラインに切り替わると思っていたので、今のうち、というのもあった)。

学生に、ほかの対面授業は、やっぱり大学に来た甲斐のあるグループワークが多いのか?と問うと「黙って授業を受けて帰るだけのものがほとんどです」とのことだった。

これは「対面、対面」ってこだわる大学の根本的な問題な気がした。

グループワークがそれなりに多い私の授業の場合、同時双方向型(zoomなどを利用)は、マスクして距離をとって対面でやる場合と、プラマイゼロな同等だったと思う。オンラインは、ちゃんと顔を見せることができて、一人一人が順番に意見を言うようにしやすく(もちろんそのような指導サポートは必要)、うなずいたり、笑ったりもちゃんとお互いみえる。

また全体でも、グループワークの様子や意見を教えてもらうために、ランダムに名前を呼んだら(zoomに表示されるので、名前を呼ぶことができる!)、各人が「自立して」ちゃんと答えてくれるため(友人が隣にいてゴニョゴニョすることがない)、皆がしっかりする感がある。

オンデマンド型は寂しいと思うが、もともとグループワークをしない講義なら適している。そして、グループワークは同時双方向型ならかなりできなくはない。

大学生が欲しいのはやっぱり、友人との「わちゃわちゃ」なのだと思う。そしてそれは、大学が対面授業であるかないか、ではなく、サークル活動や飲食が自由にできるかできないか、なのだと思う。そして、残念ながら、パンデミックの現状はそれを手放しに許せる状況にないのだ。だからといって、「わちゃわちゃしない」対面をやったとして、それが果たして大学生の心の穴や社会性発達の穴を埋めるのだろうか・・・・

実習や演習活動などは、どうにか対面でやれればよい。しかし、そうではない授業に関して、現状「大人数か否か」「対面かオンデマンドか」ではなく、基本的にオンラインにし、同時双方向型を増やしたらいいと思っていた。もちろん、環境醸成と学生支援はすべきだ。

授業がオンラインでも、大学に行くことができれば、ちょこちょこ友人にも会える。週に2、3回程度に留めるお願いや人数制限をしながら、オンライン授業受講など、大学の施設利用を可能とする、という手もあるんじゃないかと思う。それで、十分大学施設の役割を果たすんじゃないだろうか。

私自身、1年ぶりの対面授業は、感染症拡大防止への気疲れと負担は大きかったものの、正直楽だった。学生の空気感を少しでも掴めて、楽しかった。しかし今は、世界的パンデミックという地球規模での大変動の時期にいる。その前提をしっかりと認識し、大学教育の役割と、多様な大学授業形態に応じて教育効果からポリシーを立てなければ、国の政策の混沌さながらだ。

緊急事態宣言が解除されたらまた「対面・オンデマンド切り替え」にするのだろうか。

「わちゃわちゃ」は、学生生活の全てである。そこで多くの社会性も学ぶし、ネットワークもつくっていく。しかし、それは果たして「対面授業の増加」で叶うのかといえば、必ずしもそうではないように思う。

もっというと、「わちゃわちゃ」を知ってる学年がいなくなってしまった後の、大学生活やサークル文化のあり方に、とても心配している。振り出しに戻ったような状況から、学生たちの組織化教育を大学がしっかりと担える気がしない。中学や高校が、もっと自由で自主自立的だったら安心なのだが、あまり期待できない。

新たな時代の開拓、なんて古臭いような、気持ち悪いような気がしていたが、本当の本当に今後は、ひたすら「新たな開拓」なんだと実感する。

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