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自分から終わらせなくても、人生は終わる。

年齢が切り替わる時、毎年特に何も思わないのに、何故だか今年はさみしかった。
例年通り、何も達成できていないし、何も頑張れていない1年だったのに。
特に辛いことや悲しいことが多かったわけでも、当然幸せだった1年でもない。
毎年毎年、そうして中身のない1年を過ごし、ただ時間だけが過ぎていく人生に、限界を感じたのかもしれない。
年齢を「重ねる」ではなく、「切り替わる」と無意識に表現していることが、私がどういう人生を生きているのかをよく表している。

そして新章に突入する瞬間、この瞬間も毎年特に何も思わないのに、今年は何故だか悲しかった。
生きる楽しみや希望はあるけど、その楽しみや希望を叶えるためにどうしたらいいのかわからないので、これからどう生きていけばいいのか、いまいちわからないからかもしれない。



受け入れられない事が多い、特に世界に対しては。
酷い事件を見れば、どうしてその命はそんな酷い目に遭わなければならなかったのかと思い悩むし、世界の、特に今の日本の社会と政治を見ていると、何でそんなことできるんですか?って思うような制度も多い。
だから30年以上生きてきて、見えない世界のことも少し勉強してきたけれど、未だに腑に落ちていません。今ここに生きている意味も、生かされている意味も。


しかし終わらせる勇氣はないし、待っていればその内終わる。
待っていればその内終わるのだから、わざわざ自分から終わらせるのって、精神力と体力の無駄遣いであり、非生産的。


そう、その内終わる。
日記を書いていて思い出した。
何があろうと、何もなかろうと、地球上での命はちゃんと終わってくれる。
だから余計なことは考えないで、ただ楽しんだらいい。


忘れないでね。








大好きな神田明神にお参りへ。
神様からも「人生楽しめ」と言っていただけたようで、とても嬉しいです。


東京総鎮主でいらっしゃるだけあって、「お金があるんだなあ」と、とても金銭的に豊かで、ゆとりのある裕福な雰囲気を感じさせてもらえる神社。
私もあの神社のような存在になりたい。


長崎八幡神社にもお参りに行きました。
「小さな神社の神様は、その土地の方々のためだけに働くので、お参りは控えましょう」と八木龍平さんの本に書かれていたので、お参りをしていいのかどうか未だに迷いがあります。
しかし、ご祭神の1柱である神功皇后に「招かれているかもしれない」と感じる出来事があったので、何かネガティブな事が起きない限りは、今後もお参りさせていただこうと思います。



愛子


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