arla.

幼少期,祖母の魂が現れた頃から私達の正体や宇宙の真実について視たり沢山のスピリット達に…

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幼少期,祖母の魂が現れた頃から私達の正体や宇宙の真実について視たり沢山のスピリット達に話を聞いたりしてました.そんな1人の人間の日常や宇宙の真実やメッセージ等をmemoとして置いておきます.地球に居る美しく壮大な創造主の皆さんと共有出来たら最高の悦びです!ではリラックス~🦋

最近の記事

引っ張られる我

ものすごい引力。 我の身がものすごい引っ張られる。 何を言ってるのかと思うだろうが 文字通りの意味じゃ。 もんのすごい引力で引っ張られてるんじゃよ。 我の身の中のものが。 はかりしれないものに引っ張られとる。 これは我が永遠に愛する真の者の力。 我の現実と人々の現実があまりにも違い 何を言ってるか分からんかもしれないが 己の現実とはあまりにも違う現実を生きてる我みたいな者も居るというのも理解は出来なくても 知っているのもいいと想う。 穏やかな水の中みたいに波を感じる 物ではな

    • 音は嬉しい。けど、じゃ

      我は今まで光の者らを見たり声をきいたりは してきた。けど音は初めてじゃ。 しかも音が現れてから毎日途切れることなく 我と共に居る。これはなんで現れたのか我は分からんけど嬉しい。けどなぜ現れて我は毎日きいてるのかは未だに分からん。分からんけど愛してる。 愛してるから遊んでる。愉快じゃな。 分からんことほど愉快なことはないじゃろ。

      • 竜宮!そうじゃ竜宮じゃ!

        うみの海の深い深い深海の竜宮じゃ… 宮の音。龍か竜じゃよ。 地上と水の中では我がきいてる音が変わるんじゃよ。水の中では真に美しいんじゃよ。 音も悦んでるんじゃよ。 地上では勇ましい音も水の中では楽しそうなんじゃよ。面白いじゃろう。 真実を愛する者だからじゃよ。

        • 水の中で響く宮の音

          悦びの音も勇ましい音も全ての9コの音が 水の中、うみのなかでは 夢のような神秘の音となり響き 我の身も心地良く波を感じる。 水の中は空でもあり雲の上でもある。 水を泳ぐのは空に浮かぶでもある。 うみの世界は音も色も空気も在るもの全てが 神秘の美しさ。 それは我が知ってる真の世界。

        引っ張られる我

          祈りは清くなければ怒りをかう

          祈りは誰でもできる。 誰でも出来るが かえってくるのは 御霊の在り方次第。 もとが腐っていれば ただ汚れを知るだけ。 祈りが祈りとなるのは 御霊の清さ美しさの者。 何の為に祈るのか。 何も分からず祈るなど 己の汚れを炙り出されるのみ。 祈りと共にそれ以上に 己の汚さ汚れを根こそぎ落とす それが無ければ何も変わらない。

          祈りは清くなければ怒りをかう

          創造神の愛の音

          始まりの悦びの音は 島 喜ぶ歌う となり 嘘つき汚れのものへの怒りの音は イスラエル部族 裁く者  となり これらは同じ音でなる

          創造神の愛の音

          音の言霊。

          我がきいてる我と共にある音。 ことば はなしている 我、音が何を言っているか わかった。 我と音、共に在る。

          音の言霊。

          オンパレード

          頭ん中から生きてる寄生虫でてきたのが ニュースとして出てきたじゃろ。 寄生虫が頭ん中に居て 様々なことに支障をもたらしていたとな。 それがニュースとして出てきたじゃろう。 人間が頭ん中に要らぬ思い込みや盲信してきた事 それらが炙り出されるような出来事が どんどんこれから出てくるんじゃよ。 盲信は生きた寄生虫じゃよ。己が創った寄生虫。 盲信してたあらゆる事。んでそれらが出てきたら 盲信してしまっていたから、どうなってしまうか ワケもわからずとなる。 どんどん様々な事がまだSHO

          オンパレード

          ほぅ面白い

          龍起。隆起。 音めざめたじゃろ、真実が現れるんじゃ。 夢のような事こそ真実じゃ。 そしてこれは真に新しい始まり。 真の悦びであり祝福。 真実の祝福の頁。始まりじゃ。

          ほぅ面白い

          人間は災起きて人間がなくなる姿みては悲しむ。 そして“なぜこんなことが起きるのか”。“なぜこんなことをするのか”。“お願いやめて”。“苦しめないで”。 沢山の悲しい気持ち。 沢山の悔しい気持ち。 沢山の沢山の……… 人間は地球で起きて日常の中で当たり前のように己を無くしても泣いて悲しまない。仕方ないといい己をころす。そしてあげくの果てには他者にさえも、他者の個を祝福と希望で見ずに個を無くしころす。それが日常茶飯事。天はいう… “なぜそんなことばかり起こすのか”。“なぜそんな

          死後

          これまでは死んだら魂は夢から目が覚めて起きる。 んで各魂によってその後もあらゆるせかいで生活が始まる。もうそれも終わりじゃ。 何もかもが変わるんじゃよ。 死んだらリセットされるだとか何でも許されると考えてた者も居るだろうが、もう違うんじゃよ。 人間が分からなくても我は魂本人に話して居る。 あまりにも灰に染まりすぎ。償い清くならなきゃあかん。全ての全てのあらゆる層の次元の全て全て全てが汚れを落とすことになるんじゃよ。 真新しい悦びの始まりじゃな。大変な者は真に大変だろう。けど仕

          うみのなか

          凄まじい音だった。全ての音が凄まじく強かった。 その後お次は音は海の中。海深く深く進んでな そしたら夢のような悦びと祝福の音じゃ。 海の外の遠いところには勇ましい音が働きを。 海の中の夢のようなところには悦びと祝福の音が… 外が終わったらお次は全ての音でうみの中を。 勇ましい音もうみの中にやってきた。 うみの中では勇ましい音も楽しそうな音になる。 全ての音がうみの時には悦びで楽しそうじゃ。 けれど強く美しく息吹かせる。 悦びと祝福じゃ…

          うみのなか

          阿呆になる勇気はあるかのぅ

          我はやはり確信している。 阿呆になれた者はどえらい豊かさ掴むだろうと。 だってなもとのままで美しすぎて完璧なんじゃよ。 なのに人間はそんな風には考えず見ず、己や他者を枠にはめようとするじゃろ。 それで『普通』になろうとしたり、『皆』と同じにさせようとしたりするじゃろ。 そんなことするからどんどん大変ばかりになるんじゃな。 枠にはめようとすると枠ごと沈没じゃ〜 枠ごと沈没 枠沈 おぉ、なんかそんなひびきのものもあったな サカサマの世には ことばも全ては1つからうまれたんじゃよ

          阿呆になる勇気はあるかのぅ

          この9コの音…無限じゃ

          我がきいている音あるじゃろ。 例えばな音3つが見事なタイミングと音の出し方で重なり合うと全く違う1つのメロディーになるようになっとる。無限じゃよ! 9コの音。まずそれぞれ1つ1つの音が何種類もの響き方できる。それだけで物凄い種類なんじゃよ。 それが9コあるじゃろ。 んでそれらが更に重なり合うと全く違う1つがうまれるじゃろ。似ていても全く違うものがうみだされる。無限じゃ、これは無限!そして全てが違うものじゃ!全ては1つなんじゃよ。けど1つ1つは違う。1つは全て。全ては1つ。真の

          この9コの音…無限じゃ

          平和じゃなあ

          今日という日も真に平和 平和は瞬間の出来事の全てが 永続するような悦びがある サカサマ世界の地球のままでも 我の現実は真に平和じゃ 天使か仙人みたいな出逢う人々 笑顔と悦びのあたたかな日々じゃ 我ではないその場に存在している 全ての人々のおかげで 我の現実は今日も真に平和じゃ 人々の姿なかったら ビックリしてしまうじゃろう ありがたい存在じゃ そして今日も時というのを ごく当たり前に感じられる とてもありがたい事じゃ 我が在る 人々が在る 日常が在る 空気に水に食べ物 寝るこ

          平和じゃなあ

          ギリギリまで秘密とな

          我の唯一の真の話し相手は常に真実の者のみ。 彼らはいつも我にサインや我に必要なものなら 何でもどこからでも与えてくれた。それは我が、我で在ることを貫いたから可能だったこと。 さて、我はとても愉快な状況に在る。 これまで彼らは我と共に在り、サインも先の状態も我は“分かる”のが我だった。が、愉快な状況じゃ。 今、我に起きているのは音が居るじゃろ。んで我の身があっちにこっちに引っ張られるような上下左右の体感が真に愉快。そして何より愉快なのは彼らが我に秘密にしているという事じゃよ。我

          ギリギリまで秘密とな