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兵庫の歴史はまだまだ深い!!

歴博2回目の訪問

あいにくの雨だったが、葉が色付き、紅葉シーズンに入ろうとしていた秋の風景を少し垣間見ることができた。(投稿日より半月ほど過去に訪問させていただいた。)
また、初夏の時に訪れた時とはまた違う、新鮮な気持ちとなった見学日だった。
今回は企画展の記事も掲載するので、期間中にご覧できた方は、ぜひ企画展に訪れてほしい。

もし、前回の記事を見ていないという方、興味があある方は、こちらのリンクを押して読んでくださるとうれしい。↓

歴博っていうくらいだし、黙って鑑賞して大人しくしていないとダメなんでしょ?

と思った、そこの方。
そんなことない!
私たち取材チームも、

すごい!こんな風にできるんだ!
へぇー!そうだったんや!!

と和気あいあいと話しながら鑑賞した。
展示品を鑑賞しながら、展示品についての感想や考察をぼそっとつぶやくのもまた、展示品への理解を深めるための働きではないかと思っている。また、複数人で鑑賞しているのならば、私たちのように、あれやこれやと考察を述べ合って、違う視点から見た考察を共有しあうのもまた、鑑賞の一部なのではなかろうか。
実際、静かに鑑賞するというスタイルは現在崩れつつある。展示品への理解を深めるためにも、ぜひつぶやいてみてはいかがだろうか。

今回のレポは、前回と違い、単独での作成のため、個人の感覚・経験の語りの濃い、情報提供があふれる内容をお届けしていこうと思う。
違う視点からの記事もあり、最後に紹介するので、そちらもぜひ読んでほしい。

■ 特別展:開館40周年記念企画展 ひょうご五国のやきもの より

この特別展では兵庫五国各地の焼き物が、第1部から第5部として編成され、展示されており、それぞれ特徴が個性的で、とても興味深い展示品ばかりだった。ここでは、厳選した展示品を紹介しよう。

ある人からは変人に見えるかも!?笑

薬研で興奮する大学生

➢ 第3部:丹波 丹波焼
「赤土部薬研」

写真を見せる前に前置きを…。
薬研、と聞いてどんなものを思い浮かべるだろうか。
私は、一昨年までなら、白い靄がかかり、何も思い浮かばない。

ヤゲン?ってなに??

という感じではてなが頭の中にたくさん浮かんだだろう。昨年から、

薬研!?

と驚いただろう。というか実際驚いた。笑
なぜ昨年から反応が違うのか。それは昨年ある育成ゲームを布教され、どっぷりとはまったのだが、中に薬研藤四郎というキャラクターがいる。実はこの名前の由来はこれから紹介する薬研からという説が有力なのだ。刀剣ブームがあるだけにご存じの方は多いのではないだろうか。ちなみにそのゲームのプレイヤーを審神者という。薬研そのものを目にする機会は、現代にそう多くはないので、目にすると、気になってしまう。
薬研藤四郎について、本物は織田信長と一緒に墓の中にある、または一緒に焼けて行方知らずのままだ、という話を聞く。しかし、織田信長にゆかりのある本能寺では、復元刀が展示されており、アクリルケースごと手に取って間近に鑑賞することができる。
さて、前置きが長くなったが、結局薬研とは何ぞや??と思っている方。歴史好きの方は、土方歳三や、徳川家康の話を聞いたり、何なら、今年の大河ドラマでも登場しているのを見たり、した方はピンとくるのではないだろうか。

では、展示品の写真を。

江戸時代前期 兵庫県立歴史博物館蔵

大河ドラマではこのように登場していた。

大河ドラマ「どうする家康」第15話より

土方歳三の場合、石田散薬を売り歩いたというエピソードの中で、
徳川家康の場合、大河ドラマやある歴史番組では、家康の秀吉の?天下統一の時期からの薬づくりを趣味としていた、などの話で聞いたことあるのでは。
現代人にとって、薬研はそう身近な存在ではないと私は思う。薬局で見たことあるだろうか。薬を作ってもらっているところを見ていたとしても、薬研のような大きな器で薬を作っているところなんて、見たことがないだろう。展示会場では、上の大河ドラマの写真のように使っている人のイラストも一緒に展示されていた。博物館のこのような心遣いは本当にありがたいな、という感情も生まれた展示品だった。

地元のことを思いがけず考えた展示品

➢ 第5部:淡路 珉平焼
「青磁柿本人麻呂像」

この地域の焼き物はとてもユニークで、一番の特徴として人や動物をかわいらしく形取り、この技術がタイルへと変わっていっているということ。
その中でも私が、心に残った展示品はこちら。

江戸時代後期 個人蔵

柿本人麻呂と聞いて、百人一首を思い出す人が多いのではなかろうか。

歌番号3番
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 一人かも寝む

実は兵庫県明石市に柿本人麻呂ゆかりある神社がある。
明石市民にとっては、この神社も思い浮かべるではないだろうか。
子午線135度の走るところに明石市立天文科学館が建っているのは、有名なはず。その横に大きな鳥居が建っているところがゆかりある神社、「柿本神社」である。人丸町にあるので、通称「人丸神社、人丸さん」と呼ばれ親しまれており、正月の初詣にはたくさんの方が訪れている。
明石市民の私も、毎年正月に初詣に訪れ、一年を迎える。
また、この神社は人丸山という山(六甲山脈ほどの高さではない小さな山なので、登山の覚悟は必要なし笑)に建っており、ここから望む大蔵海岸、明石海峡、明石海峡大橋、淡路島が視界いっぱいに広がる景色は目を見張るものだ。柿本人麻呂が見た景色とは少し?違うかもしれないが、その景色は、頭の中で、明石海峡大橋、電車等々の現代のものを消して想像していただきたい。あるいは、あるスマホの話題の機能で消して楽しむのも良いかもしれない。笑
ところで、現代、“人丸”と書かれるこの字を見ると、誰もが“ひとまる”と発音して読むのではないだろうか。実は“ひとまろ”という読み方もあるのだ。これがよくわかるのは、JR三ノ宮駅、私鉄各線三宮駅を降りて、北へ徒歩10分歩くとある、生田神社にも人丸神社という小さな祠がある。この神社は“ひとまろ”神社と呼ばれ親しまれている。(どちらの神社も“人麿”表記)勝手な憶測だが、昔は“まろ”と呼んでいたところを、現代に進むにつれ、丸を“まろ”と読むことに馴染みがなくなっていき、“まる”にしているのかもしれない。

明石市には明石城跡、明石市立文化博物館も建っており、歴史豊かな場所なので、ぜひ訪れてほしい。

各ホームページの情報を…。

明石城跡↓


明石市立天文科学館の情報↓

柿本神社の情報↓

明石市立文化博物館の情報↓

こちらの企画展、9月23日~11月26日、と長い期間で展示をされているので、気になった方はぜひ歴博へ!!
子供でも楽しめるよう、クイズやハンズオンコーナーも用意されており、クイズの最後の問題は少し難しめ。
下の写真のように出題されています。

私は、最後の問題が不正解で全問正解ならず…笑
ぜひクイズにも参加して全問正解を目指してみては?
親子で挑戦してみるのもまた楽しそう!


一つ注意点。
こちらは企画展なので、観覧料が必要。
料金は次の通り。
また、ひょうごのやきものに興味を持った方、兵庫陶芸美術館や、先ほど出した明石市立文化博物館でも企画展が実施されているので、ぜひ足を運んで陶芸への理解を深めてはいかがだろうか。

■ 常設展示より
ここからは、前回でも紹介した展示コーナーだが、紹介していない展示品がまだまだあるので、ここでも、いくつか紹介していこうと思う。

訪れる回数関係なく押し寄せる
“回想”と“発見・気づき”

➢ ひょうご五国のあゆみ
こちらはチケットを改札でかざして、右に曲がって入る展示コーナー。
常設展示のコーナーだが、いつ見ても、新しい気付きが必ず出てくるものだ。
常設というのは、この新しい気付きを毎回提供してくれるから、とてもありがたい。
さて、そろそろ私が厳選した展示品を紹介しよう。

1. 一番に目に入ってくるのは、やはり船の模型が二つ並んでいることだろう。


こちらの船、実は兵庫津ミュージアムにも展示されている船で、北前船(きたまえぶね)といわれる。
兵庫津ミュージアムの横を流れる兵庫運河沿いには、実物がどれほどの大きさなのかを可視化したオブジェが設置されている。
気になった方は、兵庫津ミュージアムへも訪れ、ぜひ兵庫津所属のボランティアの方々が行っている、まちあるき講座に参加していただきたい。

兵庫県立兵庫津ミュージアムの情報↓

また、私たちの仲間が取材しに訪れている。レポはまだ公開されていないが、SNSでの発信をしているので、そちらも覗いてくれるとうれしい。

2. 2つ目は源平合戦図屏風

こちらも、順路に沿っていくように90度右に回ると、ばーん!、と目に入ってくる、アピール強めの展示品。
ところで、兵庫の歴史と聞いて、思いつくのはいくつあるだろうか。
平安時代末期、源氏と平氏が全国でしていた戦い・源平合戦も、兵庫で行われた有名な合戦がある。
教科書にも取り上げられる、須磨一の谷の合戦。
兵庫で育った私たちはもちろんのこと、国語の教科書でも、社会の教科書でも取り上げられる有名な合戦。
国語の教科書では、平敦盛と熊谷直実の話、「敦盛最期」が取り上げられていた。
もちろん世代でのギャップがあるかもしれないが、須磨寺にある銅像が一番世代関係なく皆さんの頭によぎるのではないだろうか。

須磨寺にある銅像がこちら。

源平ゆかりの名刹 
大本山 須磨寺 上野山福祥寺 のサイトより

展示されている屏風はこちら。

こちらの屏風は、この兵庫で起こった源平合戦の一連を描いている。

あそこはあの戦いか!
ここ、あそこか、一の谷か!!

といった風に、記憶をたどったり、現在の姿と照らし合わせたりして、登場人物を探してみてはどうだろうか。
この部分は、このシーンを描いている、というように、写真に丸を付けたりしているパネルが用意されているので、そちらを見て、思い出にふけるのもまた良さそう。

須磨寺のURLを貼っておくので、銅像が気になった方、須磨寺が気になった方はぜひ下のリンクから見に行って欲しい。

https://www.sumadera.or.jp

3. 卯の花威大鎧 [十六間星兜付]

この展示品もまた色鮮やかで金と紺のコントラストがとても良いアクセントとなっている。
戦場で使われた可能性もあるにもかかわらず、色も、質も、綺麗に保存されているのがとても興味深い。

ところで、鎧・兜は、戦いのときの服装。そこまでは、周知の事実だが、ファッションとしても、見られていたということはご存じだろうか。
虫の触角のような鍬形台といわれる場所、ある鎧ではウサギの顔をしていたり、山形の武将なら愛という文字を模っていたり、と武将によってのこだわりが強く出る。
また、大袖と呼ばれる場所も、使われる威しのデザインや色、素材によって全体の印象が変わり、武士にとっての美意識の見せ所でもあった。
このように、生きるか死ぬかの戦場で纏う「鎧」に、性能としての「強さ」だけを求めていたのではなく、死装束としての「美しさ」も求めていたそう。

と、得た知識を少し添えて…。

だが、ここで展示されている大鎧は、江戸時代中期以降に流行した復古調の大鎧で、江戸時代後期に制作され、明石藩主松平家に伝来した、とのことなので、死装束としての意識はあったかどうかは不明。それでも「美しさ」は、時代を超えて求められるもの。鞍馬寺所蔵、源義経着用と伝わる大鎧(焼失)を参考にしたと考えられる、とも歴博の名品選の紹介ページにある。
戦いが頻繁に無くとも、武士中心で社会が動くようになった時代の鎧を参考にして、「美しさ」を求めたのではないだろうか。
殺伐とした戦いにさあ今から行こう!と臨んで、オシャレまで意識している擬人化キャラクターを初めて見た時、

何してんの笑

と思ってしまったことを謝りたい…。
今考えれば、現代でも、今から戦いだ!と言って渾身のオシャレを決めて、面接や初対面の人と会う時などの何かに、挑んでいく人も少なくない、というかほとんどがそうではないだろうか。
そういった感覚だったんだなと、殺伐とした戦いがなくなっても、現代でもずっと意識は受け継がれていたんだなと、このレポを書いていて気付いた。

祭りの裏側を知る

➢ 兵庫五国の祭り
こちらの展示コーナー。こどもはくぶつかんの次にあるコーナーなのだが、入る前から、祭りの盛り上がっている映像の音声で、怖がって泣いてしまう子がいるのだとか…。
ぜひ、この記事を読んだ方は、怖がらずに入っていただきたい。笑
さて、展示内容は、神輿や、兵庫の祭りの歴史、移り変わり、地域別の特徴的な祭りなどなど…。
夜に行われる祭りということで、壁紙も暗い色にして臨場感あふれるコーナーとなっている。

ここで、祭りについて、私個人としての話をここでさせていただきたい。

明石市民である私は、布団太鼓が馴染みある神輿。
ところで布団太鼓とは。
神様が休むための布団という説や方策を願う「田」(上から見ると田という感じに見える)であるという説から、上の部分に三枚の赤い座布団を重ねて、布団締めをしている神輿のことを、布団太鼓という。いたるところに、その地域特有のデザインや模様があるのがまた興味深いところ。
私は幼いころ、その時住んでいた地域の秋祭りには、釣り子が神輿を引っ張って神社まで来て、神社で神輿を担いで、練りをしたり、時にはぶつけ合ったり、と初めての秋祭りで、初めて神輿を見た私にとって、とても魅力的な祭りに感じた。
友人の親御さんが祭り仲間に入っていたからと、神社横に一時的に置いた神輿の担棒(かぎぼう)に特別に乗せてもらったことは、今でも記憶にもと写真に鮮明に残っている。
その後引っ越しもあり、なかなか神輿を目にすることがなくなってしまったが、この活動で、また神輿を博物館で見ることができた時はとても嬉しかった。また、隣町で祭り仲間を募集していたこともあり、加入させていただいた。
新参者ということで、今年は思い切り楽しむこと、という任務を課され、宵宮・本宮、二日とも参加して思い切り楽しんだ。ただ、今回加入させていただいたことで、知らなかった裏側をたくさん知ることもできた。

兵庫の秋祭りで使用される布団太鼓、実は運営が厳しくなっているという。
私が加入したのも、布団太鼓が収納されている蔵に貼られていた、募集のチラシを見て、連絡を入れさせていただいたのがきっかけ。先ほどから出ている釣り子も、ある一定時間に4人いないと大変なのだが、少ないところでは10人にも及ばないところも・・・。
練りをする方も少なくなっており、“地域で神輿を担いで対抗する”という形から、“一つになってお互いを助け合う、また、県を超えて助けに行く”という形に変わっており、当日は隣の県どころか県を一つ越えたところから助っ人として来てくださっていた方もいた。
大学生の私に何ができるのかわからないが、男女関係なく大歓迎とのこともあって、連絡させていただいた。話を聞いていると、表ではわからない裏側が、深刻だということに驚いたのと、この活動をしていることで何かできないかと思い、ここに載せさせていただいた。
女人禁制を貫いている地域もまだ少なくはないが、禁制を解いて、少しでも仲間を増やそうとしている地域もあるので、重要無形民俗文化財に指定されていることからも、後世まで残していきたい大事なものだと改めて認識させられた、貴重な経験だった。
興味を持っていた、持った、あるいは祭りが好きだという方、一番近い地域のところに門をたたきに、または練習を覗きに行ってみてはどうだろうか。
(写真は、私の独断だが、一番写りが良く、晴れていた本宮の方を載せている。宵宮は運悪く雨が降り、私のスマホも良く写してくれなかったためこちらを載せさせてもらっている。)

■ 兵庫県立歴史博物館の基本情報

最後に情報提供。
兵庫県立歴史博物館の情報を…。

兵庫県立歴史博物館
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68番地
TEL079-288-9011
FAX079-288-9013

開館時間午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は開館。翌平日が休館)


観覧料金
1階は無料ゾーン。
2階のカフェのみを利用の場合、観覧料金を払う必要なし。

講堂・多目的ルームでの催しのみに参加される場合、観覧料は不要。
(参加費を別途頂戴する場合があり)
2回常設有料ゾーンの観覧料金は次の通り。

● 高校生以下は無料。
● 障がい者1人につき介護者1人は無料。
● 一般団体料金は、20名以上の団体で適用。
● 障がい者団体料金は、20名以上の団体で、かつ総利用者数に占める障がい者の割合が半数以上の場合に適用。
※ 障がい者料金をご利用の方は、インフォメーションで障がい者手帳を提示。
障がい者手帳アプリは「ミライロID」も利用可能。
※ 特別展・企画展の際は、観覧料金が変更になる。
詳細は展示・展示会を参照。

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