私の就活

私が大学を卒業したのは1992年3月。
今、就活真っ最中の学生さんたちの、
その親御さんたちよりもっと前のことになる。

私の1年前に卒業した先輩たちには
段ボール2つくらいのDMや求人資料が届いたと聞いていたけど
バブルがはじけた私の時には小さめの箱が1つになっていた。
それでも「先生になる」とずっと思っていた私にとって
一般企業からのDMなんて、別にどうでもいいと思っていた。

大学4年の春の教育実習中、
仕事内容はともかく、生徒に対する自分の気持ちに疑問が湧き始めていた。

「私が先生になったら、新聞載るんじゃね?」

かわいい生徒には何でもしてあげたくなるし
従順じゃない生徒には減点したくなる。
自分がこれまでにされてきたように、えこひいきが激しい人になりそうだし
これも自分がされてきたように、できない生徒に体罰を与えそう。
なんだかいろいろ無理じゃないか?って思い始めてしまったのだ。

実習を終えて、さてどうしようと考える。
地方公務員と専業主婦の両親には、就職について相談しても無理。
「なんで先生にならないの?」
「地元以外に就職は認めない」
開けてもいなかった箱を開けて、DMを片っ端から見るけれど
理系学部には県外の企業からの誘いしか来ない。
教授に相談して、いくつかの企業に電話で問い合わせてみるけれど
ある金融機関には
「文系に限っております」
と、丁寧に断られ。
養殖事業部を持つ会社には
「うちは(現場だから)女はいらないよ!」
と、激しい音を立てて受話器を置かれた。
「たった2社で」と思うかもしれないけれど
その時の私は、それでもう諦めモード全開になってしまっていた。

卒論のための実験をしながら一つの企業を受験した。
学部学科不問のソフト開発会社。
上場企業を親会社に持つ、地方支店が独立したような企業だった。
就業場所は当時一番目立った新しいビル。
やりたい仕事だったわけでもなく
学校で学んだことを活かす仕事だったわけでもない。
ただ単に、通勤しやすくてきれいなビルで
入社後1年間東京か大阪で研修ができるということだけで決めた会社。
私でも受けられるという理由だけで決めた会社だった。

それから30年。
あの時代にソフト会社を選んだのは自分でもよくやった!と思う。
3年過ごしたあの会社が、その後の私の人生の基盤になっている。

今、高校生に向かって
「なぜその仕事がやりたいのか」
「なぜその会社でなければならないのか」
きちんと考えて選択しろなんて偉そうに言っている私だけど
何となくで選んでも、何となくを繰り返しても
最終的にやりがいを持って仕事に取り組めているのだから
そこまでガチガチに取り組まなくても良いのに、とも思う。
絶対に生徒の前では言わないけれど。

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