2024/02/07

ああ、またサボってしまった。
ここ数週間、仕事がピーク中のピークであまりの疲れに家に帰ると何か活動をしようという気が全く起こらなかった。
ただ仕事だけでは1日があまりにも味気なく、無くした大切な何かを取り戻そうと、死んだようにベッドに横たわりながら、NetflixやAmazonプライムでアニメを未漁っていた。たいていは中高のころにコンビニで立ち読みしていた少年マンガのアニメ版で、舞台はほとんどが高校だった。

今週はずっと『アイシールド21』。晩年パシリだった主人公が、アメフト部に入部し数々のライバルたちと戦う中で「戦う覚悟」や「仲間の大切さ」、「勝利への執念」を身につけていく。「友情・努力・勝利」が3点セットで、少年マンガの王道すぎる。最後に主人公のセナがNFLに入ったような描写で終わるのだが、そのダサい終わり方のせいで少し冷めてしまった。

学校を舞台とするマンガやアニメを観終わったあと、心にぽっかり穴が空いたような、強い寂寥感に襲われる。それはアニメが終わってしまった寂しさもあるのだが、それ以上に学園物特有の、「この主人公のこの高校での物語はあと2年で終わりになってしまう」ことの寂しさであるような気がする。高校3年間という「限定」によって物語の唯一無二性が際立ち、終わってほしくない夢を見ている気がしてくる。

アイシールド21の最後に冷めたのは、その高校3年間「限定」の物語が、プロのアメフトの世界まで「無限に」続いてしまうことを予感させたことにあるのだろう。心の穴は空いたままでいいのだ。

ちなみにアニメを観終わったあとの穴は、同じアニメをもう一度見ることでは埋められず、別のアニメを探したり、ゲームをしてみたり、本を読んでみたり、違ったやり方で穴を埋めようとするのだが、決して埋まることはない。まるで主体が原初的に喪失した欠如を補う対象aのようだなと思う。

物語の有限性。それは人間一人一人の限りある生と密接に結びついているのではないか。
一旦終わり。

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