2024/01/05

今日は新しい生徒が体験授業を受けにきた。その時の話。
ちなみに結論は考えていないし、結論が出るかもわからないが、一旦思考の痕跡として残しておこうと思う。

新しく入ってきた高校生のその子は、ずっと数学に苦手意識を持っていて、自分は数学ができないという意識が強すぎて、基礎からやりたいということで塾に入ってきた。ちなみに基礎というのは高校数学の基礎ではなく、中学数学の基礎。中学数学からやり直したいというものだから、どれだけできないのだろう、と思って一緒に問題を解いてみたら、普通にできるじゃん。二次関数が不安だというから解いてみたら平方完成はできるし二次不等式も解ける。できないことといえば、二次方程式の解の存在範囲によって定数の範囲を決める問題ぐらい。でも、数学に対する幻の「苦手意識」のせいで必要以上に不安を感じていた。

その子の課題は高校の「数学I」の、「二次関数」という単元の中の、「二次方程式の解の存在範囲」という本当にただの一部分でしかないところにあって、それ以上でもそれ以下でもない(実際はもう少し穴となる部分はあったのだけど、大した穴じゃなかったので、今は少し誇張して表現している)。こんな一部分ができないというだけで「自分は数学ができない」という苦手意識を持ってしまっていた。

塾講師をやっているとこういう子は何人も見る。数学が苦手だ、と言っている生徒に実際に問題を解かせてみると他の子とほとんど変わらない。そして、塾で一緒に問題を解いてできるようになってくると、今まで抱いていた数学に対する苦手意識が綺麗さっぱりなくなってしまう。
これは決して僕の指導力が優れているわけではなく、生徒自身が自らの体をもって体感するのだ。「今まで不安に感じていたのはこの部分だけだったんだ」と気づいていくのである。つまり水の流れを堰き止めている障害物を取り除くと、急激に流れていくのだ。

「生徒の苦手意識」を構築してしまう最も大きい要因の一つは、親による「あなたは数学が苦手だよね」という呪いの言葉である。親が子どもに「あなたは数学が苦手だよね」と声をかけると、子どもはその言葉を内面化し、子どもにとっての新たな現実となってしまう。
そして、親による「あなたは数学が苦手だよね」という声がけも、実は親自身の、自分が苦手だったものに対するコンプレックスから来るものなのだと思う。「子どもには自分と同じ轍を踏ませたくない」という綺麗事の裏には、「自分が苦手だったのに(数学を)やらされた自分の過去に対する復讐」が隠れている。

この辺りは鳥羽和久さんの著作からもろに影響を受けている。また読み直さなければ。

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