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ターゲットは自分

発信活動をしていると「ターゲットは誰?」と聞かれることがある。「ターゲット決めるのはやめたんだ」と応えると「それじゃダメだよ。ターゲットに向けて発信した方がいい」と言われる。その昔Y社にいたころ、お偉い方とよく話す方と話したことがある。「誰に向けて記事を書いてるかって、そんなん全員に読んでほしいに決まってるんだよ。」と言っていた。

宏枝と車で移動中に東京FMを聞いていたら、秋元康さんのコーナーが特集されていて、こんなような事を言っていた。
誰かのためにじゃなくて、自分のためにやる。そしてまず身近な人から倒れていく(ドミノのように)。家族、仲の良い友達、マネージャー、オーディエンス。売れてる人はそういう特徴がある。

それから、宏枝と半年くらい前に見た映画『ドリス・ヴァン・ノッテン』でドリスはこんなことを言ってた。
自分が1番に感動する。ジェフと同じだ。自分が味見して1番に感動する。あとそれを気にいるかどうかは聞いてみないとわからない。できるすべてを尽くして、ランウェイの後にカスタマーの感想が初めて分かる。


という訳で、僕は発信のターゲットが僕自身という事が定まった。UVERworldの"Don't think. Feel"の歌詞にもこんなのがある。

誰かの為に生きて行く それさえお前の為だろ
https://m.youtube.com/watch?v=9rqNY3JmM0w

ターゲットに向けて何かを伝えたいという気持ちさえ、自分の感情が出発になっているので、それさえも自分のため、というワケだ。

形而上学では、観測者(僕)かいることで世界の見え方は変わる、といわれる。よく聞く「思考は現実化する」だ。僕たちは自分を通さなければセカイを知覚できない。自分の感覚、自分の考え方があって初めて世界を現実のものと感じられる。

ということは、発信の目的は、最終的には自分の喜びのためになる。不幸になりたい人はいない。誰かを不幸にしたい人もいない。誰だって幸せになりたい。そのための重要な道が自分であり、自分を通してはじめて世界に幸せをシェアできる。

世界が自分の行動で不幸になれば、自分も不幸になる。幸せになれば、自分も幸せになる。形而上学では「内側にあるものは外側にあり、外側にあるものもまた内側にある」と言われるけれど、実際にそうなっている。想像以上に自分は大切で、意外と自分の本音は無視され続けている。

だから、ターゲットを誰かに向けずに自分自身に向けようと思う。誰かが何を思ってるかは、いくら思いやって想像しても全ては分からない。僕にできるのは、自分自身が喜びに満ちた人生を生きて、人にも喜びの人生を生きるのをお誘いし続けること。誘って断られても、それはその人の判断だけれど、喜びの人生を生きた方が良いと100%確信している。なので、まいにち喜びを選ぶし、お誘いし続けようと思う。


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