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9cmの赤ちゃんが教えてくれたこと②


朝になった。


朝食を食べ終わった頃、担当してくださっていた助産師さんが部屋に来た。
診察の時間だ。


いよいよ陣痛促進剤を入れた。
3時間おきに追加して入れていく。


私はお腹の痛みに鈍い方なのか
陣痛の痛みはそこまで強くならなかった。


2度目の促進剤を使った後にトイレに行った。
そこで何か弾けたような感覚があった。


トイレから戻りベッドに腰掛けた時に破水した。
急いで病室に備え付けの電話で助産師さんを呼んだ。


ベッドに仰向けになり内診してくれた。
もう赤ちゃんが降りてきている!とのことで
そのままベッドで産むことになった。


促されるまま深呼吸していたら助産師さんが言った。
「赤ちゃん出てきましたよー!きれいに出てきてくれました」


え?もう出てきたの?
2度出産を経験したがそのような感覚はなかった。
陣痛も無い。不思議な出産だった。

(私の場合は陣痛もほとんど無かったけれど
ほとんどの人はあるそうです。)


診察が終わると2時間ほどベッドの上ででゆっくり過ごした。

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夕方病室の電話が鳴った。
担当してくださった助産師さんだった。
「赤ちゃんのお支度が出来ました」


夫も病室に来て赤ちゃんに会った。
小さなピンクの箱の中に赤ちゃんはいた。


助産師さんが作ってくださったというフカフカのベッドは寝心地が良さそうだった。
作ってくださりありがとう。


12週の胎児を見る機会なんて人生であるだろうか。
なかなか経験できるものでは無い。


赤ちゃんは9cm。
小さいけれどもうしっかりと人間の形をしていた。
顔には目になる部分もあった。
皮膚はとってもプルプルだった。

多分男の子だった。


そこまでの寿命だった。
身体を作ることがそこで止まってしまっていた。
原因は不明。
「原因も理由もわからないことを全身でただ受け入れる」
という経験の中で最もインパクトのある経験だった。



夜、助産師さんが来てくれて赤ちゃんの箱に入っている氷などを替えてくれた。
その時に「私ももう一回見てもいいですか」と言い、彼に話しかけていた。
「ママのところにまた戻っておいでね〜」
そして少し涙ぐんで「泣いたらダメなのに」
と言っていた。


それを見て、私たち家族以外にもこんな風に愛情を注いでもらえて
彼はなんて幸せなんだろうと思った。


生きていても死んでいても変わらない。
思いをかけてもらっていれば、その人は幸せに違いない。


だから彼も幸せに違いない。
その時、確かにそう思った。


思い・エネルギーをかけること、
それはその人、思い、動物、魂…
そういった全てのものを存在させることになるんだ。


何が「死」で、何が「生」なのか。

肉体だけの話だと簡単かもしれない。


でも彼は確かに存在している。
今までも、今も、これからも。
無くなったりなんかしない。

目に見えるものだけが「ある」わけではない。

目には見えないけれど「ある」。


それが真理だ。


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次の日。
彼の体とお別れする日だ。
あらためて見てみた。

「立派!立派!すごい!
ここまでよく上手に体を作ってきたね…」

思わず声が出た。


立派なのは彼だけじゃ無い。
私たち一人一人の心臓は毎日動いていて、色々なことを感じて、
今、生きている。


毎日が奇跡だ。
一瞬一瞬が既に奇跡なんだ。


私たちに肉体がある間、それはいつまでなのか誰にもわからない。


その時間を、奇跡を、たっぷり楽しもう。


子供と沢山ぎゅーしよう。

美しいものを沢山見よう。

水や風の感覚を感じよう。

食べたいものを食べよう。

着たい服を着よう。

会いたい人に会おう。

やりたいことを今やろう。

在りたい自分で在ろう。



9cmの赤ちゃんは
私に素晴らしい経験をプレゼントしてくれた。
そして色々なことを教えてくれた。

今回感じたことは、なぜか文章に残さなきゃと思った。 

それでこの文を書きました。


赤ちゃん教えてくれてありがとう!

読んでくれたあなた、ありがとう!



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