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ハートのキングの別れ


最期は幸せな別れでありたい。
別れは人を弱くし、そして強くもする。



彼は時々、闘病生活を送っているお父さんのことを話した。

「がんは幸せな病気ってお医者さんから聞いた。」
「どういうこと?」
「事故とかで亡くなると突然の別れになる。家族からしたら、『もっとこうしておけばよかった』とかになることが多い。でも、余命があるってことは、どんな風に残りの時間を一緒に過ごしたいかを決めることができるから。」
「そっか。」

その話を聞いた時の私は、“死“に対してとても恐怖心があった。
もっと具体的に言うと、“死別”に対してだ。

愛する人を失ったことがあるから。
病気を患ったのちに精神的に病んでしまった祖父の自殺によって、私はその“突然の別れ”を経験した。


両親ほど近い存在の死が迫ってくると思うと私なら耐えられない
当時はそう思っていた。

だから、彼が話すことが入ってこなかった。

「俺は親父が死んでも泣かない。」


そう言う彼のことを冷めた人なのかも、と思った。

ある日、就業中15時ごろに彼の携帯が鳴った。

「父親の入院している病院から、父親の容態が良くないから来て欲しいと連絡があったから行ってきます。」
そう言い残して彼はオフィスを出た。


その日、仕事終わりに彼の家に泊まりに行くことになっていた。

“今日はやめておく?”

そうメールを入れると彼から返信があった。

“一緒にいたいから予定通りで。”



2時間ほどして彼はオフィスに帰ってきた。


定時を少しすぎるまでお互い仕事をして、
少しずらしてオフィスを出た。

駅のホームで待ち合わせをして、彼の家に向かった。

家の近くで夕食をしながら話をした。

お父さんとの今までの話や、その日何があったか、彼にとってお父さんがどう言う存在なのかを話してくれた。
そしてまた、「俺は親父が死んでも泣かない。」
彼はそう言った。

その時の表情を見て初めて気付いた。

当時の私は物理的繋がりしか見ていなかった。

死別の時に涙することだけが愛じゃない。

大切な人が生きている今に、自分がどうしたいか。
その人と自分が望む、叶えられることをする。
彼はお父さんが生きている今に重きを置いているだけなんだと、その時に理解をした。



家に着き、着替えをして椅子に腰を下ろした彼が私を招き寄せた。
彼に呼ばれるままに近づくと、何も言わずに私を抱き寄せた。

彼の顔は見えなかったけど、私も彼を強く抱きしめ返した。
どちらも言葉を発しない静かな時間が流れた。

しばらく経って彼は顔をあげ、「お風呂ためるな。」
そう言ってその場を離れた。


その日の夜はいつもより強く私を抱きしめて彼は眠った。



人は生まれた瞬間に死ぬことが決まっている。
だからこそ素晴らしいと言える人生を送りたいと願っているのかもしれない。

儚く美しい時間を一秒たりとも見逃さないように。

1人1人に有限の時間を与えられているのが人生。
どれだけの時間が自分にはあるのかわからない。
何十年という時間が時に永遠かのように感じてしまう。
だから人は勘違いをするのかもしれない。

1秒後が、1時間後が、1日後が当たり前に訪れるものだと。

愛する人との時間も永遠ではない。
そう、永遠ではない。
そのことが理解できていたら、私は彼にもっと愛を伝えていた。


彼が笑うと心が躍り、彼の沈んだ表情を見ると抱きしめて寄り添いたい。
彼が私の全てだった。


愛していると言えなくて。

口に出せない想いは体の中で熱を帯び、行き場所を探し続けている。

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