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【おもふところ】薄毛問題から言論の自由までぶったぎ……れなかった

昨年、年明けにこんなニュースが出ていたのを、皆さんは覚えていますか??

以下は、ニュースを見た当時の私の感想をリライトしたものです。

ニュースを見てこんな事が選挙戦に利用されるのかと笑いそうになったが、韓国では薄毛が問題で就職もできないという別の記事もあったりして、人って、遺伝子とかホルモンとか抗えない事があるのが普通なのに、コンプレックスを感じてしまったり、無駄なコンプレックスを感じさせるような偏見とかが生じちゃうのってなんだかなと思う。

ただ、悲しいかなそれもまた人間だから出ちゃうのかな?

韓国の選挙攻略の是非については置いておいて、小さいことから大きなことまで、人を見た目や性質でとやかく言うのやめたいなと改めて思うニュース。

私自身のLINE  VOOMより

当時のわたしへ。
でもさ、全く偏見を持たない人間っているのかな?
そして、その想いって、ひた隠しに胸の内にしまっておかなければいけないのかな?
それって偽善だよね。博愛主義?

公の場では出してはいけないことは沢山あるけれど、日常会話の中でまで出しちゃダメってことではないと思うんだな。


例えば……
ある人が在日韓国人だという報道が出て、視聴者が「思った通り、韓国人顔だ」と公の場で発言したら、その発言者はきっと袋叩きにあうでしょう。

でも、その視聴者が私の友達で、日常会話の中で私に言ってきたとしたら、私は「そんなこと言うのやめなよ」とは言わないですね!
言えなくて言わないのではなく、会話として成り立っているし、どうしてそう言うのか興味があるからです。
だって、それがその人の感想だし、本音だし、そう見えたんだから。
どの辺がそう見えるの? 同じアジア人なのに日本人とどう違うの? と、逆にインタビューしたくなりますね!
だから、私にも人並みの偏見思考はあるし、博愛主義者でもなんでもありません。

でも、公の場でその友達がそういった「韓国人顔だ」などという記事とかコメントを出していたら、「ちょっと考えないといけない問題だよ」と指摘するかもしれません。
(※かもしれない……としたのは、書き方によってはもしかしたら誰にも不快に思われない表現方法で記事にする人だったら指摘する必要もないですからね。)

個人同士で成り立つ会話が、公の場でも成り立つとは限りません。

この発言する場や、発言の仕方を間違えてしまうのはとても「危険」だと私は感じます。

言論の自由だと権利を主張したがる人もいるけれど、なんだろなー、ここの部分のニュアンスを伝える言葉の選択が、今の私には出来ません。

漠然とモヤがかかっていて、分かったようで分かってない? いや、分かってる! そんな葛藤の中にいます。
私の以前の失敗談、経験、学びから今回このような記事が書けるところまできました。


私よく、後輩たちには「人に説明できるようになって初めて自分が理解したことになる」と教えています。

言論の自由、表現の自由、もっと理解して、咀嚼して、そのとき改めて、自分の言葉で伝えたい! そう今は思っています。


いつの日か!!


三連休の初日。
ここのところの【おもふところ】でした。


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