マガジンのカバー画像

平和を願うマガジン

52
運営しているクリエイター

2022年10月の記事一覧

生きてる奇跡・番外編

生きてる奇跡・番外編

思い出せる限りの奇跡だなと思うときを綴ってきましたが、とりあえずこれが最後の奇跡です。

五歳年下の妹の第一子、姪っ子について。

ある偉人の話では、なかなか言葉を話せるようにならなかったが、最初の言葉が『スープが熱い』だったとかなんとか。
元V6の岡田くんも、なかなか言葉を話さず、最初の言葉が『それは違うと思う』だったとかなんとか。

姪っ子も、もうすぐ三歳になる頃になってもお話が出来ませんでし

もっとみる
信じることと疑うこと

信じることと疑うこと

たまたま目に入ってきた記事が、スピリチュアル系記事でした。

今年は全世界で見ても800年に一度の良い年だと…
何かを始めるなら今年だと。

なんだか、とても引っかかってしまって。

争い事が始まった国があるじゃない?

日本にだっていつミサイルみたいなものが落ちてくるか分からない日々なんだよ?

誰にでも幸運の年って…

大事な人の命が突如奪われた人もいる。

戦いたく無いのに戦わされてる人もい

もっとみる
生きてる奇跡・5

生きてる奇跡・5

2008年3月25日。

大学院を卒業して三日後。

引越し作業を終え、私の家の家具など欲しい後輩に引き渡したりしたその夜のこと。

下宿先の新倉敷から、母の実家がある岡山に移動するときのこと。

後輩に駅まで送ってもらい、電車に乗って、岡山駅に着いたのが23時前後だったと思います。

母と祖父が待つ祖父宅へは、タクシーを使わなければその時間は交通手段はありません。

大きなスーツケースを抱え、タ

もっとみる
生きてる奇跡・4

生きてる奇跡・4

もうすぐで30年。

1995年。日本中を震撼させるテロ事件がありました。

地下鉄サリン事件。

丸の内線・日比谷線・千代田線などで多くの犠牲者が出ました。

私が六年生の終わりのころの出来事でした。

当時、父の職場は帝国劇場の近くにありました。

父のイメージは子供のころの私にとっては、仕事一筋!ザ・日本のサラリーマン!といった感じで、朝は私が起きる頃に出かけ、夜は眠るころに帰ってくるという

もっとみる
生きてる奇跡・3

生きてる奇跡・3

前回の生きてる奇跡・2の体験後、その日の夜、交番から帰って来た父に『のの様にお礼をしなさい』と言われました。

※のの様と言うのは、神様仏様の呼び名の幼児語です。

父は、毎朝毎晩、出勤時と就寝時に神棚に手を合わせることを欠かさない人間です。

私が物心つくころ、いえいえ、物心もついていないころから、神棚に手を合わせている父の姿は思い出すことが出来ます。

あの日、怪我一つなく無事に家に帰ってこれ

もっとみる
生きてる奇跡・2

生きてる奇跡・2

今から約30年前。
私が10歳のころのお話。

子供の頃は、多忙で(笑笑)
月曜日は公文と英語教室
水曜日はエレクトーン
木曜日は公文
金曜日はピアノ
土曜日はスイミング
そんな習い事をたくさんしておりました😅

習い事の前には眼科で視力矯正の映像を見に毎日1人でバスに乗って眼科へ。

活発だったので、要領さえ得れば1人で何処へでも行って帰ってくる、私はそんな子供でした。

ある水曜日のことです

もっとみる
生きてる奇跡・1

生きてる奇跡・1

今から約50年前の1974年。

東京は丸の内の三菱重工(現・丸の内二丁目ビル)にて無差別テロ爆破事件が起きた。

私の母は当時高校生で、ホームステイ先のアメリカ(あれ?イギリスだったかな?忘れたw)から日本に帰国し、迎えに来た祖母と東京で一泊し、岡山に帰る日だったそうだ。

宿泊先からタクシーに乗って、三菱重工前の道を通り、東京駅に到着。

当時のことだから、東京岡山間は5時間位はかかっていたの

もっとみる