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非モテ救済とは(恋愛哲学)

初めまして、非モテ救済アライさんです。

このnoteでの一番最初の記事の自己紹介でも説明はしているけれど、改めて非モテ救済とはどういう意味なのか、アライさんの非モテ救済という思想や何故”非モテ救済”と言いながらモテる為の方法やノウハウ、テクニックを紹介しないのかなど誤解をよく受けるので自己紹介も含め説明します。



非モテ救済とは

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ちょっと恥ずかしいけれどアライさんの一番最初の記事です。
ここで伝えている様に非モテとはアライさんにとっては『自称』非モテであってその人の思い込みであり決めつけ、自己暗示ということ。恐らくお付き合い経験がないとか、フラれた程度の事で非モテと名乗ってる方が大半だと思います。

そもそもモテるの定義が人によって違う。
恐らく自称非モテさんの言うモテるは不特定多数の異性から性的対象として言い寄られるとか、自ら声をかければ口説ける、ヤレるような事だと思うのだ

アライさんにとってはその定義のモテるならばモテなくても構わないという考え。20代や学生が性欲に目覚め経験したいと思う気持ちや、漫画や映画のような甘酸っぱい恋をしたいという気持ちは理解します。そしてそれを否定する気は全くありません。ただ、その個人の欲望、性欲を満たすためのモテは本当に必要なのか疑問に思っています。

特に婚活をしている人や(本来年齢は関係ないですが)30代以上の真面目に恋愛をしたい人にとって。
恋愛や結婚を何故するのか、したいのかにおいて不特定多数の異性から言い寄られる必要が何処にありますか?選びたいから?
好きな人と添い遂げる為に不特定多数からモテる必要が何処にありますか?承認欲求?


アライさんにとってモテるの別の定義としては異性、同性問わず好かれる頼られる信頼されるという意味でのモテるです。

決して性的対象として好かれる必要はないです。老若男女問わず好かれ頼られ信頼される人は必ず恋愛においても好かれます。

これは人としてどういう人間が好かれたり頼られるのかについて考えると、他人の為に行動が出来る人だと思うのだ。そういう人は老若男女問わず人が集まってくるという事。


好きな人にだけモテれば良い。結婚相手にだけモテれば良いんです。


ただ、ダイエットで部分痩せが出来ないのと同じでターゲットにだけモテる行為というのは出来ないです。ダイエットの強制サポーターみたいな表面的な一時的な好意を持たれる謂わゆるモテテクみたいなものはあれど、その人にだけモテる行為はないです。


ただ、結果的に愛する人にだけ好かれる事は可能です。


それは、


貴方が一途に、誠実に愛せるかです。



自称非モテさんがこの意味で自分の事を非モテと言っているならば、アライさんはモテる為にどうするべきかは常にツイートしているし相談に乗っています。

誰からも魅力的な人は、結果的に恋愛においても好かれます。だからと言って恋愛でモテる人が誰からも魅力的に思われるかと言うと全く別。

ここを大きく勘違いしてモテテクだの、容姿を磨くだの、本来の魅力を磨かない人が多い。



他人の為に行動できる優しい人なのにモテず、寧ろ他人の為に行動することで都合よく使われる人や、見下される人もいるのだその違いは自己犠牲による優しさです。
これは質問箱でもよく来る相談です。

おそらく主に「モテる」について上記の二つを思い浮かべる事が多いと思います。そして最初に挙げたモテる事を求める人は経験人数や相手のステータスで物事を語り、承認欲求が高かったり、クズ男に沼りやすいタイプでもあると思う。そこに幸せは本当にありますか?

経験人数を語ったり、ステータスでモテを語るのを80歳、90歳になってしたいですか?

「100人以上と付き合ってきた。私はモテる」と語る人に対して、長い付き合い、信頼構築が出来ない、飽きやすいとか、浮気するかもと思わないませんか?そんな意味で’’モテる’’人が魅力的に感じるのですか?そんな人と恋愛や結婚したいですか?

よく「先ずは異性として見てもらい恋愛関係に発展しない事には意味がいない」という自称非モテさんがいます。だから小手先のテクニックを干して先ずは関係を持とうとするのだと思う。テクニックやノウハウについては後で語るけれど、小手先のテクニックに頼ることで結局は人間関係の構築には発展できず、『出会い→関係を持つ→付き合う→すれ違い→別れる』を繰り返してしまう。

謂わゆるマニュアル通りのコミュニケーションしか取れないから、深い人間関係を築こうとする度に同じ過ちを繰り返しやすい。

テクニックによるモテ、性欲を満たす為のモテ、承認欲求の為のモテが本当に恋愛関係として必要なキッカケでありテクニックだと思ってるのですか?


ナンパ師の人や、セフレを多く持つモテテク紹介している様な人を見ても、
アライさんからすると何人と付き合い、何人と体の関係を持ったとしても自称非モテさん達との違いを感じないですね。これを「モテる」とはアライさん個人的には思わないし、これならモテる必要は無いんじゃないかと思う。

語るのは自由なのでモテる自慢をするのは構わないけれど、アライさんにとってはモテてないし憧れないってだけです。


そして次の老若男女から慕われる人という意味の「モテる」について。
これは80歳、90歳になっても大切な事であり満たされる人間性でのモテるだと思うのだ。だからこそ「本当にモテる人は同性からもモテる」と言われるのだと思う。同性に限らず人種も年齢も問わず慕われるなら憧れますし惹かれますよね。

そんな人は必ずと言っていいほど、優しい。

子供にも老人にも優しい。

ただ優しいのではなく、そこに敬意を示し、人なよって媚を売るのではなく寧ろ誰に対しても同じ態度を示す。

アライさんはよく男性として、女性として考えるのではなく人として考える事を推しています。
今の時代、LGBTQや人種、性別、年齢に差別する事の愚かさは説明しなくても分かると思います。それでも偏見は誰もが持つとは思う。偏見は所ゆる固定観念からくる偏った考えなのだ。「女性は~」、「男性は~」、「日本人は~」、「成人は~」、「アルバイトは~」、「高卒は~」みたいなカテゴリー分けして偏った思い込みを押し付ける事。

特に日本人はすぐにカテゴリー、ジャンル訳をしたがる人種です。流行に敏感なのもこういった所から来ていると思います。

自覚した上での偏見は言わば食べず嫌いの様なもの。
トマトが嫌い、パクチーが嫌い、セロリが嫌い、チーズが嫌いなどと似たようなもので、自分自身がトマト嫌いだからといってトマト好きな人を否定はしないと思います。
ここでトマト好きを自分基準で否定したり侮辱すると差別になる。
そしてもし無自覚という事なら大問題でありタチが悪くなる。


よくあるのが正義の名の下の攻撃ですね。

お付き合いが出来ない、交友関係を築けない人は案外無自覚な差別をしがち。ついつい「普通」とか「常識」とかを盾に思い込みや決め付け、押し付けて差別するのをSNSやニュースで見た事もあると思う。

話を戻すと、この偏見や差別という固定観念や無自覚であることで人として頼られたり信頼関係を築くことが困難になる。

つまりモテないとなる。

例えイジメや虐待の過去があっても、それを言い訳にしていては偏見や差別をし続けてしまう。決してイジメや虐待などのトラウマを否定はしないですが、それを恋愛や別の人との関係と結びつけるのではなく区別が必要という事です。

区別の方法としては今目の前の人と過去の貴方がトラウマを負った相手とは別人だという認識を持つ事。

これはトラウマを持った方には非常に難しく、じかんもかかる大変な事なので言葉だと軽く聞こえてしまうのはご了承お願いしたい。

例えば父親から性的虐待を受け男性嫌悪に陥った場合、すべての男性を父親と被らせてしまう又はフラッシュバックが起こる。

目の前の相手と父親は別人だと分かっていても、『同じ男性』として敵意、嫌悪が生まれる。


共通点を無意識に探してしまうのがトラウマ。それが「男性は~」「女性は~」という固定観念に繋がるということ。

これは自己理解し自己受容しなければ改善されない。自分と向き合うというのは非常に大変な作業となる。

また話が反れてしまいました。これについてはまた機会があったら書くか質問をくれたら嬉しいです。


老若男女に信頼される頼られる事が「モテる」という事だと定義したとして、それが本当に必要なのか。

つまり老若男女に信頼される頼られる人じゃないといけないのか?という事。もしこういう意味でのモテる必要があるなら「非モテ救済」とはモテる事で救われるという事になる

非モテ救済アライさんにとってはコレも少し疑問に思っている。
「モテる」事の定義には納得した上で必要かというとそうは思わないし、モテないと救われないとは思いません。

そこでアライさんのツイッターのプロフィールにも書いているけれど、「愛する人が一人いればモテる必要はない、恋愛や結婚するしないは自由」という事。

つまりどういう人間に自分自身がなりたいのか、それになる為に過程として恋愛や結婚があれば自然とするいうこと。なぜならなりたい自分になる為に必要な過程だから。
必要がなければ無理に恋愛や結婚しなくても構わない、なりたい自分になればいいだけ。80歳、90歳となった時に余生を送るときに後悔しない、『なりたい自分になれた』と思えるためには自分はどうなっているべきかを目指すのが人生だと思う。

貴方の思い描く貴方自身の理想像が何かは分からないけれど、恐らく孤独に一人きりの人生を歩みたいと思う人は少ないと思います。

恐らく多かれ少なかれ人から慕わられて頼られ笑顔が絶えない人物になりたいと思う。だからなりたい自分になる為の人生を歩むことこそが「非モテ救済」だとアライさんは思って発信しています。


これが出来る人は自然と結果的に老若男女から慕わられ頼られる人になれると思うし、好きな人が出来た時に、好きな人に相応しい人になる為に努めれば結果的に差別しない尊重出来る人になると思う。結果的にモテるようにはなるかもしれないけれど、モテる事を目的にはしてないのだ。

そして結婚して家庭を築こうが、独身を謳歌しようが色々な人から慕われる助けられ幸せを掴めると思います。だから結婚しなければ幸せになれない、子供を持たなければ不幸なんて事は決してないです。

モテる必要は無いと気付く事、なりたい自分になる為の人生を送る事が非モテからの解放であり「非モテ救済」だと思っています。恋愛や結婚が全てじゃない。


非モテ救済の思想

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何故アライさんが質問者や相談者、ツイートなど「どうしたらいいですか?」に対して「こうするべき」の様な方法やノウハウやテクニックをあまり言わないのかについて。

全く言わない訳じゃないけれど、伝える事に重要視していない事と寧ろ小手先のテクニックやノウハウは誤解や鵜呑みする人に向けて危険性が高いと思うからです。
またノウハウやテクニックを呟く方がバズりやすいけれど、それを目的としていないからでもあります。

ノウハウやテクニックは『分かった気』になれるのでテクニックを身に付けた気分になる為に拡散する人が非常に多い。

自称非モテさんにとって何故モテる為のテクニックやノウハウが何故危険なのかについては、自称非モテさん達は手段と目的をそもそも履き違えているから。

テクニックとは手段であり、その時の対処法。つまりモテテクの効果や期間を考えると所謂ワンナイトやナンパ的な口説きが目的となってしまう。

凄く簡単に言えば好かれたくて猫を被るのに『そのままの私を受け入れてほしい』と矛盾した事をする人を見た事があると思います。

『猫を被る』が謂わゆるモテテクとします。

これを一生続けるのか?という事。

もし一生続けるのなら正しい手法だと思いますが、もし違って『本当のありのまま私を受け入れてほしい』が本音なら、目的と手段が違うという事が分かると思う。


そもそもこれが目的である人は、ゲームのように「何人とヤッた」みたいな基準のモテを語ると思う。これが目的ではなくともテクニックやノウハウを重視していると目的にこのようなバイアスがかかってしまう危険性がある。

恐らくアライさんのフォロワーさんは「恋愛したい」、「恋人がほしい」、「結婚したい」という目的でその為に何をしたらいいのかを模索していると思います。

例えば、「好きになった相手が素直な気持ちで接してくれている、とても優しく魅力的で何より素直に接してくれるから好き」という恋をしたとします。そんな相手を落としたいが為にどう振る舞えばいいのか悩む人が多い。

とても優しく魅力的で何より素直に接してくれるから好き」という様に、相手に対して優しく素直に接し返す事が貴方にとって大切な価値観となる。

魅力的で好きになった人に対して、小手先のテクニックで落とそうとする行為は真逆の行為であり嘘付きになる。
世の中には良い嘘と悪い嘘があると言われますが、どんな事でも嘘と分かると悪くなります。

相手を褒める事は良い事だとします。
時には褒める嘘も相手を喜ばせる為に必要だと考える。相手が嘘だと分かったら、褒められないより、否定されるより傷付くのが『嘘』なのです。
これは心理学実験でも証明されている、人が不快に思う行為です。

では、何故同じく優しく素直に接し返す事が大切な価値観なのかと言うと、投影の法則なのです。


投影の法則とは、例えば「友達や同僚に避けられているのかなと思うことがよくあります。少しでもそっけない態度を取られると、なにか気に障ることをしたのかな、なにか余計なことでも言ったのかなと不安になるんです。嫌われてるのでしょうか?相手の機嫌が気になって仕方がないんです。」

これは嫌われていないのに嫌われたと思ってしまいう人の特徴で、正に自己嫌悪や自己否定を投影している状態。自分の事を否定したり嫌うと、周りも当然自分の事を否定したり嫌うだろうと無意識に投影する心理。

『自分は何んやってもダメだ。周りも自分の事をクズだと思ってるに違いない』など。


非常に多い心理です。


これを良い方向に使う。マインドセットです。

人は周りの交友関係や環境によって思想、価値観を形成していきます。
価値観が合わない人とは交友関係を築けない。「周りの人たちは貴方を映す鏡」というのが投影の法則なのだ。
だからこそ相手に対して好きという感情は貴方自身を映しているということ

そんな貴方が小手先のテクニックで相手を騙すように自分を偽る行為を考えるのは、素直さに欠ける。そして自分を偽る行為は自己否定や自己嫌悪に繋がるマインドであり、投影の法則で言うならば自己否定は貴方の周りの人達を否定する事と変わらない行為となる。すなわち彼等も自分を同じように否定する。

よく自己否定や自己嫌悪に陥る人に「友達を変えろ」とか「環境を変えろ」というアドバイスを目にしたことはあると思います。

アライさんも言ったりします。


これは正に投影の法則から来ているアドバイスです。貴方の周りの家族や友人や職場の人達から嫌がらせやイジメを受けているとします。
それに対して彼らに反発する行為は貴方を攻撃する人と相手を攻撃する自分と同等の写し鏡になっているということ。またイジメられる事により自己否定や自己嫌悪に陥っても、自分を否定する行為は相手を攻撃する事と同等だからこれも投影の法則に成り立ちます

謂わゆる被害者ポジションを形成する。(被害者ポジションについて改めて書きます)


だからメンタルがすり減っているから「友達を変えろ」とか「環境を変えろ」というアドバイスに繋がります。

よく無いのが被害者界隈に浸かってしまう事。
被害者ポジションの快楽に溺れやすくなります。被害者ポジションである限り不幸に陥ります。

イジメられたり、嫌がらせを受けて自己受容や自己肯定感が高まる人はイチロー選手の「他⼈から嫌われるの⼤好き。⼤嫌いと⾔われたらゾクゾクします」ぐらいしか見た事がない(詳しくはYoutubeなど検索して)。

人を嫌うとういうエネルギーを、 行動力や向上欲のエネルギーに変えて返すと方法。殆どの人は出来ないし、理解しても気持ちの面(本心)でイチロー選手の様に思えるのは難しいと思います。それは自分軸をしっかり持っていないと心が折れるため。だから自分に合った環境や付き合う人を変える。


話がまた脱線してしまい申し訳ございません。

つまり、「恋愛したい」、「恋人がほしい」、「結婚したい」というのが目的だと手段が変わってしまい自分自身を偽る様になってしまいやすいという事。

また恋人ができた後、結婚した後に目的が無くなりボヤけてしまう。漠然とした『仲の良いカップル』『幸せな仮定』という世間の他者評価による偶像を描いてしまい、『思っていたのと違う』となりやすい。

アライさんは相談者さんに先ず質問するのは何故恋人がほしいのか、何のために結婚するのか、それが貴方にどうもたらし貴方はどうなりたいのか?というものを聞きます。

貴方自身がどういう人間になりたいのかが価値観であり目的

恋人が出来たら死んでも本望ですか?
結婚が出来たら死んでも本望ですか?

そうじゃないからお付き合いや、結婚生活の中でも人は悩む。

目的や目標を必ず持つ必要なんて無いですが、それは今を後悔しないぐらい全力で生きれる人だけです。カズレーザーであったり、ひろゆき氏であったり、スティーブ・ジョブズなどがそういう生き方ですね。

なかなか今日死んでも後悔ないという生き方は難しい人の方が多いと思います。だからこそ目的や目標を見据えて未来に向かう生き方が合う人が多いかと思います。

恋愛や結婚の先に貴方の幸せがある。貴方の掴むべき幸せのための1手段として恋愛や、結婚があるだけ。あくまで手段の1つであり恋愛や結婚をしなくても幸せは掴めます。それが価値観であり貴方の人生の目的になる。幸せな自分とはどんな自分なのかを考えた時に「人に優しく素直に接する事が出来ている事」だと仮にするから、そういう相手に魅力を感じて好きになる。

「どういう人間になりたいのか?」と考えた時に「小手先のテクニックで騙して好感度を上げてゲットする様な人に本当になりたいのか?」という事。

モテるテクニックとして相手を褒めるというのがあるのは知ってると思います。「どう褒めたら良いのか分かりません」という相談も多いです。

どう褒めるのかというテクニックに頼ろうとする事が目的をはき違えているんです。
素直に思ったこと、尊敬の念を褒めたら良い。
相手の笑顔が可愛いと思ったら「笑顔が可愛い」と伝える事。もちろん伝え方は沢山ありますが、相手を喜ばそうとするから素直に褒めれなくなります。自分のキャラや相手との関係性、伝える場所とタイミングなどは多少あります。「今の笑顔めちゃくちゃ素敵!」とか「〇〇さんの笑顔に癒されます!」とか「〇〇さんの笑顔を見るとこっちまで元気になれます!ありがとうございます!」など表現は無限にあります。自分が思った気持ちを一番直に伝える誉め言葉で良いです。


少しテクニック的な事を言うならば、女性を褒めるなら過程を褒める事。
例えば料理を褒める際に「美味しい」と褒めるのは当然だとして食材の種類であったり、調理時間、味付けなり調理の腕よりもどういう思いで選び調理を行なったかを褒めると良いです。
彼氏を喜ばせたいから選んだ料理である事が多い。そこを汲むのが褒め上手になると思います。
時間をかける事に重きを置きやすいのが女性。

逆に男性を褒めるなら能力(才能)を褒める事。
こちらも料理を褒める場合は、『美味しい』と褒めるのは女性と同様で、そこから隠し味であったり、一般的ではない食材を使って独自性を出したり、残り物だけで料理を作るとか、短時間で手際の良さなど料理の腕(能力)を褒めたり、味付けや珍しい食材を使いこなすなど知識を褒めると喜ばれます。それは彼の存在価値を褒める事であって、時間をかけて調理をするなどは『誰でも出来る事』として『自分じゃなくてもいい』と思ってしまう。そうなると女性側は褒めたつもりが落ち込ませてしまう。


あくまで傾向であって、お互い素直な気持ちを伝えあって、心と心が通じ合うのが人生においてこれ以上の幸せはないと思います。

だから「褒めたい」ではなくて「素直に伝える」事がすごく大切となります。
上手く褒めるとかテクニックは要らないです。どういう言葉や言い方が素直に気持ちが伝わるのか自分自身を理解する事。
貴方らしい態度で貴方らしい言葉で素直な気持ちが伝わればいい。そのセリフは他人のアドバイスからは生まれない

だから相手の為になる様な人間、自分がなりたい自分が一致する行為を行うのがアライさんの思想です。


80歳90歳と年老いた時に幸せと思える自分はどんな自分なのかと考えた時にどう振る舞ってきたのか、どんな性格なのか、そこに恋愛や結婚が必要だったのかとなると「相手の為になる人間、自分がなりたい自分の一致」こそ価値観であり目的となります。

投影の法則からすると、「相手の為になる人間、自分がなりたい自分の一致」こそ好かれる。これで好かれないならば相手の為(理想)の人間になれていないという事。もしくは相手の為(理想)の人間と自分がなりたい自分が一致していないという事。
そして「恋愛したい」、「恋人がほしい」、「結婚したい」を目的にしてしまっているとそんな自分にも相手にも偽る行為をして騙し合いながら繋がる関係性となってしまう。不満や不安と戦いながら幸せなのか分からないその場その場の欲求に流される人生となる。


アライさんはこういう思想の元に「非モテ救済」と伝えているからこそ、小手先のテクニックやノウハウが如何にしょうもないと感じているのか少しは理解してくれたら嬉しいのだ。

恋愛を成就させるのも大事だけれど、人生として考えたらどういう人間になりたいのか、どうすれば相手に相応しい人間になれるのかが重要だと捉えているのが非モテ救済アライさんです。


「どうすればモテるのか」「何をしたら好感度があがる」「3回目のデートまでに告ると付き合える?」といった目的や考えは相手をコントロールしたいという思い。そんな自己利益を持った考え方をしているから「付き合いたい」「恋人がほしい」「結婚したい」といった目先の欲望が目的になってしまう。そして自己利益が満たされないから辛くなる。

どんな人間になりたいのか、どんな人間になれば自分にとって幸せになれるのかを軸に生きていけば必ずしも貴方にとって恋愛が幸せとは限らないと思う。そしてなりたい自分とは、好きな人の益する人間であるように努める事だとするなら、要は「好きな人の為になら喜んでする」ならば、万が一相手に振られても後悔せずに立派に振る舞ったと自信が持てるということ。なぜなら理想の自分に恥じない行動をとったから。その経験は必ず理想の自分に繋がります。「過去と他人は変えられないけれど未来と自分は変えられる」とよく言われる様に自分自身に対する自分自身の行動は100%発揮、反映されます。

無駄な努力はないです。

これがアライさんが無暗に小手先のテクニックやノウハウを伝えない理由であり、アライさんの思想でもあります。

アライさんが常々言っている事で「アライさんの伝える事は信じない様に。鵜呑みにしない様に」というのがあります。
あくまでアライさんの考えを参考にして、貴方自身に落とし込んでほしいだけ。そして貴方の中で視点が増えれば貴方の中で新たな答えや疑問が生まれると思います。その気付きが大事であり自分自身を大切にすることや、行動力に繋がると思っています。

その答えは他人の中からは生まれないし、正解である確証は絶対に得られない。なぜなら正解がどうかは本人の主観になるからなのだ。

こういった当人による答えや疑問を見つける事は正に哲学だと思います。
貴方の恋愛哲学をぜひ磨いてほしい。


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アライさんに対してこういう風に思ったり、疑問に思う人は凄く多いと思います。改めてそういった人達にも少しでも理解してもらえる自己紹介ができたなら嬉しいです。






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