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娘爆誕裏話4〜完結編・キャリア的視点から
このシリーズもついに完結編を迎える。実際には文字にしている以上に色々な感情が渦巻き、胸が締め付けられる葛藤があり、ここには書いていない小さな事件などもポツポツあったのだが、こうして一通りの出来事をnoteに記録することができた。
ただただ自己満ながら、嬉しいの一言である。どんなに大変な思いをしても、人は忘れてしまう生き物だから。
完結編の今回は、少し毛色を変えて、キャリア的な視点から、今回の妊娠・出産を振り返って見たい。
出会った人びと
トラブル満載の妊娠・出産だった訳だが、それだけ多くの人たちとの出会いがあり、救われ、支えられてきた。
何事も起こらず順調にいっていたら出会わなかった人たち。人生とは不思議である。
人と人との出会い、温かみや優しさ、コミュニケーションの大切さなどをこれほどまでに痛感したことはない。私がお世話になった人たちを是非紹介させていただきたい。
◇近隣の産婦人科クリニックの医者
いつの日か、私を銃で撃ったあの医者である。患者の視点から見れば決して良い医者とは言えなかったが、この医者が素敵な大学病院に出会わせてくれたおかげで、娘は色々な人たちの温かいサポートを得て、幸せに産まれてくることができた。その意味で感謝に値する存在である。
◇産婦人科ドクターI先生
忘れもしない、大学病院に初めて行った日、初めて診てもらった先生。教授なのに、偉い先生なのに、遺伝カウンセリングの予約をスマホで一緒に操作してくれるほどの神ドクター。その後、精密エコー検査でもお世話になったが、時間が許す限りじっくり時間をかけて見てくれて、丁寧な説明をしてくれた。毎日不安で押しつぶされそうな中、どれだけ救われたことか知れない。
◇妊婦検診でお世話になったドクターO先生
定期的な妊婦健診や、精密エコーでお世話になった。ハイリスク妊婦という枠を担当されていたので、色々な知見があり優秀な先生であることは確かだが、I先生同様とても優しく親しみやすかった。様々な心配事があった中でも丁寧な説明にとても救われた。後半は毎回の検診が楽しみで、行くと元気になって帰ってきた程である。
出産直後に分娩室に顔を出してくれ、とても温かい気持ちになった。
◇遺伝カウンセラーのT先生
出生前検査の前後でカウンセリングを担当してくれた先生。まさにプロフェッショナル。この先生のお陰でぐちゃぐちゃだった心が整理され、勇気づけられ、検査を受けようという気になれた。そして色々と深く考えさせられた。
◇(糖尿病)内科のM先生
妊娠糖尿病になってから内科でお世話になった。恐らく年も近く友達のような先生。本当に大学病院の先生?というくらい、気さくで腰が低く、とにかく優しかった。出産後に「おめでとうございます!」と産科病棟の私のベッドまで来てくれたのがとても嬉しかった。産後の血糖検査まで長くお世話になった。
◇栄養指導のN先生
こちらも本当に大学病院の先生なのか?と思うほど、優しく親しみやすく、“お母さん”感で溢れていた。血糖管理や栄養について全くの無知だった私に、丁寧に紙に図を書いて指導してくれた。真夏だったので「今日も暑いねー」が毎回の合言葉。
◇助産師のU先生
娘を取り上げてくれた先生。恐らく年が近いか年下。お産の最中はそれどころじゃなかったが、産まれてから「お産の振り返り」みたいなのをフランクに話したのが楽しい一時だった。私の意見を今後のスキルアップに役立てたいらしかった、熱心な先生。
後で聞いたがU先生がとても上手に取り上げてくれたお陰で、私の傷は最小限で済んだらしい。
振り返ると、本当に色々な出会いがあり、こういった素晴らしい人たちに支えられて娘は産まれてきたのだと改めて思う。幸せなことである。
私が大学病院に転院したわけ
元々は近隣のクリニックに通っていたのだが、まさかの染色体異常疑惑をかけられ、大学病院への紹介状を出された。
大学病院では出生前検査のみを受けて、その後はまた元々のクリニックに出産まで通う予定だったのだが、結果私は大学病院の方に転院した。
出生前検査では異常なかったのだ。普通のクリニックで十分出産可能とされていた。しかも、元々通っていたクリニックもそこそこ大きな所で、産科専門のクリニック特有のラグジュアリー感もあり、ネット上の口コミはすこぶる良かったのだ。
ネットの口コミって何なのだろうとこの時ほど思ったことはない。
確かに、食事が美味しいとか、産後にエステが受けられるとか、そういうものはあった。
だが、命や健康について深く考えさせられた私は、食事だのエステだの、そんなことはもはやどうでも良くなっていた。
いくら検査で異常がなかったとはいえ、この後何か見つかるかもしれないし、無事に産まれるかどうかなど最後までわからない。そんな不安でいっぱいだった私にとって必要だったのは、「何かあった時にすぐ対処してもらえる安心感」と、「先生達の温かさ」なのであった。
少しでも心穏やかに過ごしたい。それが切なる願いなのであった。
転院する時はそれはもう色々と文句をつけられて大変だったのだが、私の選択に間違いはなかった。
I先生やO先生に至っては、「うちの病院がこっちで産んだほうがいいよって言ってることにしていいから。モネさんの責任じゃなくて、うちの病院のせいにしちゃっていいからね!」なんてことも言ってくれていた。
なんてフレンドリーなのだろうか。大学病院とは思えない、と何度も思ったものであった。
病院を選ぶ基準は人によって色々だと思う。大学病院は当然ながら、アロマの香りのするタオルとか、エステとかマッサージとか、病室のシャンデリアとか、そんなものはなかった。
でもそんなものよりずっと大切なものを得たような気がしている。そしてそれらは生涯忘れることはないし、娘が大きくなったときに必ず話してあげようと思っている。
命の現場で働く人たち
人の温かさを感じた大学病院であるが、実際は温かいばかりではいられないことも多くあるだろう。
通院中いろいろな人たちを見かけた。もうずっと長く入院生活を送っていそうな子ども。車椅子で、体中沢山の管で繋がれている若い女性。突如ストレッチャーで運ばれていく男性。複数の点滴を刺されて運ばれていく赤ちゃん。
そこは「健康な人が、何の問題もなく、幸せな出産をする」ケースがほとんどである豪華絢爛な産科クリニックとは違う。
様々な事情を抱えた人がいる。かつての私のように、無事に産まれるのかわからない不安を抱えている人も沢山いる。何らかの障がいや病気が産まれる前からわかっている人もいる。産まれた直後に、最悪の事態になるケースもある。
まさに「命の現場」なのである。
そういう現場で働いている先生たちを、心から尊敬している。
豊富な知識、経験、迅速且つ的確な判断力、コミュニケーション力。難しいケースに多数直面しているからこそ養われているのかもしれない。
それでも先生達はいつも温かかった。難しい言葉も一切使わない。それも仕事のうち?なのかもしれないが、私たち患者を勇気づけるーまさにプロフェッショナル集団だと思った。
繰り返しになるが、心から尊敬している。
私の信念とこれから
一時期はどん底にいた私が、正気を取り戻し、無事に出産まで辿り着いたのは、プロフェッショナルである素晴らしい大学病院の先生達のおかげである。
振り返って改めて思うのは、「人を元気にする、勇気づける」仕事ってなんて素敵なのだろうということだ。
いくら仕事ができたとしても、周りの人を嫌な気持ちにさせる人、いないだろうか。
いくら正しいことを言っていても、ただそれだけの人っていないだろうか。
悲しいかな、私の周りには結構いる。
なんなら、人を傷つけたり、嫌な思いをさせる人に限って、社会的に成功しているケースもある。
でも、私は改めて思うのである。
最後はやっぱり、人間力だろうと。
私も大学病院の先生たちのように、「人を元気にする、勇気づける」仕事をしたいと強く思っている。
テクノロジーの進化は著しい。前にも書いたが、今私たちがやっている仕事のほとんどが、10年後、20年後にはAIに取って代わられるであろう。
でも、人間同士の触れ合い、感情の入ったコミュニケーション、温かみ、安心感、信頼感。どこかフワッとしているけれど、そういうものは絶対になくならない。そういうものこそ、もっと価値が増すだろう。
人を元気にさせる。パワーを与える。輝かせる。安心させる。勇気づける。笑顔にさせる。
人を大切にする。尊重する。
そんな人に、私もなりたい。
そういう意味で、とりあえず人事という仕事は方向性としては間違っていないのかもしれない。
ただやはり、“上司のために仕事してる“感は気持ち悪い。もっと、一人一人が生き生きと輝ける環境作りができたら良いのにな、と思う。
今日も沢山の命が産まれ、息絶え、また産まれていることであろう。
大切なことを沢山学ばせてくれた大学病院に改めて感謝し、本シリーズを締めくくることとする。
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