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私小説【弟】弟の癇癪

みなとは時々癇癪を起します。どうにも自分の気持ちが言葉として伝えられないと、皿を割ったり、PCを投げつけたり、自室を崩壊寸前まで壊そうとします。大好きなミニカーも、大好きなゲーム機も何度買い替えたかわかりません。それでも、癇癪の最中でもあれは理性があるのか、壁に穴をあけるとかそういう家を壊すことはしません。

みなとの癇癪はたいてい嫉妬です。私の帰りが遅いとか、金曜日に一緒に眠ってやれないとか、男の人にデートに誘われたと誰かしらからうわさを聞いたときです。その予兆となるのが初音さんです。帰宅して、初音さんがいるととても意地悪な目で私を見ますから、ああこれはみなとの癇癪がはじまったなと察するわけです。そんな時、私は初音さんにこう伝えます。

「いつもありがとう、初音さん。来週はなんとか大丈夫そうですから、事務所に伝えておきますね」。

初音さんは返事もせずにエプロンをまるめて帰っていきます。

風呂に入って食事を済ませて部屋に行くと、散乱した物たちの真ん中でみなとはうずくまっています。ワイシャツがちぎれているときもありますし、そのちぎれたワイシャツから血がにじんでいるときもあります。部屋の電気はついていたりついていなかったり。

「みなと?」

声をかけてもみなとは返事もしませんし、微動だにしません。いつものことです。そっと寄り添って後ろから抱きしめてやります。ぬくもりを感じてもみなとはまだ微動だにしません。開ききった瞳孔が何を見つめているのか、いまだに私はわかりません。

「みなと、お姉ちゃんに教えて?」

これで反応するときはまだよいほうです。でも、最近はなかなかこれでも動いてくれませんから、最終手段を使います。あまりこの方法は好きではないのですが、仕方ありません。

「あめののこと噛んでいいよ?」

あの子は目を血走らせて、向き直り、散らかりまくった部屋に私を押し倒します。あの子は右の首筋が好きです。右の腕が好きですし、左の太ももも好きです。血がにじんでも噛み続けます。痛みに耐えられないことはもうなくなりました。耐えている私の下腹部は上昇し、前進に赤をまき散らします。あの子は五感に敏感ですから、すぐに匂いを感じ色を感じ私をはぎ取ります。

早くて半日、長い時は数日。こんな日々を私たちはもう何年も続けています。親の財産には感謝しています。先祖の事業にも感謝しています。

みなとの癇癪には嫉妬とある規則性があるように思います。決まって金曜日の夜に起こるように思うのです。昔はノートに記録して統計をとりましたが、今ではそんなことも面倒になって、ただあの子が欲しがるものを与えてしまっています。

どうやら私は良い母にはなれそうにありません。

一通り落ち着くとみなとは私の胸に吸い付きます。そして、決まってこう言うのです。

「あめの、お姉ちゃんって言うなよ。お姉ちゃんって言い方バカにされているみたいで俺嫌いなんだよ」

言葉一つにこだわるかわいい弟です。だから、私はあの子のいないところではあの子のことをこう呼んでいます。

「あの子」と。

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