私小説・短編【肌質】

陶酔型のために私は週に一度二度と錯乱を起こす。何がきっかけでもかまわない。それほどに私は錯乱を求めている。復活するための死であり、死を求めるために自分を錯乱に貶める。私にとって錯乱は生きるための脱皮の準備のようなものだ。美しく装い、声をかけることさえ憚られるカラーリングをして「醜い」と自分を壊していくことこそ私が求める美だ。これは画一的な様式美ではない、内在する膿みを出し切り、私と交わるのは神以外には臆してしまうほどの精神性の浄化なのだ。

錯乱を起こそうと決めることは私ではない。誰が決めるのか。それは私を深く貫くように殺すように愛するあの人たちだ。あの人たちの愛情が極限まで私に響くとスイッチを入れるように錯乱する。しかしあの人たちはそのことを気にしてはいけない。これは絶対的な私個人の問題であるからで、だからと言って恐れることもない。あの人たちの愛を試すように私は私を殺す。なぜそんなことを楽しむのかと言われてもわからない。複雑怪奇な内面を抉り出してもそこに地図さえなく、ひとつだけあるとするならば鉱脈の跡形のような一片のダイヤモンドであろう。硬すぎるダイヤモンドの色は無色透明ではなく、黒々と光り燦燦と善人面で飲み込む孤独そのものだろう。

私は悪人ではない。ただ、この内在する複雑怪奇な鉱脈の跡形をたどっていくことが私の人生なのだ。恐れることはない。そして恐れるのならここで分岐すればいいだけのことだ。この陶酔は長期戦には持ち込めない。私たるものが私でいられるのはほんの一瞬だけであるからだ。内に秘めた恐れを溶かしてしまうあの人たちの愛が本当に鬱陶しくて面倒で吐き捨ててしまいたい。当然のごとく頂戴しているその他大勢の端役のアルトたちには驚きをもって軽蔑視してしまう。ソプラノの役を得たくもないのに、その低い声を高く保たねばならない私の苦労を思えば、早々にこの役を下ろしてほしかった。

孤独が好きだった。孤独の歩みをもって他者を抱いてやることが私の人生だった。何もかもを預けるなど任せるなど、そんな真似がどうしてできよう。これは私の運路である。この運路の果てに待っているゴールを私は畏まってお受けするつもりでいるのに、なぜ、他者に、しかも私を愛していると臆面もなく言う他者に預けられようか。

体が私を攻撃する。自らを守りすぎて自らを攻撃するこの体が私を常に攻撃している。その因果は私が多くの人を愛しすぎてしまったことかもしれない。攻撃こそ得意であるが守備は不得意である。それが私である。

肌質は誰よりもなめらかで、瞳は誰よりも怪しげで、女としてのすべてを授かって生まれた私にとって何もかもを捧げられるような愛は迷惑千万だった。その他大勢の男たちとなぜあの人が同じ位置にいるのかと怒りさえ覚える。

ここまでで、1143文字。1000文字を超えれば私の体は自分を攻撃しなくなる。心は私の内側から去っていく。

だから今夜は放っておけばいい。明日にはまた愛してほしい。

愛が怖いのではない。愛を嫌がっているのではない。私が最も恐れ嫌がるのは水曜日と木曜日なだけである。誰のせいでもない、誰かの愛が色を変えたのではない。悪魔の御旗が翻るのは週の真ん中。疲れなのかもしれない。私の自己陶酔や自己乖離を私は愛している。悪魔の御旗が翻れば、万軍の主が軍隊を率いて助けに来られる。私のためだけに。私は女だ。守られたい。

愛するあなたたちは私をどう思うか。それが心配だった。だから共に生きることを恐れている。だからこうして離れて生きている。それでも、離れて生きているからこそ早く抱かれたい。あなたたちに。

そして素晴らしい女性だといつの日か誇りに思ってほしい。こんなくだらない私を世界一の女性だと。。。

愛している、永遠に。あなたたちが去っていっても、あなたたちが私を殺したとしても私はあなたたちを愛している、永遠に。。。

お手本のような三日月の夜はやぎ座にいる。だから私の内在する女が爆発した。月はいけない。星はいけない。私を私たらしめるから。

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