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別れはいつも唐突に

 買って帰った3割引のお寿司は味がしなかった。好きだったお姉さんに嫌われてしまった。理由は公序良俗に反した恋愛観。
 倫理観がないことも、罪悪感が欠落していることも、自覚したのは半年くらい前のことで、そのお姉さんと会ったのはちょうど今から1年前で、外から見たら「私」という人物は結構変わってしまったのかもしれない。
 その頃、あるアイドルに憧れていた。彼は共演俳優から「誰も幻滅させない」と評されるような完璧人間だ。彼になりたかった、なろうとしていた。
 だけど、私の恋愛観は昔から変わっていない。これに関しては三つ子の魂百までみたいな感じで、多分これからも変わらない。このアカウントを始めた頃には既に、浮気を唆して付き合った元恋人と「飽きた」という理由で別れていた。
 多くの人がそうであるように、基本的には自分は善良な人間であると思っているし、善良であろうとしがちだ。ショッピングモールでは駐車場で目についたショッピングカートを置き場に戻すし、道端に落ちている空き缶は誰かが転ばないようにせめて端に寄せる。

 私は人が不本意に自分から離れていくことが本当に苦手だ。嫌だ。もう何人目って感じだけど慣れない。20年生きてきて、どれだけの人が離れていっただろう。その度にショックを受けるし、落ち込む。
 合わない人やしつこくしてしまった人が離れていくのは仕方ない。お互いの精神衛生を保つためにも距離を置くことは大事だ。
 少し前までは「ダメなところ直すからいなくならないで」って縋ったりもしていた。人が離れていくような自分はダメな人間なんじゃないかって自分を責めてばかりだった。
 ある日、気がついた。良いとか悪いとかダメとかって、結局その人の好みでしかないんだって。誰かから見てダメだからって、私そのものがダメなわけじゃなかった。そもそも人間にダメとかなかった。いろんな人がいろんな考え方で、いろんな生き方で存在しているだけだった。

 もしかしたらそのお姉さんだって、フォロワーが突然自分が許せないことをし始めたと思ってびっくりしたのかもしれないし、会ったことがあるフォロワーだったから我慢の限界まで見逃そうとしてくれてたのかもしれない。過去に似たようなことがあって、なぜブロックしたのかと詰め寄られたから自己防衛として、ブロックした理由を詳細に書いたツイートをしたのかもしれない。いろいろな可能性に思いを巡らせることはできる。

 Twitterは自分の好む情報が流れてくるように作られたメディアだ。もし私のツイートが気に入らなくなったその時は、そっとフォローを外してほしい。別に理由を聞きに行ったりはしない。
 もしかしたらフォローを外されていることに気がつかず、うっかり話しかけてしまうかもしれない。その時はリプライを無視したり、素っ気ない文面で返すなどしてもらえるとこちらも「もしかしたら」と心の準備ができる。

 急な別れはどんな場合でも混乱と禍根を残す。ある日突然手のひらをひっくり返された時ほど、わけがわからなくなる瞬間はない。
 自分発信で人を嫌いになることがあまりないから嫌いになる側の心の動きはよくわからないけれど、いつか順番が回ってきて、誰かを嫌いになってしまった時はお互いのために時間をかけて離れたいと思う。

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