時間の補正

今日、仕事中に久々に先輩(元々学生バイトでご一緒させていただいた。某ブラック企業にお勤めになった後、公務員に転職するまでの間、また一緒にバイト仲間になった。バイト飲み会等では大変お世話になった)がお客としてきた。他愛もない会話をした後、後輩(バイト仲間、それ以上でもそれ以下でもない)に「先輩さんって知ってる?さっき来てたんだけど」と聞いたところ、「知らないです。」と一言で会話が終わってしまった。私は彼は先輩のことを知っていると勘違いしていたのだけれど、どうやら私が後輩の年齢を勘違いしていたらしい(ちなみに大学4年だと思っていたが、聞いてみるとまだ大学2年であった)。当然、所属期間が違ってくるので知る由もない。後輩の一蹴も当然である。
時間の経過というものは、(確実に経過しているのであって、逆らうことが許されないのだから)とても恐ろしいものであって、厳然たる事実としては同じ年月しか経っていないはず(そもそも時間という概念は存在するのかとかそういった哲学的なことは脇においておくことにする)であるが、自分が関心がある事柄は時間がゆっくり経過するが、そうでない事柄は早く経過するように感じてしまう。何かに没頭した後に気がついたらもう遅い時間だった、なんて言う話はよく聞くことだろう。
また、時間がとまったままのような錯覚に陥ることもたまにある。想い人(やたらと旧友たちに追及されるので、機があったら書こうとは思っている。何かしらの形で…念のため言っておくと、ご報告等の連絡はほぼないと思っていただいて良いだろう)に関することや後悔や追悼、別離等々がそれになるだろうか。
いずれのケースにせよ、私の時間感覚には「思い出補正」とでも呼ぶべきものが働いていて、私を中心に思い出があるものほどゆっくり(極限までいくと停止)感じるようになり、そうでないものほど早く感じるようになるようだ。私の掲げる理想としては、どちらも厳然たる時間の中で正しく記憶しておきたいものなのだけれども。

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