喧騒、自粛について思うこと(雑記)

新型コロナの感染拡大が止まらなく、ついに非常事態宣言が出されたのが数日前。とはいえ、元々パート先と家とを往復する日々だったので、私自身大して生活に変わりはない。とはいえ、友人たちに会う機会も作れやしないので、どういう形であれさっさと収まっていただきたいのが本音である。
感染拡大の煽りを受けて、自粛ムードどころか外出も控える様上からのお達しによって、ほとんど全てのイベントや興業などが延期や中止などに追い込まれている。無論、やむを得ないことなのは承知なのだが、イベントや興業などがほとんど存在しない世界というのは、とても恐ろしいものだと私は考えているからだ。というのも、イベントや興業などと言うのは人々の熱狂やストレス解消に一役買うものなのは歴史を紐解いてみても分かることであり、それらがないと言うことは、熱狂に興じることができにくい、ストレスが解消されにくい環境だということに他ならないからだ。そのような世界では抑鬱的になりやすく、精神衛生的に好ましいものではないだろう。
もちろん、イベントや興業以外の代替物で自身が没頭できるもの、ストレスが解消されるものを見つけることができるのであれば、それに越したことはない。しかしながら、そういった代替物を見つける行為(勉強のために集会に行くとか指導を受けるとか)もまた自粛の影響を受けていることは言うまでもないことだ。新しいことを始めるには大体の場合、資源や投資が必要だろう。しかしながら、例外として、ひとつの行いがあると私は考えている。それは自分と向き合うという行いである。自分がどのような価値観を信じていて、何を根拠にして自分の行動判断が行われているのか、こういったことを考えるのである。もちろん、不要不急の外出は控えなければならないから、世間的によく言われる「自分探しの旅」は控えていただきたいのだけれど。

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