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LIPHLICH『DOUBLE FEATURE』の考察

※初めにLIPHLICH考察から読んで頂けると解りやすいです。

DOUBLE FEATURE


DOUBLE FEATUREで描かれていたものとは

※切り裂きショーを生き残った片割れはショウ・リブラだと解釈をしているので考察がそちら側になってしまっています。

この作品では見世物小屋の体の一部が結合したシャム双生児がショーの最中に体を切り裂き、死と再生をする物語となっている。シャム双生児は分離手術をしなければ短命の場合が多く、臓器を共有している場合はどちらかしか生き残れない。DOUBLE FEATUREの双子のサイドとショウは臓器を共有していたからこそこのまま永く保たないと言っている。
二人のどちらか片方が死に、もう片方が一人の人間として再生するという死と再生なるショーの側面の他に、サーカスの様なLIPHLICHの楽曲はこの楽曲で終わると言う音楽的な意味での死も描かれている。次にリリースされる発明で音楽的な再生が行われている。

サイド・リブラの場合のMVではラストサビでスモークのの演出がされている。煙が死を意味するのなら切り裂きショーで切り落とされたのはサイド自身では無いだろうか。更にジャケットのデザインでは赤がイメージのサイドはサーカスのアニメ、青のイメージのショウは幕の後ろに隠れる人間が描かれている。

この作品にはMANIC PIXIE-RERUN-が収録されている。RERUNは再放送と言う意味。SKAM LIFEより以前の曲がウロボロスの輪を走って一周りを終えて、DOUBLE FEATUREから再び出発するのだとしたらRE RUN=走り直しと言う意味にも見えてくる。

ジャケットデザインのDOUBLE FEATURの「O」の部分だけが文字の横幅を大きくして意図的に目立つようにデザインされている。他のジャケットデザインでもこういった細やかな仕掛けが施されている。

DOUBLE FEATUREはトランプの数字では2に当てはめられる。双子の2。
ウロボロスの輪は片方の円で7 Die Deoの1を除き2~6の数字を意味する作品で一周りし、もう片方の円で7 Die Deoの7とウロボロスの8を除き9~13の数字を意味する作品で一周する仕組みになっている。

DOUBLE FEATUREジャケットデザイン1
DOUBLE FEATUREジャケットデザイン2
DOUBLE FEATUREジャケットデザイン3
DOUBLE FEATUREジャケットデザイン4
DOUBLE FEATURE CDデザイン
DOUBLE FEATURE DVDデザイン

1.サイド・リブラの場合

この曲は見世物小屋で切り裂きショーを行い、どちらかを犠牲にして自由を手に入れようとするシャムの双子のサイド目線の曲として歌詞が書かれている。曲調や歌詞が与える印象から生まれるサイドの人柄と、歌詞の意味と向き合うことで見えてくる人柄が変わってくる。
LIPHLICHの楽曲の中で煙と同様に何かが半分に割れているという表現が共通している。この作品の場合はサイドとショウがそれに当てはまる。


※ ショウ生存派の考察となるためご注意を ※


サイドとショウどちらが生き残ったのか二本立ての未来は曲を聞いた受け取り手次第となるとても魅力的な作品になっている。

「二人で一人だからこそ 低予算なお前に価値を見出す」
この歌詞に出てくる低予算なお前とはもちろんショウのことを指している。この歌詞はショウのことを低く見積もっているわけではなく、二人で一人だからこそB級で低予算になってしまっていると捉えると全体の歌詞の意味が変わってくる。
ガベル・マンに価値を見出されてしまっているのは二人で一人だからで、どちらかが死に一人となればガベル・マンの興味も無くなり価値も人並みとなる。

「上手に演技して下手くそなショウ切り裂く」
この歌詞の加害性ある言葉選びに切り落とされるのはショウだという印象が生まれるが、ショウを切り裂くということはシャム双生児である以上、自分自身をも切り裂くということ。

「奴らが本当に観たいのは俺だ」
ガベル・マンが観たがる存在はサイドとショウにとっては決して良い意味では無いはず。ここでガベル・マンが観たがる存在を俺=サイドとしているのはショウには見世物小屋のフリークスではなく自由になって欲しかったのではないだろうか。
サイド・リブラの場合のMVではショウ・リブラの場合以上に悲しげな表情のサイドが描写されている。

「二本立ての未来 分かつのは俺だ」
後半の歌詞はサイドがショウとの別離に悩んでいるような歌詞が多い。ショウの歌詞を見るとサイドもショウもお互いを大切に想っていたことが解る。
この曲は分かつのは俺だという歌詞で終わっている。MVでは最後に赤い花びらが散っている。対してショウ・リブラの場合では上演時間を過ぎた後も曲が続いている。切り裂きショーで未来を分かつ決断をしたサイドはショーの最中に命を落としたのでは無いだろうか。

MVで流れる英語
Side - Show Which one do you like?
Side / Show Hurry up! A or B?
Side > Show Future of double feature

以上までがサイド視点の歌詞から考察するショウ生存説。次のショウ・リブラの場合で更にこの説に至った考察をしていく。


2.ショウ・リブラの場合

「今夜の上演で残り時間はあと少しになった これが終わったら木槌はあなたが握れば良いから」
木槌=ガベル
ガベルマンではなくサイドに未来を決めれば良いと言っている。どちらも互いに生きて欲しいと想っていたはず。

「アイ・キャント・ビー B・サイド・ユー」
この作品は英語の歌詞があえてカタカナで書かれている。
「I can't be B side you」となり「あなたのBサイドにはなれない」となる。
しかしジャケットでは「I CAN'T BE BESIDE YOU」と書かれていて「あなたの隣にはいられない」に変えられている。

「ハートの半分を 二次元の貴方に譲ろう」
LIPHLICHの歌詞にはトランプのスートを連想される言葉も多く散りばめられている。そしてそれを半分。
二次元の貴方がサイドのことを指しているのならそれはアニメの長編映画の主役のような存在にサイドがなると言っているのではないだろうか。つまり生き延びた片割れは命に限りのある夢の淡い自由を手に入れ、死んでしまった片割れはアニメとなり不死身となる。

「喪失をいとわなければ貴方は きっとアニメになれる」
サイドが肉体で、ショウが体温で、体温の消失をいとわなければアニメになれると言っている。

「上手に隠し通してよ」
「上手に演技して」とサイドの歌詞でも出てくる。演技で隠したいのはお互いの喪失への感情なのでは?

「未来は永久に 二次元の貴方が手にして」
アニメのような存在となって不死身となったサイドに永久の未来がある。見世物ではなくなったショウがショーに立つことはなく人々から忘れ去られる。

「今夜の上演でもう残り時間が尽きてしまった 夢の淡い自由 二人で泣いて選びとったんだ」
サイドの歌詞がショーの途中で終わるのに対して、サイドの歌詞は上演後も続いている。ショウが生き延びたからこそ語れる部分なのではないだろうか。

MVで流れる英語
Side + Show  Live as one
Side (Show) Hide and go seek
Side◯ Show☓ The future is in your


3.ガベルマンの真相

歌詞考察は後日追記予定


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