叶わないくらいがちょうどいいとか本当は思ってないけど


「大人の方が恋は切ない 初めから叶わないことの方が多い」

とドリカムがクリスマスの歌をうたっていて

「ふむ、なるほどそうだな」

と大人のわたしは真夏にそう思う


最近買ったワイヤレスのスピーカーを寝室に持ち込む

お風呂で使うつもりで買った、黒くて小さな防水のやつ

普段はバスタブの「へり」に置いて使っている


小さな小さなボリュウムでKan Sanoのピアノを聴く

彼のピアノはゼラチンのような夜の空気をゆっくりゆっくり揺らすような気がする、だから好き


相手が既婚者だとか恋人のいる人だとか

恋愛における障壁ってそういうことだけだと思ってた、でもそうじゃなかった


「いい」「素敵」「好き」「会いたい」「触れたい」「触れられたい」

と、学生みたいにそういう気持ちだけで誰かと恋することができるのは、

とても幸せなことなんだと思う


生きている環境、置かれた立場、これからのこと、これまでのこと

努力ではどうにもならないような、抗えないような大きな力とかそういうものがあるのだということを知る

家柄とか職業とか顔とか年齢とかお金とか子供が産めるとか産めないとかそういうの全部めんどくさくて

もちろん、魅力が足りなかったんだけど、わかってるけど

そんなことは言われなくても一番自分がわかってるけど


文庫本をめくる親指の爪とか、寝起きの腫れぼったいまぶたとか、

緊張したら額に浮かぶ汗の粒とか、キスしたときに苦い皮膚とか、

しわくちゃのシャツとか、ほっぺたの剃り残したかたい髭とか、

耳の後ろにこすりつける鼻頭とか、髪の毛に埋めた吐息とか、

からめたときに嘘みたいに熱いふくらはぎとか、

息継ぎできないほど伝え合う好きという気持ちとか、とか


そういうミクロでマクロなものだけで好きになられたらいいのに、

一緒にいられたらいいのに


好きになれると思ったのにな

でも、それだけじゃあ 全然だめだった


いいなあ、って思える人に出会えると楽しいと思う

ドキドキするし 素敵だと思う

かっこいいなあと思う 社会人としても憧れる

一緒にいられるだけで たちまちおなかがいっぱいになってしまう

雨に降られたって ちっとも痛くない


もっとその人のことが知りたくなって、これまでどんなふうに生きてきたのか、どんなことで泣いたり笑ったりしたのか教えて欲しいと思う

空白の時間がもどかしくて、感じた痛みも幸せも、全部教えて欲しくなる

つらかったことは全部わたしが大丈夫にしてあげるからもう平気だよって言ってあげたくなる

この先なにひとつこの人が傷つかないように全力で守りたくなる



だけど、だからと言ってどうにもならないんだよ そういうのは

そして、それは、それでいいと思う

それが最適解だから 大人だからね


傷つかず傷つけず、迷惑をかけない

波風を立てずに、全部のことをこっそりと弔ってしまう



そういう想いは

ふやけはじめたゼラチンみたいな夜気に溶かしてしまえばよいのだ


「大人だよね」って言われると泣きたくなる

「ものわかりがいいね」って言われるとかなしくなる


本当はぜんぜん、そんなんじゃないのに

本当はぜんぜん、こどもでいたいのに


周りくどく言わなくていいよ

むしろ周りくどく言わせてごめん


だから困った顔しないで

どうしていいか分からない顔で無理やり笑わないで

ほんとはちょっと やっぱり好きだったから

そんな表情させたくはないよ


空気読むから 安心して

もう会わない

会いたいとも言わない さようなら

それでいいよね? 大丈夫だよ



「ひとは誰も、誰かを捨てたりできません、あなたと一緒にいられたことを、わたしは大切に持っていきます。あなたがわたしを忘れても、わたしはあなたを忘れません」


かつて自分の小説で主人公の女の子が相手に言った言葉

その気持ちがやっと分かった なるほど


忘れたくないことは自分が覚えていればいいのだと思う 相手が忘れてしまっても、自分の中に生きている気持ちがあれば、それで


自分の書いた小説だけれど、あの子はどうなったのだろうか

やっと好きな人に巡り会えたのにどうにもなれないままもう二度と会わないと、決めたあの子


何にも寄りかかれなくてままならない毎日をどうにかこうにかやり過ごして闘ってきたところに、唯一自分を肯定してくれる人に巡り会えた


そうか、この人が褒めてくれるなら今までの全ては間違っていなかったんだ、とそう思った

綺麗でも華やかでもない自分なのに、大切なお姫様のように扱ってもらえた、うれしかった、幸せだった

どこか固い場所から、やわらかいところへ来られたような心持ちがした 

高くて張り詰めた冷たいところから「やっと降りられた」ような気がした

自分が価値のある女性になったみたいな気持ちになれた



ショウケースのような一面がガラスで囲まれたぴかぴかのタワーマンションに住む人形みたいなさみしい男の人 

お金持ちで知り合いが多くて、素敵なレストランをたくさん知っていて、どこにいても優雅に自信たっぷりに振る舞える

権威も権力も手に入れられないものなんてなにもないはずなのにどうしようもない孤独を抱えていてこわいものなんて何もないはずなのに

彼女と一緒にいるときだけは生まれたてみたいに無力で無防備になってしまう彼


二人はほんの一瞬だったけれど、確かに分かり合えた

隣接する点と点が火花を散らすみたいに近付いてしまった

でもどうしても結ばれることはできなかった


いろんな理由があった、どうしようもなかった

誰も悪くないし、何のせいでもない

ただ、二人は結ばれる運命ではなかった、それ以上でもそれ以下でもない


ふかふかのキングサイズのベッドの上で、赤ん坊のように彼女の乳房を吸いながら泣き疲れて眠る彼

権力も財力も地位も全てを手に入れた彼の孤独を埋められるものは何なのだろう


そして、彼の眉骨に口付けをして別れた彼女


目に見える煌びやかさではなく、泥臭くむき出しの人間としてぼろぼろになりながらでも働く彼女を、わたしはとても美しいと思った

誰かが認めてくれた価値観なんて吹き飛ばすくらい、ほんとはそのままの彼女が素敵で美しいんだよって言ってあげたかった

なりふりかまわず、髪の毛振り乱して、ファンデーションはよれて、口紅は剥げて、誰のためにならなくても、それでも一生懸命目の前に立ち向かう仕事に取り組んでいる様子は美しくて、尊い


だから書いた


そういうものを書きたかったし、これからも書いていくと思う


ほんとうの美しさは、宝石では飾れない、顔貌の造作だけではない、長い足や白い肌だけではない、数字でも言葉でも表現できない


内側から滲み出てくるその人の生きてきた全部の証だから


もうあのお話の続きを書くことはない、

だからあの二人がどうなったのかはわたしにも分からない


それぞれふたり

別々の場所にいても幸せでいてくれるといいのだけれど


同じ空の下で繋がってるよ、なんて俗っぽいことは言いたくないけれど

それぞれ幸せでいてくれるといいなと思う

遠い でも きらり 会いたいなぁ



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