見出し画像

日々の雑記、暮らしのこと

 引っ越して1ヶ月が経とうとしている。最初の1週間か10日ぐらいは自分の部屋に帰っても自分の部屋という感じがまるでせず、そもそも最初の3日くらいはベッドが組み立っておらず、寛ごうとしてもそわそわして落ち着かなかったし夜は寝付けなかった。1週間後の日曜の午後に新しいベッドに寝転び、真横の大きな窓を開けて空を仰いで太陽の光を浴びていたとき、落ち着いたな、という感じをやっと覚えた。そのまた1週間後に友人が遊びに来てくれて夜に近くの銭湯に行き、露天風呂から満月を見上げたとき、ああここに引っ越してきてよかったな、と幸せのようなものを感じた。高い建物が少なく、遠くに山並みが見える風景を未だに少し不思議に思う。冬になったらあの山の頂は白く見えるのだろうか。

 小説の執筆は相変わらず遅々として進まない。職業作家になりたいと思ったことも正直あったけれど、やはり私には向いていないだろうなとしみじみ思う。とにかく集中力が足りていない。一つの大きなものを最後まで書き続けるということがほとんどできず、短編のようなものを書くか、中長編を書こうとして途中で飽きてやめてしまう。もっとも、村上春樹が『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、小説を書くためのそういった集中力とか体力のようなものは訓練することで身につけていくことができると語っていたので、あるいは私も努力次第では書き続けるための集中力を養うことができるのかもしれない。そういえばようやく最近1ヶ月ほど中断していた走ることを再開した。私は村上春樹と違ってもっぱらジムランナーなので、近所の新しいスポーツジムに入会した。(そのうち外を走ることにも挑戦してみたいと思っている、たぶん。)まだたいして走れないが、走ることは好きだ。一定のリズムを刻んで走り続けることには、何か瞑想に似た効果があると思う。他のスポーツのように誰かと競ったりすることよりもむしろ、自分の内部に深く深く潜り込んでじっと耳を澄ませるような感じ。瞑想で思い出したけれど、前に尾道のゲストハウスに泊まったときにワーキングホリデーで日本に来ているカナダ人の女の子がいて、(年齢は聞いていないがたぶん20代の私と同世代くらいだと思う)前に住んでいた地域の寺で開かれていた坐禅の教室のようなものに通っていた話をしてくれた。彼女による日本語と英語が混ざった坐禅の方法論の説明は混沌としていて難しかった(英語でか日本語でかわからないがおそらく一度住職から説明を受けて彼女の中で咀嚼したものを、再度彼女の言葉で語ってくれていたのだと思う)が、最終的に私が受け取れたものはなんとなく納得のいくもののように思えた。曰く、たとえば坐禅中に何かが落ちる物音がしたとする。物が落ちたとき、落ちたなという思考が頭に浮かび、普通なら目を開けて、何が落ちたのか確認したり、落ちたものを拾って元に戻したりする。あるいはその落ちた物によって汚れた床を拭いたりする。そうではなくて、ただ落ちたなという思考が浮かぶだけ。それでおしまい。落ちたという事実だけがそこにある。思考を連鎖させない。ただ水面に浮かんだ泡を、じっと見つめる。

 話が逸れた。ここでの暮らしのことを書こうと思っていた。一人で暮らし始めて、私の意識の中では、しなくてはならない家事のことが常に片隅に在るようになった。こういう言い方をするととてもネガティブに聞こえるけれど、私にとって家事をすることはそれほど苦痛ではない。これは自分でも少し驚く発見だった。淡々とそれらをこなしていくことは、生活しているということ、日々を積み重ねていることを認識させてくれる。好きなのは、朝起きて洗濯機を回しその音を聞くこと、洗面台の排水溝を歯ブラシで磨くこと、掃除機をかけること、飲み物の紙パックを洗って乾かして切り開くこと。あまり好きではないのは、乾いた洗濯物を畳むこと、洗った鍋や炊飯釜を拭くこと。苦手なのは、冷蔵庫の中身やこれから作りたい料理のことを考えて的確に買い物をすること。自分で生活のすべてをコントロールするのは難しい面もあるけれども、やりようによってはより生きやすくなることでもあると思った。この1DKの中は、すべて私の暮らしやすいように、私だけのためにカスタマイズすることができる。それはとても喜ばしいことだと思うし、事実、日常で発生する細かなストレスをとても小さくすることができている。

 住宅街を歩いてほんの3分か5分という近所に、カジュアルだけれども小洒落た、ビストロともレストランとも居酒屋ともバーとも判断しがたい小さな飲食店を見つけた。そこは30代くらいのお兄さんと彼のお父さんが2人でやっている店で、2人ともとても気さくでおしゃべりなのですぐに顔見知りになった。ワタリさんと名乗ったそのお兄さんが、「このあたりで生まれ育った人は20歳前後になると一度は都会に憧れて出ていくけれど、しばらくすると疲れてまた田舎に戻ってくる」と笑って話していた。それを聞いて、なるほどここは彼らにとって「田舎」という認識なのだな、そしてつまり私は田舎にやってきてしまったのだな、と思った。もちろんワタリさん自身も青梅生まれ青梅育ちだそうで、この地域の心霊スポット(吹上トンネル・旧吹上トンネル・旧旧吹上トンネルというやばいのがあるらしい)に学生の頃に行ってみたこととかを面白おかしく話してくれた。なんとなくだけれど、このあたりではどこの店の店員さんもだいたい優しい。スーパーのおばちゃんもコンビニのお姉さんも朗らかで優しい。あと、車も歩行者に優しくてよく道を譲ってくれる。面白いのが、ここと都心を中央線直通青梅線で行き来すると、立川を境に明らかに空気感が変わる。どう変わるのか説明するのは難しくて、とにかく空気が違う。絲山秋子の小説『夢も見ずに眠った。』の中で高之が「八高線で縦に線が引かれている」と言っていたけれど、私の感覚では線が引かれているのは立川駅だと感じる。

 食器が足りていない。今ではマシになったけれど少し前まで深刻な食器不足だった。立川とかまで食器を買いに行って、抱えて帰ってくるのはやや骨が折れる。それで一番近くの食器屋をGoogleマップで調べて行ってみた。そこは明らかに昭和からあるような古い陶器店で、行ってみると薄暗い店内に所狭しと食器が並んでいるが、人が誰もいなかった。店の奥を覗くと暖簾の向こうに畳が見えて、テレビの音と扇風機の回る音がした。おそるおそる「すみません」と声をかけると「はあい」と声が聞こえて色白の小柄なおばあちゃんが出てきた。涼しげな花柄の平皿を2枚と、硝子の深皿を3枚買い、おばあちゃんが丁寧に紙に包んで紐で縛ってくれた。彼女は私のワンピースを見て、「綺麗なお洋服ねえ」と言ってまじまじと眺めた。古着屋で買ったインド製の夏用ワンピースだった。
「外国のものかしら。私も若い頃は色々なところに行ったのよ。インド? インドには行かなかったなあ」
 彼女によると、青梅駅前は近いうち再開発されるのだそうで、この店もじきに無くなるだろうと話し、「ほんとに情けない」とこぼした。「無くなっちゃう前にまた来てね」と言って食器を詰めた袋を渡してくれた。
 あらゆる街のこと、そこに住んでいるすべての人間のことを考える。すべてに必ずある、ひとつひとつの暮らしのことを考える。私はここでの暮らしを好きになれそうだけれど、一生ここに住むわけではないだろう。私には、ここが自分の地元だという感覚があまりない。どこにいても借り物に過ぎない。少なくとも今はまだ。じゃあこれから先、どのように暮らしていくことが私にとっての正解だろうか? よくわからないまま日々は続いていく。今日の夕飯は何を作ろうかと考える。