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カルチュラル・タイフーン2022感想

カルチュラル・タイフーンとは

カルチュラル・タイフーンとはカルチュラル・スタディーズ学会が主催しているイベントです。
Twitterでこちらが一方的に知っている方がこちらでグループ発表を行うということで、気になって参加することにしました。

参加方法はオンラインと現地参加が選択でき、Peatixというサービスからイベントチケットを購入できる仕組みです(学会会員でなくても参加できます)

私はせっかくの休日なので現地のおいしいものでも食べようかなと思ったのと、オンライン参加だと参加しそこねるリスクが高いので現地参加を選択しました。
(実際3日目は低気圧にだれてしまってろくに見れていないという。。)

さて、私のことはさておき、各講義とその感想について書いていきますね。

9/17 13:00-14:30
トランス排除とフェミニズム
――「トランスジェンダー問題」を再定位する

グループ発表者は、斉藤正美さん、能川元一さん、高井ゆと里さん、山口智美さんの4名です。
斉藤さん、能川さん、高井さんは現地参加、山口さんはオンラインからの参加でした。

発表が始まる前に、「様々な属性のかたがいるので安全が守られるのが大切だと考えています。zoom録画・撮影の禁止、Twitter等のSNSでのライブ中継は絶対にしないでください」というアナウンスがありました。
(後から感想を言ったり書きこむのはOKだそうです)

斉藤正美さんの発表

「近年Twitterなどでトランスジェンダーに関する言説や議論が目立つ。それにフェミニストが参加している。LGBT差別解消法案が進んでも偏見がやまないことに憂慮している」

という冒頭があり、講義が始まりました。

斉藤さんは近年フェミニズム関係のメディアや団体、研究者によるトランス排除言説について具体的な事例を挙げて解説して下さいました。

主な排除言説は大意としては以下のようなものです。

  • 「シス⼥性の安⼼」を優先するべきとするもの

  • ⽣物学的性別決定論により「トランスジェンダー=犯罪者」とするもの

  • トランスジェンダーの「性⾃認」批判への反論を嘲笑

一部のトランスジェンダー排除を行っているフェミニストは右派との意見を同じくしているということも実例とともに紹介してくださいました。

また、フェミニズムの研究者間でも先行世代と新しい世代(第二波、第三波フェミニズム)とで、認識にギャップがあることについても言及していました。

能川元一さんの発表

この方は(感想を書くにあたってどういう方なのか調べて分かったことですが)、右派の言説や歴史修正主義を研究している方で、右派のトランスジェンダーに対する考え方と、そういった右派の主張に賛意を示したり、自らその理屈を使用しトランスジェンダーに対する批判を行うフェミニストが存在するという話をしてくださいました。

(ただ、多くの右派は同性婚訴訟やパートナーシップ制度に対してのバックラッシュ言説のついでにトランスジェンダーを絡める感じで、一部の宗教右派を除いてトランスジェンダーに関するトピックは関心が薄く、トランスジェンダーに関して独立して語ることは少ないそうです。

右派の主張というのは以下のようなものです。

  • 性自認を認めない

  • トランスジェンダーを認めることは男らしさ、女らしさを失わせることになるのではないか

  • 「伝統的」「自然な」家族という秩序を撹乱する

  • LGBTは後天的になるものである(実際は後天的なものではない)

一部右派の「女性スペースの安全」や「スポーツにおける公正さ」への言及も為にするものとしか思えないという見解を述べていました。
また、性別に関する生物学的決定論が右派のLGBT排除とフェミニズム内のトランス排除の接合点であるとのことでした。

私自身、Twitterなどで「性自認というのは自称であり詐称。トランス女性は男」と言わんばかりのトランス排除派フェミニストの書き込みを見たことがあったので、なるほどなと思いました。

能川さんは「右派のTG言説(トランスジェンダー排除言説)だけ取り入れて右派と共闘できるというのはありえない」という発言で発表を結んでいらっしゃいました。

高井ゆと里さんの発表

高井さんはトランスジェンダーに関する議論は空中戦で、リアルと乖離した議論が繰り広げされているということを述べ、実際のトランスジェンダーはどう生きているのか、どう考えているかなどを、当事者の書き込みを引用して紹介して下さいました。
(全員がすべて同じ意見ではありませんがという注釈つきで)

「トランスジェンダーは体のことをどうでもいいと思っているのか」という提起に対しては以下のようなことを解説してくださいました。

  • そんなことはない。自分のアイデンティティを打ち明けた時どういう反応を被るのか、攻撃的な反応にさらされるであろうことをトランスジェンダーは知っている。

  • 「のどぼとけを削らないと本当につらい」「自分の性器が自分のものと思えない」という人もいる。

  • 自分の身体との困難な交渉を生きている。

また、トランスジェンダーに関する議論においては、日常空間を全くかく乱することなく、静かに人目に触れず暮らしているトランス女性の存在と体験かき消されていると指摘します。
女性の体/男性の体と言われて思い浮かべる「女性像/男性像」はシスジェンダー中心のイメージで、シスジェンダー中心主義は批判されるべき。しかしその身体を生きているトランスも存在すると。

また、身体と場の関係についての重要性について言及がありました。
「この場でノンバイナリーの女性/男性とみなされるためにはどうすればいいのか、あるいはこの場でどういった性別とみなされているかということ(性化の力学と、それが機能する領域)に敏感」
「身体は性化される(身体的性別という意味ではない)。性化のメカニズムが、場に応じて異なることをトランスたちはよく知っている」
「"身体そのものには性別があり、その性差が社会生活の全領域において重要"とするならば、現実の性化のコンテクストへの差別的な挑戦」

山口智美さん発表

高井さんまでの発表を踏まえて、各先生方に質問するという形式での発表でしたが、時間が押していたこともあり、提起を一気に行うという形で締められました。
(もっと時間が欲しかった。。)

その中で特に気になった提起について書きます。

  • ジェンダー概念をフェミニズムが手放してしまっているのではないか

  • (トランスジェンダーの方の在り方は多様であることから)からフェミニズムを学んで、どう多様な経験から学ぶのか

【トランス排除とフェミニズム――「トランスジェンダー問題」を再定位する】の感想

斉藤さん、能川さんは右派、右派運動についてのフィールドワークや研究を行った経験のある方で、お二人の『一部のトランスジェンダー排除的な言動を行うフェミニスト』に対する見解がおよそ似たような感じであったということ(右派と意見を同じくしている、LGBT排除とフェミニズム内のトランス排除の接合点がある等)から、右派について知見のある方からもはっきりと近似点があるんだなと思いました。

また、トランスジェンダーの生活実態について言及されていた高井さんの発表はとても印象的でした。
特に「この場でノンバイナリーの女性/男性とみなされるためにはどうすればいいのかということに敏感」と「性別はアサインメント(課題)である」という部分については、シスジェンダーにおいてはどういう形で関わってきたり、影響がある/あっただろうと改めて考えさせられました。

「性別はアサインメントである」は『フェミニスト・キルジョイ: フェミニズムを生きるということ』の引用だそうで、アサインメントと表現されたその言葉を、別の形で聞いたことがあるような気がしました。
それは「(性別を)演じる」という言葉であったり、「(私を女性/男性だと)他者に紹介している」であったり、「社会に要請されている振る舞いをする」などといったものです。

また、山口さん、斉藤さんが書かれている書籍で『社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』が、今、旧統一教会のトピックで取り上げられているそうですが、フェミニズム批判についても書かれているそうです。
山口さんが本書のフェミニズム批判についてはどう思うかという質問をされていたので、やっぱり著者としてはフィードバックも気になるのかなと思いました。

9/17 15:00-16:30
【追悼・ケイン樹里安】
教科書で社会を変える―『ふれる社会学』から
『ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ』へ―

発表者は稲垣健志さん、栢木清吾さん、有國明弘さん、福田千晶さん、松本秀昭さんの5名でした。

大まかな流れとしては、ケイン樹里安さんがどういう方であったかという話に始まり、ケインさんが行っていた活動や書籍の話、ふれしゃかフェス(ふれる社会学のイベント)の今後についてなどのお話でした。

恥ずかしながら、私は『ふれる社会学』についてTwitterで「社会学を勉強する入り口としてオススメ」という話を聞いただけというだけで、ケインさんについては何一つ知らない状態での参加だったため、この講義で今年の5月にお亡くなりになっていることを知りました。

皆さんケインさんとはプライベートやイベント運営などで何らかのご縁がある方ばかりで、そういう方であったか、どういう考えでどういう研究をなさっていたか、『ふれる社会学』という書籍について等、熱心にお話してくださいました。
あと男性の発表者2名は柄シャツでした。ケインさんのお気に入りのスタイル(「dear me」という言葉とビールの絵が付いているシャツ)を真似してとのことでした。
「dear me」という言葉とビールの絵が付いているシャツもどこかで売ってないかと探したらしいですが、見つからなかったそうです(私もその独特なシャツを一体どこで買ったんだろうかと気になってしまいました)。

ケインさんは、アメリカと日本にルーツがあり、ハーフ、ミックス・ルーツ、人種化、よさこい踊り、フォト・エスノグラフィ、都市文化などを問題関心とするハーフの社会空間における作法の話、身体的生きづらさに関する交渉などを研究なさっていたそうです。

ハーフの社会空間における作法の話、身体的生きづらさに関する交渉については、1コマ前の「トランス排除とフェミニズム」に通じるものがあるように感じて印象に残りました。
また、GIベビーの研究も行っていらしたそうで、発表者のかたが「長崎における交渉など、仲間内でまとめられたらと思っている」と仰っていました。

『ふれる社会学』・ふれしゃかフェスについて

ふれる社会学は教科書としては売れている書籍なのだそうで、その理由として若い世代にとってとっつきやすい内容であることを挙げていました。

研究の入り口として学生さんにも向いてるそうで、この本を通して社会学に関心を持った学生さんの中には、ケインさんが提唱なさっていた「コミュニケーション資本主義、認知資本主義」をテーマにした論文を書きたいというかたもいらっしゃるそうです。
すごい好循環だなと驚きました。

ただ、『ふれる社会学』は学生目線では気になる、関心をもつ内容ではあるが、年配の先生からすると扱いにくいらしいです。
というのも、授業の入り口が「〇〇主義とは」からという構成になっているらしいので、コマの構成的に主義について教えることに注力してしまうと、それだけでも精一杯なのかなと思いました(これについては予想ですが)。

また、ケインさんは楽しく巻き込んでいこうというスタンスで様々な活動を行っており、ふれしゃかフェスもその一環なのだそうです。
フェスの写真も何枚か紹介していただきましたが、参加している皆さんとても楽しそうで、バイタリティすごいなと思いました。

BF1には出版社さんがずらり

BF1は広島の展示や、ふせんにメッセージをつけるボード、ステッカーやグッズ販売、出版社さんの出店などがありました。

中でも出版社さんの出店は、販売価格より●%OFFだったり、●●円購入で送料無料だったりと本好きにはたまらない(正直かなりオイシイ)出店でした。

また、ケインさん(北樹出版さん)や高井さん(明石書店さん)などの書籍もそれぞれの出版社さんで取り扱っており、講義の後になるとBF1に行ってウロウロしておりました。

色々手に取ってみて悩んだのですが、予算が厳しかったので絞りに絞って3冊買わせていただいたのですが、もっと余裕あったらもっと色んな本を買いたかったなと思いました。

最後に、ブースを不審者のごとくウロウロしていた私に親切にいろいろな本をオススメしてくださったり、お声がけくださったり、最終的にはお名刺までくださった明石出版のお姉さん。本ッ当にお世話になりました!

以上です。





今まで頂いたサポート、嬉しすぎてまだ使えてません(笑) note記事を書く資料や外食レポに使えたらなと思っていますが、実際どう使うかは思案中です←