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まとめ ストレスや依存症や人間関係で悩んでいる人へ



生まれつき強い人、知能、才能ともに生存競争や弱にく強食の世界で、明らかに強い人や、優位にたとうとする人、強い人は残念ながら居ます。

大人になり、善悪の分別が付くようになっても今度は大人の世界で、そういった正しさやまともさで勝負をしたがり、優位に立とうとする人は残念ながら居て、人の痛みに敏感に反応してしまったり、罪悪感を感じやすい人、優しくていい人たちは、全てを背負いこむ傾向は、残念ながら払拭できず、社会に置いて、一定の数は存在するということは事実です。

残念なことに強い存在に、脅威に逃れたり、勝つ術は、ほとんど見つかりません。しかし、上手くかわしたり、距離を取って上手くつきあわなければなりません。

結果的に優しすぎて動けなく、だらしがなく疎まれて、社会がそういう人を否定している世界もあることも事実です。

つまり、優しいということだけで否定されてしまう世界が多く存在するのだと言っても過言じゃありません。

弱い人は、もっと助けを求めていいし、これ以上、組織や人に搾取されたり、自由を侵害するものから自分を守っていいのです。

例え、社会や、世間がアナタをダメな人間だと科学的に決めつけても、アナタにはアナタ自身の安息や、自由を得る権利がある。幸せになってはいけない権利などない。私は目が覚めていまそう思ってます。

なぜ、成功する人間だけがほめたたえられて、成功できない弱い人間はたたかれなきゃいけないのか、ダメだといわれつづけなきゃならないのか。

ネガティブな感情だとしても、すべてポジティブに受け止めなければいけないという権利はありません。

アナタは自分が、人間的にも物理的にもきわめて不利な状況に置かれたら、訴えてもいいし、NOと怒りをあらわにしたほうがよいときさえあることも、あるということ。

罪悪感を感じる感じないも、必ずしもスピリチュアル的に解釈しなければならないのではないということ。

太宰文学があってもいい。坂口安吾の文学があってもいいのです。

それを忘れないで、絶対に縛られないでください。

このことに関して言えば一冊の本で力説出来ると思います。

見方に出来ることは何でも見方にしようと思います。

ダメな人間でいいんです。

後ろ向きだって全然かまわない。

そんな自分を受け入れられるのはアナタしかいない。

何かを成し遂げたり、成功することが全てじゃないんです。

生きぬくこと自体が、それでもうすごいことなんですよ。

完璧に上手く行く習慣化の秘訣、完璧に上手くいく健康の秘訣、

完璧にうまくいく脳の幸せのコツなんてないです。

完璧に上手くいく作曲方法や、完璧に上手くいく絵の描き方もない。

超一流じゃなけりゃ、ほとんどの人はどこかで妥協しないとほとんどのことはやっていけない。

私はそんなことにも気づかず、がむしゃらに完璧な真実を求めて疲れ果てていました。

タバコを辞めること、お酒を辞めることを私は読者に無理強いしません。

それで元気になる人も確かにいるし、我慢して辛くなる人も居る。

競馬やって、焼き鳥食って、ラーメン食って最高じゃないですか。

味のあるおっさん、たまに本気になれるおっさんもかっこいいと僕は思います。

ただ、たまたま私は煙草を辞めて楽になったわけで、たまたま、タバコをこれ以上吸ったら、糖尿病になるってわかって、やめられたのは運がよかったのだと思います。

例え、超一流の人が一流になる環境にいたりそれを知っていたって、嫉妬する必要なんて微塵もないんです。怒ったっていいんです。怒りっぽい自分がいけないと、思ったら、ますますイライラします。ああ、俺は、怒りっぽいし、全然イライラしている。ボロボロなひとが、怒りなんて、コントロールなんて、できないし、抑圧したら、酷くなるんです。やっぱり、ありのままの自分を受け入れて、そういう事実を肯定しないと始まらないと思います。ただ、そのような怒りが弱い人、奥さんや息子や娘さんにだけは向かわないようにしてください。後、いじめは、暴力です。

楽しくなけりゃ辞めればいいし、やる気や根性だけじゃ継続しないんです。

もうね、生きているだけで、アナタは努力家。天才だって自分を褒めてあげてください。

完璧な人生なんてないんです。気楽に生きましょう。

負けたっていいんです。自分だけの人生には負けないでください。

幸せになる方法を教えてくださいと

人は言う。

よく、日本人は不幸せな人が多いと

人は言う。

私から言わせてもらえば、そんなことは自分には一切関係ない。

冷たいようだけど、皆幸せの意味をはき違えている。


お金持っているから幸せ


彼女がいるから幸せ


病気じゃないから幸せ


それは本当に確かな根拠なのか?


幸せとは、どこか遠くにあるものなのか?

努力して掴み取るものなのか?


それも確かな根拠などない。


○○しないから行動しないとか、○○じゃないから、私はダメな人間だとか


思ってないだろうか?


こんな社会じゃダメだ。こんな世の中じゃだめだ。こんなお前たちじゃだめだ。こんな自分じゃだめだ。


だから、こっち側、あっち側へこうなりたい、ああなりたいと思いながら、


私は、昼夜を問わず、ネットでいろんなものを検索したり、

宗教や、いろんなもの、ことを学んできました。


また、自分は発達障害だから、発達障害のことについてもいろいろと調べました。


それでわかったこと。


幸せは遠くにはない。


不幸せと呼べるものが、私たちに気付かせてくれることがある。

集団が飛びつくものが、正しいモノだとは限らない。

人生を降りて行く生き方があってもいいんじゃないか?

ガツガツ稼いで、ガツガツ働き、幸せに飛びついて


アナタはそこで何を得ますか?

フツウと呼ばれる困難な生活こそが、実は当たり前でなく、与えられている恵みだと、

実感できたとき、

人は其処で本当の充足感を得られるのではないでしょうか?


当、ブログでは、人生に疲れた人、または、自分自身を見つめなおしたい人に、成功をもたらすブログを書きます。


成功とは、経済的な成功だけじゃなく、本当に幸せを実感できる人生の成功法則のことです。


どん底を味わったモノのみが辿りつける至高の境地があります。


↓が私の曲です。

福祉の支援を受けていない人は、「福祉の支援を受ける、自立から遠のく」と考えている人が余りにも多い。また精神疾患を国民病だと理解せず、メンヘラの人と付き合ってはならないと言うこと、自身が精神障害者であることを明かすことが、まるで罪のように思われる風潮があること、障害を理解されたり理解されないことと、障害をカミングアウトするかしないかの選択は自由であり、自らの障害を主張することもしないことも罪ではないし、してはならないことではないということ、福祉はこれからも発展しなければならないことを理解する人が日本に置いて少ないことは、悲しい事実であると思います。しかし、このカミングアウトできない背景に置いても充分配慮すべきです。東京のような大都会でしたら、障害のプライバシーは守れますが、東京や大阪以外の地方では、ご近所づきあいが盛んなので、プライバシーが守られず、カミングアウトしずらいし、かならずしもカミングアウトしなくてもいいと言う事実も考慮しなければなりません。

また、私自身の過ちとして、スピリチュアルと福祉を混合して考えていたことは、大きな間違いであり、信条の自由があり、神様、仏様が絶対ではないことを、私がスピリチュアルに洗脳されていて気付かなかったし、絶対にうつ病の人に、それを押し付けたり、説教しちゃいけない常識さえも、洗脳されて、失ってしまっていたことと、それは病気だからといいわけは出来ないことを知りました。信じるも信じないも自由。ただ、スピリチュアルを語るときはスピリチュアルが好きな人に聴いて貰い、それは精神疾患とは混合して考えないことやうつ病の人が理解できないのはうつ病の人が間違っているのではなく、スピリチュアルを語っているこちから側に大きな原因や、医学的な間違いがある認識に勉強して至りました。宗教、スピリチュアル=絶対悪でもないが、理解して貰おうとして書かないことや、最低限、信条や考えや思考の自由を制限する行為はしてはならないこと、うつ病の人がそれをみたら不快になるという想像力や、うつ病の人が間違いではなく、説教してしまうのは自分が間違ってるという自覚を常に持つことが大切な事実に気づきました。専門分野が、違うし、私の場合に置いては、精神医学をスピリチュアルと混合したり、それで因果関係を説明してはならないことに気付かされました。

これはおおくの人に当てはまると思いますが、自己啓発と、精神疾患や精神医学を混合して考えるような人がいますが、たとえ、一流の著名人であっても国家資格の持たない素人がやるのは、如何なものなのかと思います。

より、読者にそう私なりのブログの書き方を深く考えたほうがいいです。

だから、メンヘラミュージックスピリチュアリストという名義は、辞めます。

他の名義を考え中です。


風の谷のナウシカを見て

悲しくて涙が溢れて止まらなかった。直観的に全ての女性は母親になるべくして生かされている神様だという認識にこの作品を通して学びました。

私はナウシカのような綺麗な心を持った人間ではありません。人に悪意を抱くことがあるし、昆虫や動物を愛してビーガンやベジタリアンとした人間としてあるべき生き方に根差した人間では決してありません。

私は私利私欲に身の保全の為にまだまだ生きている。ナウシカやオームや虚心兵のほうが本当に頑固ではなく彼らは本当に心が素直でまっすぐで美しいのだと思います。

世界の全ての宗教というモノが、AIや科学を作り、フリーエネルギーさえも、地球にとって破壊の脅威となってしまうこと。

つまり、太陽や惑星や月や地球を中心とした星々は、彼ら彼女らを支配する何等かのはかい知れない宗教の科学の力によって生まれ、我々はもう仏様やキリスト様の手のひらの上で泳がされているだけであることがもうはっきりしました。

エヴァンゲリオンや、マトリックスや、ターミネーターや攻殻機動隊は、この作品なしでは生まれなかっただろうし、こんな深い考えされる作品は他にないと思います。

私達は、頭と手が逆さまになった便利なAIの状態で生きる時代は不幸な時代を現し、風とともに生きようといったもっとも美しい心のラピュタのシータがいったように、我々は土にまみれて自然と身体を活かして生きなければ、そこに本当の生き方は生まれない、いわば私のような人間は頭と手が逆さまになったマトリックスの世界を生きている頭でっかちの人間であることを意味します。

私は虚心兵のように母親を最期まで守る息子でなければ、いけません。

そうでないとこの世に生まれた意味はありません。命とは本来そういうものです。

だから私は自分に思う。お前は何様だと。自惚れず、大地のおきてに定まって生きなければならない。

そして、それを証明してくださる存在。それが世界のおかあさんなのだと思います。

電柱のある時代は不幸な時代です。今の世の中をどこかで引き返さなければナウシカのような現実を招いてしまいます。

生きることが本当の意味で簡単になる時代を築くことが大切です。

そしてその為に必要なのは、森と風の旅人であり、断舎利のあるごくシンプルな生活です。

今は生きることを複雑にとらえればとらえるほど、牢獄から抜け出れない社会になっています。

私達は地球の大自然からでしか真の創造性や真実の生き方をすることができない。昔の人間は頭と身体のバランスがよく偉大で、現代人は劣化してしまったのであると私も思います。

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