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BORUTOは果たしてNARUTO NEXT GENERATIONなのか

8/28まで漫画の『BORUTO』が無料公開してたので全部読みました。
つまりもう無料で読むことは叶わないです。
残念でしたね。

突然ですが僕は結構『NARUTO』が好きだったりします。
ガチファン名乗れるほどの熱量があるわけじゃないですが、僕が死んで遺品整理をしてもらうのに備えて、本棚に全巻揃えておきたいくらいには好きです。
なんでまぁ、『BORUTO』の感想を書くとなると『NARUTO』を踏まえておきたいのが道理ってもん、いや、それが僕の「忍道」です。


NARUTOの続編ではあるんだけども

間違いなくNARUTOの続編ではある。だってNARUTO最終話から地続きの世界だし。逆にいうとその点以外はNARUTOと全くの別物と言っていい。
NARUTOのキャラがいるのに全然NARUTOっぽくない。いや、これは悪く評価してるわけじゃないんだけど、純粋にそう感じる。
NARUTOでありがちな描き方・演出が全くなくて、池田先生のオリジナルで描かれている。戦闘中のスピード感を表現した線とか、なんか和風っぽい擬音語とか、キメゴマにありがちな謎の光源とか。そういうNARUTOっぽさが一切合切ない。

絵だけでなく、話の雰囲気もNARUTOとは大分毛色が違う。
なんつーか良くも悪くもカラッとしてんだよなBORUTO。ジメジメねっとり人物描写してたNARUTOとは描き方違うなーってハッキリ分かる。
そういう淡々とした描き方は青とかサスケにはかなりマッチしてる。成熟したキャラにはピッタリ。反面、ナルトとか子ども勢とはちょっとミスマッチかな。苦悩してる描写が足りてねぇと思うんだよなー。
ナルトと九喇嘛とのお別れとか、ちょっとアッサリすぎねぇ?ってなったし。

ただBORUTOで登場したキャラ達にはドンピシャしてる。殼の連中とかね。そりゃBORUTOで初めて見たキャラなんだから当然っちゃ当然だけども。
てか割と池田先生の絵柄好きです僕。好きなんだけど、NARUTOのキャラとは合ってない感じする。サラダとか委員長はブッサ里抜けるわwだったけど、エイダちゃんとかデルタはすっごい良かったよ。
第二部ビジュアルのボルトが超カッコよくて、やっとらしくなってきたなとなりました。

あとこういっちゃなんだが、読み感がすごいジョジョとドラゴンボールの間の子みたいになってる。すげぇ集中線多用するし、スタンド出す時の謎オーラ出るし、「ゴゴゴゴゴゴ」がよく出るし、「!」の描き方がまんまドラゴンボールだったし。
なんにせよ、NARUTOの続編って看板背負ってるだけで、中身も外見もほとんど別モンです。僕的には結構楽しんでBORUTO読めたけど、NARUTO期待して読む人はガッカリすんだろうなって感じ。

確か岸本先生が「池田先生の絵柄でNARUTO読みたいです!」って経緯で始まった漫画だから、池田先生のオリジナリティに溢れてて然るべきなんですよね。
まぁ世の中には岸本先生が大好きすぎてスマホのホーム画面を岸本先生にしてる怪人が、岸本先生の絵柄まんまでサスケとサクラのスピンオフ描いてたりするから、NARUTO期待してる人はそっち読んでもろて。


ナルトの物語は続くのか

NARUTOはやっぱり主人公・ナルトの成長物語って側面がでかい。話のテーマとしてとても念入りに描かれてました。72巻使ってね。
その物語はナルトの大きな目標であった「火影になる」が達成されたことで一旦の区切りを迎えることになる。
そうなると気になるのが「火影になった後のナルト」だ。あるいは「父親になったナルト」も注目ポイント。

それで実際BORUTOでのナルトはどうだったかというと、父親描写は100点。火影描写は70点ぐらいだった。何かに点数を付けられる立場にあるのか俺は。

ぶっちゃけ苦悩しながら父親やってるナルトが見れた時点でBORUTO読んでよかった〜となっている。
自分は父も母も知らずに育ったから息子のボルトに対してどう接すればいいか分からないとことか、逆に捨て子のカワキの方が境遇が近いから接し方が上手いとことか、そういうのでいいわけよそういうので。

火影としてのナルトは個人的に物足りなかった。これはナルトが火影に適していないという意味合いじゃなくて、火影としての活動が木の葉の里内に限られて描写されてるのが残念だったとこ。
もっと他里との関係構築とかが見たかったな〜というお話。
まぁそこまでやっちゃうとボルトの物語から遠ざかっちゃうからしゃーなしではある。

でもなぁー五影会談が始まったあたりの急に世界が広がる感覚すげぇ好きなんだよなぁ。
あの血霧の里が観光地になってる話とかもっと掘り下げて欲しい。
ここまで書いて気づいたけど、これ火影ナルトの話じゃなくて忍界の変遷模様が見たいだけだな?
せめて雨隠れがどうなったか、ナルトが何か干渉してるかぐらいは見せて欲しい。長門と小南に約束したじゃないか。


軍人としての忍、生き方としての忍

NARUTO世界の「忍」は歴史上の忍者とはちょっと違っていて、軍人みたいな立ち位置にある。まぁ本来の忍者も広義的には軍人だろうけど。
なので「忍なのに全然忍んでねーじゃん!w」というリアクションが生まれるのは当然のことだし、「オゥフwwwありがちなトーシロ質問ktkrですなwwwナルトの忍は一般的にイメージされる忍者とは違うんでござるよwww」というマジレスをせざるを得ないwww

そのためNARUTOの登場人物たちの大半は軍人として大変キツい目に遭ってることが多い。
任務遂行の末に使い潰される人とか、戦略兵器として作られた人とか、圧倒的に死亡率の高い少年兵とか、そういう話がてんこ盛りになっている。
そういう悲劇を生み出す忍世界の構造へのアンサーとかもテーマの一つなのだが、それについては一応ナルトが答えを出している。その答えが正解なのかどうかは、ナルトが死ぬまで分からん類の話なので今は触れないでおきます。

大事なのはNARUTOの最後にでっかい戦争も終わって、平和に近づく世界に、「軍人としての忍」は必要なくなってくんだろうなってこと。その手の話が読みたい。
そんでちゃんと待ちかねてた話をBORUTOで読むことができました。
青の話はモロそれだしね。あとちょこちょこ里の予算が減ってる描写で軍縮進んでんだなって分かるし、中忍試験の規模がマジでショボいのとかもそう。我愛羅に砂漠葬送された雨隠れのおじさんの魂が救われることはねぇよ。
科学忍具の発展で忍の価値が相対的に下がる予感もするしな。

そうなってくると、BORUTO世界の忍に求められるのは「軍人としての忍」ではなく、「生き方としての忍」なのではないかと。
自来也が説いた「耐え忍ぶ者」としての忍であったり、六道仙人が広めた忍宗の考え方「チャクラは個々を結ぶ力」であったり、そういった精神性をより深めることで、戦争が消えても忍であり続けられるのではないでしょうか。

実際そういう方向に話が進む気はする。サスケが「忍びの本質は変わらない」って言ってたからそんな気がする。1話でもボルトが「忍の世は終わるが、それでも俺は忍者だ」って言ってたからやっぱりそうだと思う。
でも正直、忍の存在価値の変遷みたいな話がまだ少なくて、ボルトが「それでも忍者だ」って言ってのける説得力に欠けるんだよな。2部も始まるし、多分こっからやるんだろうけど。
つーかボルトのメンタルカチカチすぎないか? お前の親父は「サスケがテロリストになっちゃったよぉ;;」つって過呼吸になったんだぞ。


まさか大筒木でこんなに話を転がせるとは

NARUTOではポッと出のラスボス、大筒木カグヤ。
多分「憎しみの連鎖」を安易に終わらせちゃうと安っぽくなるから、代わりに宇宙人を倒してハイお終い!ってしたくてカグヤ出したんだと思ってる。
そんな微妙な背景を背負って出てきた大筒木でよく物語作れるなぁと感動してます。

とかなんとか言いつつ、大筒木周りの話はNARUTOの時から練ってたのかもしれない。あの悪名高い『サムライ8』で岸本先生がガッツリSFやりたがってたってのを踏まえると、NARUTO連載中も大筒木の話出したくてたまらなかった可能性がある。
しかしサム8より圧倒的に分かりやすいSFやってるのは、池田先生のおかげなんじゃねぇかな。岸本先生に比べて例え話があまりにも上手いし、やけにこんがらがった大筒木一族の設定を飲み込みやすい。
池田先生がサム8を描いてればワンチャン……いや、ないな。

まぁそんなわけで、大筒木一族の解像度がかなり高まったわけですが、そうなると気になる点も増えてくる。
まずはカグヤがイッシキを裏切った理由。これだけやけに隠してるなーと。「にんげんだいすきだからぜんぶわたしのもんな」ぐらいの理由で裏切ったんかなと思ってたけど、よくよく思い返すと人間に対して愛憎入り混じったつながり方をしてたので、そんな単純な感情じゃなさそう。
カグヤは死んだんじゃなく封印されたはずなので、BORUTOでも出番があんじゃないかな。あのおばさんの過去が知りたいと考える日が来るとはな。

あとモモシキはボルトにとっての九喇嘛になるのか、宿儺になるのか。今んとこのやらかしを考えると宿儺に近いが、九喇嘛ルートも充分残されてる。
個人的にはやはり九喇嘛ルートに進んで欲しい。こういう肉体ルームシェアものは和解および共闘の道を歩むのが醍醐味だよな。
あと地味にモモシキ特有の神術も気になってる。カワキがイッシキの神術を使いこなしたように、ボルトも対抗して習得するのではないかと。その流れでモモシキと共闘関係を結んでくれればいいなぁと。


NARUTO NEXT GENERATIONは足枷なんじゃないか

NARUTOの続編ってなると、アレ読みたいコレ読みたいが止まんなくなる。
大人になったナルト世代の話は読みたいし、隠居した上忍達の話も読みたいし、五大国の現状は気になるし、なんなら遡って戦争世代の連中も知りたい。
しかし、そういうの全部やってたら、もうボルト出す暇ねーじゃんってなる。だから全てを振り切って「ボルトが主人公の話」を描いてるのは、潔くてとても勇気あることなんじゃないかな。
当然今でもアレ読みたいコレ読みたいなんだけどね。

NARUTOの続編って重圧に潰されず、今に至るまで20巻も描き続け、ようやく「BORUTO」として続きが気になるって現状を築き上げたのは、いやぁすごいねえ。すごいよ池田先生。
「うずまきボルト」と共鳴するように第一部が終わり、ただの「ボルト」として第二部の幕が上がったのには、「NARUTO NEXT GENERATION」という足枷を外したいっていう真意があるのかもしれない。いや考えすぎ。

それはそれとしてボルト世代の話はもっと描写してほしい。プロ野球チップスみたいな謎カードゲームの開封会やってるとこしかまだ見れてねぇよ。
アニメではかなり濃密にやってるんだろうけど、漫画内で描写して欲しい。第二部からでもいいんでなんとかなんないっすかね。


BORUTOの感想はこんなもんで。
僕が死ぬ時に本棚に入れときたいかどうかは完結するまで分かんないすけど、とりあえず全巻購入を視野に入れてます。



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