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インターネットに自分の庭をつくる

友人に誘われて、久々にショートショートを書いていた。書き始めると意外と楽しく、ポンポンと書きたい物語が浮かんでくる。

一本あたり3,000字ほど、多くても10,000字に達することはまれなのだけれど、それでも10本は書いたから、文字数にすると少なくとも30,000字は書いている計算になる。30,000字だと……。めちゃくちゃ文章を書いているはずなのにnoteの更新が少ないなと思ったら、そういうことなのだった。

noteの更新は少ないが、毎月投稿だけは絶やさず続いていたらしい。31ヶ月も何を書いているんだ。

ということで軽く見返してみたのだけれど、大半が紅月についての記事か、BTSさんにまつわるものだった。いわゆる「オタク語り」から始めて、なんとなくそのとき読んだ本の感想も交えて書こうかな……という方向へとシフトしていった気がする。

初期の文章はさすがに勢いがありますね。今読み返しても、さぞかし楽しく書いたんだろうなと思わされる。逆に、構成がいいとか、目の付けどころが、というふうによく褒めていただけるようになったのは最近のnoteだ。文章がうまくなったってことなのかなあ……。

お気づきの方も多いと思うが、lotusという名前は、かねてより応援しているアイドル・紅月の蓮巳敬人さんからとった。

好きなコンテンツの好きなところをどんどん書こうと思って始めたnoteだ。ただ、時間が経つにつれて、「ここは嫌だ、ファンとしてここは直してほしい」みたいなことを書くようになってしまったらまずいなあ、という懸念があった。万が一それでスキなんて貰えてしまったら、気持ちよくなって、わたしは際限なくコンテンツの粗探しに夢中になるに違いないからだ。そして最終的にコンテンツごと嫌いになるのが目に見えている。

好きな人から取った名前でならそんなことは書けないだろうと、自戒も込めての命名だった。まさかそれで31ヶ月も続けることになろうとは夢にも思わなかったが。

lotus、日本語では「蓮」の意を示す。「泥中の蓮」ということわざにもあるとおり、蓮は泥の中でしか育たない花だ。泥から咲くけれども、花も葉も泥で汚れてはおらず、清らかに輝いている。その凛とした姿が美しい。

対して、インターネットは泥沼だ。いろんな意見や言葉が入り混じる、栄養満点の沼である。

結果的にこの名前は、インターネットで文章を書くときの指針になってくれた。lotus。この名前で表に出してもいい文章だけ、noteに残す。そうすると、書く記事は自然とポジティブな……とまではいかずとも、ただの愚痴や悩みの吐露だけでは終わらない、前向きな結論に持っていけたものばかり(たまにはただの愚痴も書くが)になった。

もちろん、匿名で利用できるインターネットだからこそ、飾らない不安やネガティブな内心を吐露できるという側面もある。しかしながら、元来大きめの承認欲求を持ち、なおかつ生粋のネガティブ人間であるわたしにとって、これは非常に大きかった。

前向きな文章を書いたら「スキ」がもらえる嬉しさ!

これにかなう快感はない。さらに言えば、自分の脳が「ここは前向きな文章でスキがもらえる場所だ」と覚えた感触があった。前向きなことを書いてもいいインターネット、それがわたしにとってのnoteである。インターネットの中にそういう場所を持てたことが、この31ヶ月間でもっとも大きな収穫だった。そういう場所を作れるのだ、ということが。

もしもわたしが、コンテンツの嫌なところ・直してほしいところを書いて、それでスキをもらう場所だ……という方針でnoteを利用していれば、こうはならなかっただろう。見てくださる人も、そういう文章を好きな人が集まって、より多くのスキが集まるようになり、わたしは嬉しくなってさらにコンテンツの粗を探し……と、悪循環にはまっていたかもしれない。

インターネットはどんな場所にもできる。苦しい胸の内を明かして、つらさを分かちあう場所にもできるし、同じ趣味を持った人と語らう遊び場にもできる。自分ひとりでデータを蓄積して分析することも、スリル満点のディベート会場にすることもできる。「自分にとって」インターネットがどういう場所か、決めるのは自由だ。

言われてみれば当然のことだが、それを体感として得られてよかった。

ところで、ショートショートは別のSNSに投稿していて(二次創作だからここには載せない)、読んだ人からこんな感想をいただいた。「Amazarashiさんの楽曲を思い出した。暗闇の中でも人の優しさや希望を信じ続ける作風がいい」とのことだった。恐れ多すぎる。そちらの世界ではまた、まったく違った風合いをもつ庭が育まれていくのだろう。