見出し画像

ブレーメンバンド再結成 【物語】

 階段下の物置を開けると、あの輝かしい夜の調べが耳奥からよみがえってくる。
 10年前、ブレーメンという喫茶店で、急ごしらえのステージのささやかなスポットライトを浴びながら演奏した日のこと。

 メンバーは4人。ロバのロバート、犬のケン、猫のミシェル、オンドリのドリー。もちろんみんな人間だし、名前もステージネームだが。
 ロバートはベース(コントラバス)、ケンがドラムス、ミシェルはピアノでドリーはアルトサックスを吹いていた。

「今度、マスターの娘のリサが、留学するそうだ」
「へえ、留学。一人娘だから、いなくなったら寂しいだろうね」
「それで、マスターから10年ぶりのオファーが来たんだよ」
「なんでまた俺たちなんだ?」
「第一アタシら、楽器から離れてもう何年経つ?」

 しかし、世話になったマスターからのご用命とあらば、ブレーメンバンドたるもの何をおいても引き受けなくてはならない。その思いは皆同じだった。

 物置にしまわれた楽器は掘り起こされ、布を被ったまま沈黙していたピアノとドラムスが久方ぶりに姿を現した。
 みんな楽器に触れた瞬間、その感触の懐かしさにしばし言葉が出なかった。

「で、コンサートの日はいつ?」
 ケンがたずねると、ロバートは指折り数えて言った。
「まいったな」
「何が?」
「二週間後だ」
 静けさが耳鳴りとなるくらい響いたところで、他3名は「なぬっ?!」とのけ反った。

 リサがリクエストしたのは、10年前にもプログラムに入っていた『FLY ME TO THE MOON』という曲。
 マスターの奥さんで、リサの母親のメグが飛び入りで歌い、店内は大いに盛り上がった。
 演奏後、幼かったリサはメグの腰に抱きつき、誇らしげに母親を見上げ、独り占めするように離れなかった。

 そんなことを思い出して談笑したのち、あの頃は誰もが若かったな、と笑い声はため息に変わる。

「まあ、兎にも角にも、まずは音出しだ。『二人でお茶を』!」
 ロバートが号令をかけると、ケンとミシェルとドリーがその声に続いた。
「『二人でお茶を』!Cheers!」

 時は流れても、あの頃の空気感というのは失われないものだ。ミシェルがウィンクして体を揺らしながらイントロを奏でた。
 いきなりピアノはアレンジの効いたjazzyな出だし…続けてケンのドラムとロバートのベースがそれぞれ半拍ずつずらしリズムを刻む…そしてドリーのサックスがピギー!とけたたましく鳴り響いたところで、ロバートは肩にベースを預けて両手を挙げた。

「ストップ、ストッーープ!!」
 ピアノが破壊的な音でバシャンと打ち切る。わなわなと指先を見つめるミシェル。
「…指が思うように回らないわ」
「俺は大丈夫」
「嘘言え!拍がズレていてどこから入ればいいかわからなかったぞ!」
「いや、おまえこそなんだよ、調子っぱずれもいいとこだ!」
 見苦しい展開に、ロバートは頭を抱えた。
「ケンカしている場合か!各自いまから自主練だ!ちゃんとメトロノームも使えよ」

 なんとも先が思いやられる再スタートとなった。

 ビルのトイレ掃除を終え、ミシェルは外階段の踊り場で、一服していた。といっても煙草はとうの昔に止めたので、ステンレスボトルからコーヒーを注ぐ。
 パイプ椅子に腰掛け、膝の上で指先を踊らせてみる。しかし手指は強張り、かつての滑らかなタッチにはほど遠い。ミシェルは舌打ちし、右手で自分の左手をピシャリと叩いた。

 ブレーメンバンドの男衆三人は、市が運営するコミュニティ施設の一室を借り、集結していた。
 以前は、楽器を置いているロバートの家で練習していたが、今日は妻が自宅で開催しているフラワーアレンジメント教室に教え子たちが来る日。
 炎天下、おとなしく楽器を抱えて、初老の体にムチ打ちここまで歩いてきた。

「ケン、メトロノームは持ってきたか?」
「ドリー、おまえこそ身の毛のよだつようなあの音でズッコケさせるんじゃねぇぞ」
 ロバートが咳払いすると、ふたりはフンと鼻を鳴らして剣をおさめた。

 三人は掛時計を見上げた。
「ミシェルは来るって?」
「仕事が終わったら合流するってよ」
すると、噂をすれば…なんとやら。
 大きなサングラスをかけ、大判のスカーフを肩に纏って、ブーツをカツカツ鳴らしながら、ミシェルが颯爽と現れた。
「悪いわね、ぼくちゃん達。だいぶ待った?」
「よう、どこの美人さんだい?」
ドリーがサックスより上手に口笛を吹く。
「何も出やしないわよ!」

 ブレーメンバンドが全員そろったところで、早速、自主練の成果を披露する運びとなった。
「『イパネマの娘』!」
「イパネマ!」
 ブランクがあるとはいえ、このニ週間、みっちり練習しただけのことはあった。みんな時間だけはあり余っている。

 しかし10年前、つまりブレーメンバンドが解散となったときから演奏の場はなくなり、セッションは実にそれ以来。各自楽器を続けていたものの、やがてそれどころではなくなった。

 解散のきっかけをつくったのは、ケンとドリー。彼らが同時期に親の介護に直面したからだ。
 音楽を手放し、またひとつ何かを手放し、介護はすべて妻にまかせ、現実から目を背けていたが、段階を踏んで親の老人ホーム入居がとうとう完了したとき、彼らの妻は子どもと一緒に家を出て行った。

 ロバートはもともと妻からいい顔をされていなかった。妻にはしっかりした資格と稼ぎがあり、趣味程度の音楽で自分の家に他人が上がり込んで演奏することを嫌がった。とくに女友達というミシェルの存在が、妻の機嫌を余計に損ねた。ブレーメンバンドが解散し、セッションする相手もいなくなったロバートは、コントラバスを封印した。

 ミシェルは、長年連れ添ったパートナーが病気で亡くなると、急にピアノを弾く理由も失ってしまった。最後は自宅療養に切り替え、彼のために聴かせていたピアノだが、彼の死から間もなく売り払ってしまったのだ。
 そして自身の更年期障害にも苦しんだ。指はむくみ、痺れて、節々がきしむ。生活に支障はない。ただ、自分の指が不様に思えて悲しくはなった。ピアノを手放した判断はある意味正しかったのかもしれない。しかしまさか、こんな自分にまた声がかかるとは。

「よし、いい感じだ。いけるか?」
 ロバートの声にみんなが頷いた。

「いざ!ブレーメンへ!」


 カランコロンとドアベルが鳴るたび、懐かしい面々が喫茶ブレーメンの扉から顔を覗かせる。
 かつての常連客は、全員揃わなかったが、孫や子など新しい顔ぶれを連れて来る者もいた。リサの友達も数人招待されているようだ。
 いくつかの席にはリザーブの札が置かれて空席となっている。マスターが、いまは亡き常連客とバンドのファンのために空けておいたのだ。

 仕切りのカーテンからブレーメンバンドの4人が登場すると、店内からは拍手と指笛が鳴った。客席の照明が落とされ、天井からのスポットライトがステージを浮かび上がらせる。
 白シャツに蝶ネクタイ、サスペンダー姿のロバート、ケン、ドリーがそれぞれ自分の楽器につく。そして、サファイアのように深い青のマーメイドラインのドレスを着たミシェルがピアノの前に座り、楽譜を整えると、4人はさっとお互いに目配せし、ロバートが軽く手を振り上げた。

 最初に、映画『サウンドオブミュージック』より、ジャズアレンジした『私のお気に入り』が披露された。ドリーの吹くサックスの旋律に合わせ、観客の頭が揺れる。もうあの耳障りでひきつった音は出ない。

 2曲目は、さっき練習で最後に合わせた『イパネマの娘』。ケンの、シャラランという繊細なシンバルの音で、居合わせた人々は遠くブラジルの海に降り立ち、波打ち際を裸足で歩く心持ちになる。

 『二人でお茶を』では、“いまの生活はおしまいにして、二人のための素敵なお家を探しましょう。そして二人だけの世界を作らない?”という甘い囁きが聴こえてきそう。ロバートのコミカルなベースがリズムを刻み、それぞれみんなの思い浮かべる“あの頃の二人”の幸福な場面へと誘い込む。

 ああ、懐かしいこの感じ。あの頃の面々に囲まれていると、時が巻き戻されたかのようだ。
 けれど、実際は年を取って見た目も少し変わったし、生活環境が激変した者だっている。自分達も例にもれず。

 カウンターの端。あそこにはメグが立っていた。幼いリサがテーブルをうろちょろ回ると、客席からは笑い声が上がったものだ。
 いまでは選手交代。リサがカウンター横に立ち、マスターを助けながら友達にも客にも気を配っている。   
 メグは扉の横で音楽を心ゆくまで浴び、笑顔でいたが、時折涙をぬぐう仕草もしていた。
 娘が留学したあと、寂しすぎてこの店は光を失ってしまうのではないかしら。少なくとも、夫と若い頃のように“二人でお茶を” なんて気分には到底なれないわ。と嘆いている。

さあ、いよいよ今夜、最後の曲となった。
 ミシェルは手をギュッと握り締め、心の中で喝を入れた。
「この曲が終わったら、ぶっ壊れたっていい。私の体なんだ。私の命令には従ってもらうよ。絶対に走るな!決して止まるな!私の指」
猫背からピンと背筋を伸ばす。
「だって、この曲は、リサとメグ母子の思い出の曲。そして、私とジョージを繋ぐ大切な歌なんだもの」

 すうっとブレスし、ミシェルが前奏を弾きはじめると、リサ、メグはあっ!と口を開けて視線を合わせた。常連さん達も「ああ!」と察して、身振り手振りでふたりをステージへ送り出す。

『FLY ME TO THE MOON』
 私を月に連れて行って…

ふたりがステージに上がったところで、バンドのメンバーはアイコンタクトし、前奏からメロディに移行した。客席からは拍手が湧く。
 あの幼かったリサは、もう母親のメグより背が高くなり、一緒に歌っている。その姿に目を細めるマスター。

 ミシェルは弾きながら、かつてパートナーのジョージと暮らしていた、ピアノのある部屋を思い出していた。
 晴れた日に、窓を開けて新鮮な空気を取り込むと、ジョージは深く息を吸って、庭に遊びにくる小鳥達を眺めた。そして、
「ミシェル、あの曲が聴きたいな。弾いてくれるかい?」
とリクエストした。
「OK」
 ミシェルが演奏をはじめると、決まって彼は曲にあわせてハミングした。しばらくするとそれは歌声に変わり、やがてミシェルとジョージのデュエットとなった。

 あの日、ここでのステージでも、ちょうどピアノの前、そう、マスターがかつての常連客のために空けておいたテーブルで、ジョージは腕組みし、指先でリズムをとっていたっけ…。
 ふとミシェルは客席へ目をやった。
「ジョージ!」
 瞬間、ミシェルの表情は崩れ、涙が溢れ出た。
 たしかに彼女は、そこに彼の姿を見た。
 ピアノを弾く彼女を優しい眼差しで見守っていた彼が、演奏中、ふいにこちらを見た彼女へそっと小さく投げキッスするのを。

 “私を月に連れて行って
  ようするにキスをして
  ようするにあなたを愛してる”


 夜は更け、ステージのスポットライトも消えた。
 満足げに帰ってゆく客達。マスターとリサ、メグとハグを交わし、普段着に着替えた4人は、また普通の紳士淑女に戻った。

「素晴らしい夜だった」
「ああ」
「同感だね」
「見て、綺麗な月」

 男衆はミシェルの涙の訳を聞かなかった。ようするに、聞かなくてもわかるのだった。

「『FLY ME TO THE MOON』の月ってどんな形だと思う?」
「そうだなあ、二人が手を繋いで満月に向かって飛んでいくイメージ、かな」
「私はね、三日月に自分と彼が腰掛けて、夜通し語らっているシーンが思い浮かぶの」
「今夜あたり、夢にジョージが出てきそうだな」
「ふっ、ジョージとなら、さっき会った」
「ふうん…来てくれてたのか」
「月からね」

 ミシェルがあっけらかんと言うので、ロバートとケンとドリーは顔を見合わせて笑った。

 分かれ道にさしかかり、4人はしばしの間黙ったまま立ち止まった。

「それじゃ、また」
「ああ」
「また」
「必ずね」

 お互い背を向け、ブレーメンバンドの4人はそれぞれの家へと帰っていった。
 まるで楽しい夢でも見ていたかのような浮遊感と幸福感を抱き、酔いしれながら歩く夜道は、またいつかどこかで繋がっていると信じている。



~end~


最後までおつき合いいただき、ありがとうございました🍀
『FLY ME TO THE MOON』は、小野リサさんのjazzyで優しい歌声と演奏をイメージして書きました🎵



























   











 


この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,181件

#眠れない夜に

69,534件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?