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リカルド ~月~ 第4話【物語】

 丘の上にそびえるヒマラヤ杉が、花嫁のヴェールのような雪をまとう今宵。そのあまりの神々しさに、お屋敷のクリスマスツリーは着飾った自分の姿を恥じて身じろぎする。

 アイビーさまは賑やかな大広間を後にし、お部屋に戻られた。かつて彼女の乳母をしていたリックの母もこの日は駆り出されていたので、介抱しながら彼女を階上へと連れていった。
 
 パーティーの前、そっとポケットに入れておいたアイビーさまへの贈り物を手渡すことも叶わず、リックは再び持ち場に戻された。

「申し訳ない。礼儀知らずの娘で…」
「いいえ、それどころか、彼女は素晴らしい!」
「お優しいのね、デズモンド様。そうだわ、アイビーの好きな焼きリンゴとホットワインだけでも届けさせましょう。リカルド!」

 旦那様と奥様達の会話につい聞き耳を立ててしまっていたリックは、思わず肩がビクッと跳ねた。
 すぐさま父リカルドが奥様の元へ歩み寄り、用事を承る。しかし、あの暑苦しい太陽のような青年が、満面の笑みで割って入った。
 旦那様と奥様がサッと目配せし合う中、何かを察した様子の父リカルドは、やや眉間に皺を寄せながらスッと身を引いた。

 とても嫌な予感がする。
 リックの手にも汗が滲む。

「きみ、ブランデーはあるかな?」
 招待客の紳士に声をかけられ、慌てて姿勢を正す。
 リックが酒をぎ終えて顔を上げると、もうそこにデズモンドの姿はなかった。

「リック、ここはいいから、今すぐおじょうさまのお部屋に湯たんぽを持って行ってさしあげるのだ」

 いつの間にか隣には父が立っており、低い声で彼へ指示した。
 ここ最近、アイビーさまとの距離を厳しく見張っていたはずの父が、自分にまさかそんな言いつけを?

「さ!急げ!母さんが調理場から盆を持ってきたところをあのかたが横から奪って行かれた」
「あの方…」
「ぼんやりしている時間はない!」

 そう背中を押されたリックは、鞭打たれた馬の如く覚醒した。父が態度を急変させ、他の誰でもない自分を行かせる意味に。

🌛

 こんなにも階段が煩わしかったことがあるか?こんなに廊下が長く感じたことは?

「アイビー!!」

 何が焼きリンゴだ!アイビーがホットワインだと?彼女は酒など飲まない。

 ヒマラヤ杉が見える部屋の反対側に、彼女の部屋はある。

 どんなに心細かったか。大好きなあの風景と引き離されたとき、ご両親の弟君しか目に入らない様子を間近で感じ、可愛がっていた幼い弟君も亡くされ、周りの誰も彼女のそばにはついていてやらず。
 なのに、こんな馬鹿げたパーティーを開いて彼女を…アイビーを差し出すような真似!

バンッ!

 リックの手がアイビーさまの部屋の扉を開くより先に、涙で顔を歪めた彼女が飛び出してきた。
 結い上げた髪はほどかれ、ユニコーンのたてがみの如く美しくなびく。

 部屋のなかでは、女たらしの間抜けな男が肩をすくめてベッドから体を起こしていた。

 奴を殴り殺してやりたい衝動を必死に押し込め、リックはアイビーさまの後を追った。

🌜️


 バラ園はほんのり白く光り、咲き残ったバラの上に積もる雪で、枝がアーチのように項垂れている。
 新しくできた足跡を辿ると、リックはあの懐かしいベンチへと導かれた。

 アイビーさまは、バラの枝に守られながらも怯えている。蒼ざめた頬には途切れぬ涙。身を硬くしてうずくまり、寒さと恐怖でしゃくり上げる声が、吐く白い息の中に響く。

「アイビー!」
「近づかないで!」
「アイビー…」
「私の名を呼ばないで」
 すると彼女は、白バラの上の雪を掴んで、自分の唇に押し当てた。

「さっきまでの私じゃない。消えてしまいたい」
「きみはきみのままだ」

 小刻みに震える彼女の肩を包むように、ブランケットを掛ける。そのまま抱きしめたい気持を堪えて、リックはアイビーの前にひざまづいた。
「ここにいては凍えてしまいます。私の母が別のお部屋を温めておじょうさまを待っているはず」

 しかしアイビーさまは、頑なにベンチから動こうとしなかった。

「あのおぞましい感触が、デズモンドの顔が何度も浮かんでおかしくなりそうなの」
「…彼はあなたに何を?」
 こめかみに拳を当て、彼女はギュッと目を瞑った。

「あの人、頼んでもいないワインを持ってきて、カップを私に持たせたの」
 リックの顔にじわじわと険しい表情が浮かび上がる。
「こぼれないようにトレーへ戻そうとしたら、ベッドに腰かけていた私に突然彼が覆い被さってきて…私、身動きがとれなくて…」

 泣きながら懸命に答えるアイビーさまの話を聴き、リックの手は怒りでわなわなと震えた。

「無理やりキスしようとしてきたの。私、急いで顔を背けて、思い切り彼のお腹を蹴り飛ばして逃げたのよ」
「…それでは」
「穢らわしい!彼の口がここに…」
 そう言って、アイビーさまは自分の唇の端を何度も拭った。
「ああ、あなたという人は!」
 たまらずリックは、ブランケットごと彼女を抱きしめた。

「リック」
「お許しを。今だけ、どうか今だけ…」
 
 途端に安堵したアイビーさまは、リックの胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。

「あなたに嫌われてしまうかと」
「なぜそんなことを。僕の大切な人」

 お屋敷の誰も見ていない。クリスマスツリーも、ヒマラヤ杉も。ふたりを包むように隠す雪で覆われたバラ園さえ、彼らの夜を見なかったことにする。

 果てしなく清らかで静謐せいひつなホワイトクリスマスは、彼らの幸福な時間に立ち入るもの全てを許さぬ。
 ただし、ごく限られた時間だけ。


🌜️to be continue …🌛


https://note.com/lottatan/n/neac263ddeb79




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