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ディスクはまた回る

1年ほど前にPS4を買いました。
実に、数年ぶりのプレイステーション。

30歳になり仕事も落ち着いてきた中で、
「ずっとやりたいと、後回しにしていたことをしよう」
と深夜に思い立ち、近所のゲオで購入。

あまりにもゲームのクオリティが高い。
「なんだこの異常な没入感は...」
と、まるで過去からタイムスリップしてきた古代人のような驚きの連続でした。

お目当ては、死にゲーで有名な『DARK SOULS』シリーズ。
6年前くらいからずっと、
「いつかやりたい、いつかやりたい」
で、リマスター版の発売でようやく決意。
信じられない決断力のなさに自分でも驚きですが、一度ハマると止まらない。
一気に『DARK SOULS2』『DARK SOULS3』『Bloodborne』までやり尽くしました。
100万回死にました。
プレイしすぎと死にすぎで、危うく日常生活に支障が出る一歩手前でしたが、社会人としてなんとか人間性を保ち、狂気の中でも会社にはしっかり出勤し続けました。太陽万歳。


そんな生と死の狭間で気づいたのですが、はじめてPSを自分のお金で買いました。
まだ学生で実家にいた頃、初代PSは父が。PS2は兄が買ってくれました。

忘れもしない。
はじめて我が家にやってきたソフトは『クーロンズ・ゲート』。
突如表れた異世界に世は乱れ、主人公は風水の力を駆使して世界の均衡を保つ、といういかにもニッチで世紀末臭プンプンなゲーム。
兄がプレイし異形の怪物が退治されるのを、家族みんなで楽しむ。
一家郎等、精神がちょっとアレで間違いない。

FFシリーズもよく家族でやった。
中学生の夏休みの深夜。FF10のエンディングを兄とわたしと父で、みな視界を滲ませながら迎えたのもいい思い出です。
自らプレイし選択するところが、漫画や映画とは違った感動を味あわせてくれる。これはお前の物語だ。

感動のエピソードだったり。
緊張のともなう、難解なパズルだったり。
多彩なエンターテイメントは、わたしたち家族のとある時間の中で、或いはそれはささやかかもしれませんが、いくつもの共有できる感性・記憶を与えてくれたようです。




久しぶりにどハマりしたPS。

美しいグラフィック。
重厚なストーリーと、苦戦した先で味わう達成感。
「エンターテイメントはこうも成熟するのか」
と、あの時以上に熱中しました。
そして同時に、改めて細緻な仕事へのプロ意識に驚愕しました。

これはわたしが社会人になって、ようやく感じられた事でした。
細部までへのこだわり。妥協のなさ。
いつかプレイする誰かのために、仕事の質を高めつづけること。
職種は違いますが、ヒトを魅力するというのは、こういうことなんだとPSに、『DARK SOULS』シリーズに学ばされました。
人生のなかで、わたしは何度もPSから「気づき」を貰っている。


「久しぶりにゲームやってるんだよ」
実家に帰り、お互い30代になった兄とこんな会話で盛り上がる。
もう、いい大人になった兄弟。
現実的な問題でお互い忙しく、悩まされることばかりですが、
「なにプレイしてんの?」
「最近はフロム社の『隻狼』が面白い。グラフィックも綺麗で没入感が凄いよ」
「へ〜ちょっとやってみようかな」
と、まさかまたこんな会話をするとは。
無垢な子ども時代は、いまでも心の中で息づいている。
きっと、いつでも戻ることができるのだろう。

後日、兄から「隻狼、死に過ぎてやめたい」とクレームを貰いましたが、
「諦めたらそこまでの人生だよ」と伝えてあげました。
わたしたちのゲーム人生は、まだまだこれからも続いていく。



あなたがわたしに課金をし、わたしはソシャゲへ課金をします。