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ノルウェイの森

一番好きな小説は?と聞かれたら、おそらく村上春樹の『ノルウェイの森』と答えます。それなのに、なぜ好きなのかと問われればきちんと言語化できる自信がずっとありませんでした。

初めて読んだのは15か16歳の頃でしょうか。
そのときはとても有名な作家の有名な小説として一応読んでみた、というくらいの印象だったと思います。

直子が20歳の誕生日を迎える場面に、"20歳になるなんて馬鹿げてる、18と19を行き来できたらいいのに、それが自然なことのように思える"というような文章があって、ちょうどそれくらいの年齢で読み返した時にはとても切実な気持ちで共感した覚えがあります。
それ以降、ことあるごとにパラパラと目に留まったシーンを読み返したりしているうちに、気がつけば自分にとって特別な作品となっていました。

「こういう物の見方ってあるいは分析的にすぎるのかもしれませんね。…何かがこうなったのはこういうせいだ、そしてそれはこれを意味し、それ故にこうなのだ、とかね。こういう分析が世界を単純化しようとしているのか、細分化しようとしているのか私にはよく分かりません。」
これは直子がワタナベに宛てた手紙の一部分です。
この頃の直子と同じく、おそらく分析的にすぎる私の性格は世界を細分化しているとこれまでずっと信じて疑うことはありませんでした。けれどあるときこの文章にハッとさせられたのを覚えています。もしかしたら私自身という土台のもとに成り立っているだけの分析は世界を単純化している可能性もあるのかもしれない、と。それは私にとって希望だと感じました。

この作品のなかで一番重要な役割を果たしていると個人的に思っている場面があります。それは、入院している緑のお父さんにワタナベがきゅうりを食べさせてあげるシーンです。
ここでワタナベという人間がもつ空気感や健全さ、芯の部分の人柄が垣間見れる気がするのです。ただなんとなく人当たりが良いだけの印象が、ここで一気に説得力を増すというか。なので映画でこのシーンが削られていたのはとても残念でした。

ノルウェイの森に限らず、村上春樹の作品に出てくる登場人物たちは、皆過去に傷を負っていたり、どこか欠けた部分や不安定な部分を抱えながらも、それでもよりよく生きようとしている気がします。そういう心の在りようが根底にあるならば、或いはあるからこそ、その結果として不完全であってもいいのだと思わせてくれます。
彼らはみな表面上は飄々としているように見えて、実際には心の中では葛藤し、もがいていて、でもむやみにそれを表に出すことはしません。おそらくそれを良しとしない美意識を持っているのだと思います。そういう部分が自分と似ていると感じるからでしょうか、そんな彼らを身近に感じ、好感を持つのです。

初夏も真冬もどんな季節にも似合う、本当に美しい小説だと思います。

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