私たちは、いつまでアップデートしつづけなければいけないのか

機能を限ればまだ使えるOSであっても、ソフトやハードがアップデートされればOSが対応しない、逆もある。
ネットに繋がっているからいかんのか、と、ネットワークから外してスタンドアロンにしてみても、受発信ができない。
とてつもなく不便だ。

OSの話じゃなく、私たちヒトにも同じことが言える。

私たちは、常にアップデートを求められるようになってしまった。
それに対応できないヒトは、自己責任の名のもとに社会から切り捨てられている。
その較差は収入にも正比例する。

いつからこうなったのか。
90年代後半くらいからじゃないだろうか。
日本に与えた衝撃の度合いが高い、と個人的に考える90年代後半に起こった出来事をざっとおさらい。

95年―99年
阪神淡路大震災。日本のインフラの弱さ、被害の悲惨さに言葉を失う。
オウム真理教による地下鉄サリン、松本サリン事件によるテロ事案発生。
東電OL殺人事件の被害者の来歴に驚く。
神戸連続児童殺傷事件に震撼(個人的には、犯行声明文に書かれていたマークの意味について、須磨警察署に情報提供してしまうほどの衝動に駆られた!)。
山一證券が破綻し、社長の涙の会見が世のサラリーマンの涙を誘う。
失楽園で不倫が美しくもはかなく描かれ、世のお父さん世代が歓喜
乙武洋匡氏の『五体不満足』が400万部のベストセラーとなる。こんなあっけらかんと前向きなカミングアウトって。
宇多田ヒカル氏がデビュー、R&Bって何?→ヘエー。
茨城県東海村の原子力施設で臨界事故が発生。安全神話の崩壊と生物としてのヒトのありようについて。

これまでの生活史の中で培った価値観が意味をなさないと実感する出来事ばかりだ。
80年代前半くらいから騒がれたノストラダムスの予言。
99年で世界は終わらなかった。リセットされなかった。

2000年になって、閉塞感はそのまま引き継がれ、日本の救世主のように小泉純一郎総理大臣が誕生。
小泉旋風、小泉劇場、小泉チルドレン、ポスト小泉といったことばも生まれた。
規制緩和や情報網の進化拡大、ネットワーク化もあって、便利を享受する反面、較差はどんどん拡大していく。

以降、災害や事件、事故の状況が生々しく駆け巡り、誰もが“平穏な日常”を守ること、給料をもらうために、会社に適合するために自分のことだけで、いっぱい、いっぱいな状態。
優先順位は頻繁に入れ替わる。
他人に対して不寛容の連鎖。
家に帰ると男性はイクメンや家事の折半。
女性も家庭を守るだけではなく、家計のために仕事に出ざるを得ない。
自己責任とされ、責任が分散できないから、余計しんどい。

マルチタスクで、PCでいうとビジー状態。
そのうち、強制終了、しちゃいそうになるけど、踏ん張っている。

かつて日本の高度成長を支えたのは、
中流階級と言われ地に足をつけて平穏な日常を送っていた人々だ。
“普通”と言われた私たちだ。

皆さんは戻りたいと思いますか?
戻る、というのは懐古的と笑われちゃうかもしれないけれど。
若い皆さんは勢いのあった日本ってピンとこないかもしれないけれど。
“普通”でいいんじゃないだろうか。
フツ―の毎日。
どこかで聴いたコピーだなあ。

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