煩悶ぐらいさせてくれ

いつも心から煩悶している。何を、と言われるととくにない。ないのだけど、いつも心から煩悶しているのだ。その内容を書きとめる言葉を、道筋を、私は持たない。持たないからこそ、煩悶している。
私の身近な人には伝わらない煩悶。別に、身近な人に限ってではない、赤の他人にだって、別に伝わらないのだ。だって、私が煩悶しているだけだから。

仕事を休んであっという間に二か月が経った。といって、その二か月に自分の憂鬱さに答えが出たということもない。ちょうど、小学生の夏休みような遊びに暮らした二か月だったようにも思うし、大学生の夏休みのような怠惰な二か月だったようにも思う。気づけば夏休みは終わっていたが、私の夏休みはまだもう少し続くような気もする。
様々な人に心配と気遣いの声をかけられ、励まされ、背中を押されたわけだけど一切は心に届くことはない。一切の言葉を、私は聞いていない。覚えていない。適当な慰めの言葉は、別にいらない。
私の心はいつだって誰にも支配されない。私だけの煩悶に満ち溢れているのだ。もはや、私本人にすら届きえないのかもしれない。懊悩し、ただ静謐な心の奥底に沈んでいくことは言葉を持たない。つまり、おそらくほとんど何も考えていないことと同義なのだと思う。自らがなぜ、と、問うたその一瞬後にはその質問の意味すら見失っている。出口のない、暗い砂利道を歩く。足音ばかりが響くばかりで、そもそもどっちに進めばいいのかもわからない。答えを出すことも拒否している。煩悶することは、何にも邪魔されない私だけの楽園でもあるのだ。

夫は何も考えるなという。考えすぎなのだというので私は沈黙で反対の意思を告げる。この男は私のことなんか何もわかっていない。結局、誰にも理解されない。されたいと思うこともあまりない。この孤独と苦しみを、私は死ぬまで愛していくのだ。誰に八つ当たりをしようとも、誰に苛まれようとも、誰に止められようとも、私は心に沈み続ける。

煩悶ぐらいさせてくれ。